なぜ自民も、維新も、小池氏も勝てなかったのか…衆院3補選が示す「自民にすり寄る野党勢力」の終わり
■「最強の保守王国」の牙城が崩れた
4月28日に投開票が行われた衆院の3補欠選挙(東京15区、島根1区、長崎3区)は、立憲民主党の公認候補が全選挙区で勝利した。自民党は東京と長崎で公認候補を擁立できない「不戦敗」となり、16日の告示の段階で負け越しが決まっていたが、同党が小選挙区で一度も議席を奪われたことのない「最強の保守王国」島根でも惨敗したことで、「立憲大勝、自民大敗」の印象はさらに強まった。
二つの選挙で「自民vs立憲」の直接対決がなかったことを挙げ「3勝もへちまもない」と冷笑する向きもあるが、自民党にとって「戦わずに負ける」ことは、「戦って全敗」以上に恥ずべきことだ。この期に及んで立憲の勝利を過小評価するのは、政治の見方がゆがんでいるとしか思えない。
■3補選のそれぞれの「意義づけ」
三つの選挙にはそれぞれ異なった意義づけができる。
島根1区は今回の補選で唯一の「自民vs立憲」の一騎打ちであり、次期衆院選の前哨戦の意味合いがあった。この選挙一つで次期衆院選全体を占うことはできないが、「最強の保守王国」での立憲の勝利は、次期衆院選の構図が「自民1強vs多弱野党」から「自民vs立憲の2大政党による政権選択選挙」に移ったことを明確にした。
長崎3区は「立憲vs維新」の一騎打ちを立憲が制した。これは、2021年秋の前回衆院選以降、長くくすぶっていた両党の「野党第1党争い」を、事実上終わらせた。少なくとも次期衆院選において、自民党との「政権選択選挙」に臨む「2大政党の一翼」となるのは、立憲であることがはっきりした。
立憲は島根の選挙を戦うことで、自民党との「政権選択選挙」に臨むことを明確に意識していた。一方、維新は「第2自民党」をうたうほど自民党との親和性が高く、さらに今回の補選で自民党との直接対決がなかったこともあり、最後まで「立憲との野党第1党戦い」の感覚から抜けきれなかった。維新は、政治のフェーズの変化に乗り遅れ、野党第1党争いから脱落した。
■「希望の党騒動」がようやく終焉を迎えた
東京15区は自民候補不在のなか、9人が乱立する混戦を立憲が制した。維新は3位に沈んでおり、長崎3区同様「立憲vs維新」の構図での評価も可能な選挙だが、筆者はこの選挙を別の観点から注目していた。2017年秋に当時の野党第1党・民進党(民主党から改称)を大きく分裂させ、政界に「多弱野党」状態を生み出した「希望の党騒動」が、この選挙でようやく終焉を迎えた、と思えたのだ。
東京15区補選は「希望の党騒動」をめぐる主要登場人物が、ほぼオールスターキャストで登場した選挙だ。希望の党を結党した小池百合子東京都知事、当時の民進党代表として希望の党への全党合流を決めた教育無償化を実現する会の前原誠司代表、のちに希望の党の共同代表を経て国民民主党を結党した玉木雄一郎代表。そして希望の党から「排除」された枝野幸男氏らが結党した立憲民主党の議員たち――。
騒動の震源地だった東京で、立憲が再び「希望の党」側を退けて勝利した。勝敗より注目すべきはその構図だ。「排除」された側の立憲が、その後さまざまな仲間を迎え入れ「野党結集の軸」となりつつあるのに対し、「改革保守勢力の結集」を模索した希望の党側は、無所属と維新の二つの陣営に分裂した。
野党結集の軸が「非自民・非共産の改革保守勢力」から「連合から共産党まで幅広く包含する『改革保守からの脱却』勢力」に移った。それを「希望の党騒動」の終焉という形で見せてくれたのが、東京15区補選だったと筆者は考える。
■小選挙区制の導入が招いた希望の党騒動
「希望の党騒動」とは何だったのか、軽く振り返ってみたい。
自民党の金権腐敗を機に導入された小選挙区制度は、自民党以上に野党に多くの負担を強いた。選挙区で1人しか当選しない選挙制度は「自民党に匹敵する規模の一つの政党としてまとまる」ことを、野党に要求したからだ。その結果生まれた野党第1党の民主党は、自民党を離党した議員から社会党出身者までを包含する「寄り合い所帯」となった。
民主党は2009年に政権を奪取したが、党内の不協和音が絶えず、3年あまりで再び野党に転落。その後の民主党(のちに民進党)は、党内の中道・リベラル系議員と保守系議員の間で、党のアイデンティティーをめぐるいさかいが絶えなかった。
■「多弱野党」という最悪の結末
そんな中で起きたのが「希望の党騒動」だ。安倍晋三首相(当時)が衆院を解散するタイミングに乗じて、小池知事が新党「希望の党」を結党。前原氏率いる民進党は、抜き打ち的に同党への合流方針をぶち上げた。
自民党の小泉政権で閣僚を務めるなど「改革保守」の系譜に位置し、東京で絶大な人気を誇った小池氏と、全国に組織を持つ民進党が合体し、さらに大阪で力を持っていた日本維新の会と選挙協力する。その上で、共産党と融和的な民進党のリベラル勢力を「排除」し、一夜にして「非自民・非共産の改革保守勢力」の塊を作り上げる。こんな構想だった。
だが、小池氏の「排除」発言への反発が高まり、希望の党は急激に失速。小池氏に「排除」された側のリベラル系議員が急きょ結党した立憲民主党が、衆院選で希望の党を上回り野党第1党になった。
希望の党騒動は「改革保守勢力の結集」どころか、民進党を大きく分裂させ「多弱野党」を作り出し、おまけにリベラル系政党を野党の中核に押し上げるという、小池氏らの狙いとは真逆の結果を招いた。
■立憲が徐々に「野党の中核」に
騒動が失敗に終わると、小池氏は代表を早々に玉木氏に任せ、希望の党から手を引いた。翌2018年、希望の党を離れた玉木氏ら旧民主党系議員が国民民主党を結成。枝野氏率いる立憲民主党と、野党第1党の座をめぐり小競り合いを繰り返した。
小池氏から離れた国民民主党は必ずしも「改革保守」政党ではなかったが、「非自民・非共産の大きな塊」へのこだわりは強く、共産党との連携も模索する立憲との埋めがたい溝となっていた。
だが、立憲は野党第1党のスケールメリットもあり、2019年参院選で議席を倍増させて国民民主党との差をつけた。翌2020年には国民民主党の議員の多くが事実上立憲に「合流」し、立憲は徐々に「野党の中核」の立場を固めていった。
玉木氏は「合流」を拒み、国民民主党を小政党として存続させたが、所属議員の志向はさらに分裂した。与党にすり寄り始めた玉木氏に対し、「希望の党騒動」の中心人物だった前原氏は、なおも「非自民・非共産の改革保守結集」を目指し、同党を離党して新党「教育無償化を実現する会」を結党。維新との統一会派を組んだ。
■自民にすり寄る小池氏の敗北
東京15区補選に戻ろう。
小池氏はこの選挙で、自らが特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」が国政進出を目指して設立した「ファーストの会」が作家の乙武洋匡氏を擁立する、と発表した。乙武氏推薦に動いたのが、玉木氏率いる国民民主党だった。
小池氏と玉木氏。「希望の党騒動」後に同党の共同代表を務め、たもとを分かった2人が再びタッグを組んだ。だが、当時と違うのは、希望の党が「政権交代」を目指したのに対し、現在の2人はともに自民党に色目を使っていることだ。
玉木氏は言うに及ばず、小池氏も最近の都内の地方選挙を「自民+公明+都民ファースト」の枠組みで戦って勝利し、裏金問題に苦しむ自民党に恩を売ってきた。乙武氏についても、小池氏は当初、両党に支援を求める腹づもりだった(この経緯については4月15日公開「『与党でも野党でもない候補』は結局、自民党になびく…乙武洋匡氏の『無所属出馬』にみる拭いがたい違和感」をお読みいただきたい)。
一方、この選挙区ではすでに、維新の金沢結衣氏が出馬を表明していた。前原氏率いる「教育無償化を実現する会」は金沢氏を推薦。ここに着目すれば「希望の党騒動」の中心人物だった小池氏と前原氏が敵対することになった、と言える。
今もなお「野党を結集して自民党から政権を奪う」構えを崩さない前原氏にとって、自民党に近づく小池氏の姿はどう見えたのだろうか。
■「改革保守」政治からの脱却
「希望の党」で改革保守を結集しようとした勢力が、分裂して戦った東京15区補選。両陣営とも、かつて自らが「排除」しようとした勢力から誕生した立憲の酒井菜摘氏に及ばなかった。金沢氏は3位、乙武氏は5位に沈んだ。
選挙戦最終日の27日、酒井氏の最終演説に駆けつけたのが、立憲の創設者である枝野氏だった。「民間に委ねればうまくいく、というのは『昭和の政治』だ。『自己責任だ、小さな政府だ』なんて、いつの時代の話だ」と訴える枝野氏の演説は、明確に「改革保守」の政治を切り捨てていた。
■「従来保守vs改革保守」の構図は無理筋
「非自民・非共産の改革保守勢力の結集」というお題目は、小選挙区制度の導入以降、野党陣営に重くのしかかっていた。希望の党騒動に沸き立ったメディアは、騒動が惨めな失敗に終わった後は、今度は維新にその役目を背負わせ、ここ2年ほどは明らかに歪んだ「維新上げ、立憲下げ」を繰り返してきた。
しかし、自民党が2大勢力の一翼に厳然と存在するなか、彼らは常に「自民党との距離感」を問われ続け、やがて「与党寄り」「野党寄り」に分裂していった。
そろそろ「従来型保守vs改革保守の保守2大政党制」は無理筋だ、と認めるべきではないか。政界の自然の摂理に反している。「自己責任」の社会を志向する自民党vs「再分配を重視する支え合いの社会」を掲げる立憲民主党、という大きな対立軸をつくり、衆院選で有権者が「日本の目指すべき社会像」を選択する。こちらのほうが「非自民・非共産の改革保守」より、政界の構図としてはるかに安定するはずだ。
もっとも現在、筆者は「改革保守勢力の結集」それ自体が、全く意味を失ったとは考えていない。筆者が想像したよりはるかに早く、自民党が崩壊過程に入っているからだ。
いつか自民党が分裂するとか、派閥解散どころか党自体が解散するとかいう事態になれば、もしかしたらその時には「自民党に代わる新たな保守勢力の再編」が必要になるかもしれない。立憲民主党中心の政治勢力との対立軸となるために。
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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)。
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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)