今季徳島に加入した島川俊郎(27番)は4月1日に現役引退【写真:Getty Images】

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引退発表翌日にYouTubeで「どうしても許せないことがあった」と説明

 プロ16年目を迎えたMF島川俊郎は、今季移籍した徳島ヴォルティスの一員として、開幕全7試合に出場していたなか、4月1日に現役引退を電撃発表した。

 「どうしても許せないことがあった」。自身の公式YouTubeチャンネルで引退の理由をそのように語ったなか、改めて「自分の決断に後悔は全くない」と、次なる人生に向けて前を向いている。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史/全2回の1回目)

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 柏レイソルユースで育ち、DF酒井宏樹浦和レッズ)、MF武富孝介(ヴァンフォーレ甲府)、FW指宿洋史(アデレード・ユナイテッド)らと同期の島川は、トップチーム昇格を果たせず、ベガルタ仙台でプロキャリアをスタート。3年間出番がなく、東京ヴェルディ(当時J2)やブラウブリッツ秋田(当時JFL)への期限付き移籍を経て、一度は仙台に戻り、再び移籍した秋田(当時J3)で2014年にJリーグデビューを飾る。

 その後、レノファ山口FC、栃木SCを渡り歩き、17年に恩師の吉田達磨監督が率いるヴァンフォーレ甲府へ加入すると、27歳にしてJ1リーグ初出場。甲府と大分トリニータで2年、サガン鳥栖で3年を過ごし、昨季限りで契約満了となったなか、今年1月に徳島の一員となった。

 吉田監督と再び同じチームとなり、開幕から7試合連続で出場していたなか、徳島は3月31日に成績不振により監督解任を決断。翌4月1日に増田功作ヘッドコーチが暫定監督に就任することが発表された2時間後、「チームの状況が大変な中で自分勝手な決断でチームに迷惑を掛けて申し訳なく思っています」と島川の電撃引退がリリースで伝えられた。

 島川は翌日の4月2日、自身の公式YouTubeチャンネルに4分44秒の動画を投稿。引退の理由に関して、「どうしても許せないことがあったからです。僕の思いはすべて(岸田一宏)社長にぶつけましたし、昨日(4月1日)の朝、チームメイト、コーチングスタッフ、トレーナー・マネージャーの方々には自分の思いは伝えました」と、言葉を選びつつ説明した。島川はすべてを言い切ったのか。

「チーム内のことは、外部には言ってはいけない。自分としては、あれ以上チームのことに触れる気はないです。自分の言いたいことは社長や強化の方々に言えたので、自分の決断に後悔は全くないですが、選手たちに迷惑をかけてしまったのは本当に申し訳ないと思います。ただ、今はもう次に進むために切り替えていて、すごくすっきりしています」

日課のランニングで流れた涙と喪失感で引退を決断

 島川は今年5月で34歳を迎えるベテラン。計9クラブを渡り歩くなかで、若い頃に比べてチームを見る目も変わり、より俯瞰的に行動するようになったという。

「徳島への移籍は、『これが最後』のつもりで覚悟を持ってきました。ほかのチームから声もかけていただくなかで、やっぱり恩師の下で勝ちたい思いがあったので。自分自身、プロの年数を重ねるなかで、若い時に比べてチームの目につくところが変わってきて、このいい部分はもっと伸ばしていくべきだ、ここは良くないんじゃないか、どうやったらチームが勝てるか、といろんなことが見えてきた。年齢とともに、責任というか、発信することもしていかないといけない、と考えるようになりました。それが今回、いろんなものが重なって、偶然、徳島で起こったというだけです」

 島川は練習前に1人でグラウンドを走るのを日課としていた。ただ、3月31日にいつもどおり準備をしようとしたが動く力さえ湧いてこず、「なんか涙が出てきた」という。

「アスリートにとって心は一番大事かもしれない。自分にとっての芯が折られてしまった感覚。監督が代わってチームが新しいスタートを切るという時に、中途半端な気持ちでいるのはダメだと思いました。プロはそんな甘い世界ではないし、みんなにも失礼。『そんな簡単にサッカーを辞めれるんですね』という書き込みも見かけましたけど、そんな簡単にサッカーが辞められるわけがない。でも、それくらいのことだと分かったうえで(引退を)決断しました」

 今回の引退は妻や両親にも事前には相談せず、「びっくりしていた」と島川は明かす。とりわけ、「僕の一番のファン」だという両親には、4月1日の19時にリリースが出る5分前に実家に戻り、直接報告した。

「単身で徳島に行っていたんですけど、奥さんは『尊重します』と言ってくれました。両親がびっくりしていましたね。僕のサッカーを生きがいにしてくれていたので。チームに(4月1日の)朝挨拶をして、そのまま飛行機に乗って東京へ行って。リリースが出る5分前に家に着いて、『引退します』と伝えました。両親は何も聞いてはこなかったですけど、(4月3日の第8節清水)エスパルス戦の2日前に家に帰ってくるのがどういうことなのか、分かっていました。契約解除や練習をボイコットして帰ってきたと思っていたみたいで、まさか引退とは、と。徳島にも試合を見に来てくれていたし、5月の飛行機も取っていたみたいで、話をして理解をしてくれたとはいえ、両親の反応はつらかったです」

知人の多くは「お前らしいな」と尊重…先輩からは「バカ野郎!」のお叱りも

 当然、電撃引退の反響は大きく、発表後は島川のスマホは鳴りっぱなしだった。元チームメイトや監督・コーチ・スタッフからの連絡、ファン・サポーターからのSNSへの書き込み……。島川はすべてを受け止めた。

「一緒にやっていた選手、監督さん、強化の方、本当にいろんな人から連絡をいただいて、鳥栖や大分、今まで在籍したチームの後輩からは『寂しいです』『嘘ですよね』と。僕を知っている方たちは『お前らしいな』と決断を尊重してくれました。何人かの先輩には、『バカ野郎!』とお叱りを受けましたけどね(苦笑)。すごく嬉しかったのは、徳島の後輩たちから熱いメッセージをもらったこと。自分のチームの去り方は、決して褒められたものではない。批判されることも理解しています。そのなかで、チームメイトの後輩からのメッセージはありがたいというか、何か感じてくれたものがあったなら嬉しい気持ちです」

 恩師の去就について多くを語らないが、島川にとって吉田監督はサッカー人生において特別な存在だ。

「昨年オフにオファーをいただいていたクラブの方にも、迷惑をかけたくなかったので、『もし徳島からオファーが来た場合は徳島に行きます』と伝えていました。実際に徳島からオファーをいただいたのが昨年末頃。ほかのチームとしては、編成の都合上早く決めてほしいところですけど、(決断を)待っていただけない場合は断る覚悟だったくらい、僕らの世代のメンバーにとって、達磨さんは影響力のある人。そんな人に出会えることなんてごくわずか。だから、達磨さんに出会えたのは本当に幸せです」

 シーズン途中でのまさかの退団。島川は、「正直、3か月しかいなかったので、徳島愛を語るようなことはできない。むしろ失礼」と前置きしたうえで、「選手、コーチングスタッフ、トレーナー・マネージャーの方々に出会えて、3か月でしたけど、一生付き合ってきたいと思う選手にも、年上・年下で尊敬できる選手にも巡り合えて本当に良かった」と徳島での日々に思いを馳せた。

(後編に続く)

[プロフィール]
島川俊郎(しまかわ・としお)/1990年5月28日生まれ、千葉県出身。柏U-18―仙台―東京V―秋田―仙台―秋田―山口―栃木―甲府―大分―鳥栖―徳島。J1通算104試合・2得点、J2通算23試合2得点、J3通算78試合4得点。27歳でJ1初スタメンを掴んだ遅咲きのボランチ。柏アカデミー、甲府時代に指導を受けた吉田達磨監督の下で戦うべく、今季から徳島へ。守備のユーティリティーとして開幕から7試合すべてに出場していたなか、4月1日に電撃引退を発表した。今後は愛車ゴードンミラーで日本一周をする予定。(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)