全長2.3mで2人乗り!? 斬新すぎる「超コンパクトカー」がスゴい! “旧車デザイン”が超カワイイ「マイクロリーノ」とは
現代に蘇った「イセッタ」!? 可愛すぎるモデルの正体は
2016年に発表された小型EV「マイクロリーノ」は、卵型の特徴的なフォルムで大きな話題となりました。
では、そのオマージュ元となった「イセッタ」とは、どのようなクルマだったのでしょうか。
電気自動車が持つ可能性のひとつとして、超小型モビリティに注目が集まっています。
【画像】超カッコイイ! これが「小さすぎるコンパクトカー」です(30枚以上)
未来志向の乗り物ということもあり、そのデザインは時代の先端をゆくものが多いように見受けられます。
そんな中、スイスのマイクロモビリティシステム社が2016年に発表した小型EV「マイクロリーノ(Microlino)」は、1950年代の超小型車「イセッタ」からデザインのインスピレーションを受けて開発されました。
イセッタは、1953年にイタリアのイソ(Iso)社が発表したマイクロカーで、簡便な設計を旨としていました。
全長わずか2.3mほどの丸っこい卵型車体、車体に合わせてカーブした曲面のウィンドウ、フロントに1枚だけ設けられたドア、フロントフェンダーにちょこんと付けられた小さなヘッドライトなど、極めて個性的な姿で誕生しました。
極端に狭い幅で配置された後輪は、9.5psしかない単気筒236cc 2ストロークエンジンが駆動していました。
そしてマイクロリーノは、各部の処理が21世紀のモビリティにふさわしい意匠が与えられているものの、後ろすぼみでコロンとした外観は、まさにイセッタ再来と呼べるスタイル。
しかもイセッタでは、車体前部に備わるドアを介して乗降する必要がありましたが、それさえも継承しています。そのためどことなくクラシックで、かつSF映画の中から飛び出てきたような不思議な未来感が同居しています。
2019年には東京モーターショーでも展示され、可愛らしい姿が大きな反響を呼びました。
マイクロモビリティシステム社では、2018年にマイクロリーノの市販化を目指していましたが、さまざまな事情が重なって延期に。
しかし2020年、生産型かつモデルチェンジ版の「マイクロリーノ2.0」がリリースされ、2022年には、ついに欧州市場での販売がスタートしました。
「マイクロリーノ2.0」では、内外装の変更・サスペンション変更やリアトレッド拡大による走行安定性の増加・モーター出力の向上など、細かな変更が多岐にわたって施されています。
外観では、当初のモデルよりも未来的なデザインに変化しましたが、それでもやはりイセッタそのものと呼べるフォルムは残されました。
めちゃカワイイ「イセッタ」 実は「BMWの救世主」だった!?
そんなマイクロリーノのベースとなったイセッタですが、なかにはドイツのBMWのクルマと認識している人が多いかもしれません。
1950年代にさかのぼると、BMWは現在のようなスポーツセダンを作るメーカーではなく、戦前の流れを汲む高性能スポーツカーや超高級車を作っていました。そのため、戦後の混乱期で必要だったリーズナブルな大衆向けモデルを持っていなかったのです。
そこでBMWは、イソ・イセッタに注目してイソから生産権を獲得。1955年から「イセッタ250」として販売を開始しました。
BMWではイセッタを単なるライセンス生産するのではなく、再設計を実施。ヘッドライト形状変更などの独自アレンジや、サスペンション改良などを行いました。
エンジンも単気筒247cc 4ストロークエンジン(12ps)に換装しましたが、これは、同社のバイク「R25」用の流用でした。
1955年末頃には、排気量を298ccに拡大した「イセッタ300」に発展。最高出力は13psまでアップしました。窓を車体に即した形状から開閉式に変更しているので、「イセッタ250」と見分けることが可能です。
本家たるイソ・イセッタが1955年頃に生産を終えたのちも、「BMW イセッタ」は順調に販売台数を伸ばし、ドイツのみならず、北欧や北米へも輸出を開始。1960年代前半までに約16万台が生産されました。
イセッタはほかにもフランス・スペイン・ブラジル・アルゼンチンなどでもライセンス生産されましたが、BMW版の数は群を抜いていました。
なおBMWでは、1957年にイセッタ300の車体を後方に延長・4人乗りとした「600」に発展しました。
これまたバイク用の水平対向2気筒582cc4ストロークエンジンを車体後部に搭載。リアタイヤは「一般的なクルマと同じ位置」に配置されましたが、前席用の前面ドアは保持されたままでした。
では後席にはどうやって乗り降りしたかというと、なんと後席用のドアを新たに設置(ただし右側のみ)するという荒療治で対応していました。
しかし600は、外観・設計が奇異だったこと、4人乗りとしては車体サイズが小さかったこと、旧態化も進んだこと、完成度の高い大衆車が出現していたことなどもあり、販売は大苦戦。2年間で3.5万台ほどが作られて生産を終えてしまいました。
後継は、同じバイク用エンジンを載せたリアエンジン車ながらも、いかにもクルマらしい見た目を持つ「700」で、こちらは大成功。1961年に登場し、現在のBMWを築き上げた「ノイエ・クラッセ(Newe klasse)」を生む原動力となりました。
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戦後の混乱期と現在とは、超小型車が求められる事情が異なりますが、マイクロリーノが魅力的に見えるのは、簡便に作られつつも愛嬌があり、個性的なイセッタの斬新な設計思想を強く残しているからではないでしょうか。
日本での発売は未定とのことですが、1日も早く、日本の路上でその姿を見られることを期待してやみません。