日立製作所・真砂勇介【写真:川村虎大】

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元ソフトバンクの真砂は昨季から日立製作所でプレーしている

 怒涛の2年間、支えてくれたのは愛妻だった。2022年までソフトバンクでプレーした真砂勇介外野手は、昨季から日立製作所でプレーしている。慣れ親しんだ福岡を離れて1年が過ぎた。「妻には相当しんどい思いをさせているので」。恩返しを誓う。

 2022年10月。宮崎で行われていたフェニックス・リーグ参加中に電話が鳴った。球団からだった。「僕も10年間やって、そういう(戦力外になった)先輩は見てきたので。秋になって薄々『やばいな』とは感じていました。心構えはできていたので『はい。そうですか』という感じでしたね」。

 自身はすぐに受け止めることができたが、妻は違った。同年に結婚して初のオフに受けた通告。電話で報告すると号泣した。「僕は『大丈夫、大丈夫』って感じだったんですけど、妻は泣いていましたね。僕の身になって考えてくれての涙だったと思います」。一緒に悲しんでくれたことが嬉しかった。

 もう一度、NPBの舞台を目指して12球団合同トライアウトを受けたが声はかからず。そんな中、11月後半に日立製作所の和久井勇人元監督から声がかかった。妻からも「悔いの残らないようにやってほしい」と言われ、NPBへの未練もあった。それでも「サポートすると言ってくれたので。なんとかご飯を食べさせないといけない」。社会人野球の門を叩いた。

昨春は中国代表でWBCに出場…目指すは都市対抗出場

 両親が中国出身だったため、昨春のWBCでは、中国代表に声がかかった。入社前ということもあり、悩みに悩んだが、和久井元監督、会社の後押しもあり、出場を決意。東京ドームで野球日本代表「侍ジャパン」との対戦を見に来た妻は、笑顔で真砂の雄姿を見届けた。

 社会人野球1年目の今季、日立製作所は日本選手権と都市対抗野球の出場を逃した。自身も“元プロ野球選手”として活躍するのが当たり前と思われる立場。「プレッシャーとかはなかったですが、試合開始時間や練習の時間など今までと違う環境に慣れるのは少し時間がかかりましたね」と振り返る。

 ソフトバンクを戦力外になった後、救いの手を差し伸べてくれた和久井元監督は昨年限りで勇退。「和久井さんを最後に都市対抗に連れていけなかったのは責任を感じています」と話す。今はもうプロ野球への未練はない。「2大大会に行かないと話にならない」。その言葉には、覚悟が滲んでいた。

 妻と茨城に引っ越して早1年。のどかな環境にも慣れてきた。「自分がどうとかじゃなくて。誰かのためにと考えるようになってきましたね。妻のためにも頑張らないと」。今度は自分が妻を支える番だ。(川村虎大 / Kodai Kawamura)