食品大手ミツカンの創業家が、複数の訴訟で被告になっている。創業家次女と結婚していた元娘婿の中埜大輔氏が、長男の出生後に離婚を強要され子供と引き離されたとして、創業家を訴えている。原告は一審などで続けて敗訴しているが、裁判では創業家の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着が明らかになった――。
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2021年6月、日本外国特派員協会で会見する中埜大輔氏 - 本人提供

■ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた

東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。

勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜(なかの)大輔氏(42)だ。

この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。

判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実認定」として、東京高裁に控訴している。まずは訴訟に至るまでの経緯を説明しよう。

■創業家の一子相伝で経営が引き継がれてきた

愛知県半田市に本社を置くミツカンは、グループ全体で年商2700億円、従業員約3700人、非上場ながら超優良企業である。「しあわせって、どこからやってくるんだろう? しあわせ、ぽん!」のキャッチコピーとともに家族団欒の様子を演出したCMでロングセラーとなっている「味ぽん」は、多くの家庭でもおなじみだろう。

その経営は江戸後期の1804年創業以来、中埜家による男子の一子相伝で、代々の当主は「中埜又左衛門」を襲名し、絶対君主として引き継がれてきた。歴代当主の最重要使命は、事業と莫大(ばくだい)な資産を次代の当主へと継承させることだった、と裁判のなかでも明らかにされている。

そんな名門創業家の婿として大輔氏が迎え入れられたのは2013年のこと。8代目当主・中埜和英ミツカン代表取締役会長兼CEO(当時、以下同)と妻の美和副会長(当時、以下同)の夫妻は男児に恵まれず、2人の娘しかいなかった。その次女である聖子氏と大輔氏は「お見合い」で知り合った。

■婿入りするにあたっての「3条件」と「約束」

大輔氏は慶應義塾大学を卒業後、大手証券会社に入社。その後、外資系金融会社に転職し、当時は香港で働いていた。そこに、社内でプロジェクトチームまで結成して「婿探し」に奔走していたミツカン側から、資産運用で縁のあった上司を通じて見合い話が持ち込まれる。

高校時代ラグビーで鍛えたスポーツマンで8代目と同じく慶大卒の、エリート金融マン――。8代目夫妻も彼こそはと見込み、正式な交際を経て互いに愛し合うようになり、めでたく華燭の典となった。

ただし、入籍にあたって大輔氏は3つの条件を呑まされていた。1つ、金融マンとしてのキャリアを棄ててミツカンに入社すること。2つ、自身の姓を棄てて中埜姓となり婿入りすること。3つ、妻となる聖子氏の財産に対する遺留分放棄(妻が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄)に合意すること。その代わり、近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する、という合意書に署名した上での結婚だった。

そして夫婦は愛情を育み、幸せな結婚生活を送るなか、ほどなくして妻は身籠った。しかも、老舗創業家にとっては待望の男児と判明。ところが、この慶事が将来を約束された順風満帆であったはずの大輔氏の人生を急転直下させることになる。

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ミツカン本社前で抗議活動をする中埜大輔氏 - 本人提供

■息子が生まれて4日、義父母が突然やって来て…

出産の3カ月前、大輔氏夫婦はロンドンに転居していた。すでに役員を務めていた妻の聖子氏はもちろん、ミツカンの社員となっていた大輔氏の英国支店配転によるものだったが、この結果、「英国で出産」という異例の事態となった。

しかも大輔氏は、転居後に和英会長から「1年間の育児休業を取得せよ、その間に転職先を探せ」と命じられる。婿入り時に約束された「近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する」という合意はあっけなく反故にされ、逆にミツカンから出ていけとの命令だ。

そして息子が生まれて4日目の2014年9月1日、義父母がロンドンの大輔氏を訪ねてきた。

「あの日のことはいまも鮮明に脳裏に焼き付いています」

大輔氏はそう振り返る。

「ロンドンの産後ケア施設にいた僕たち夫婦のもとに、突然、日本から義父母がミツカンの常務を引き連れてやってきたのです。そして和英会長は『養子縁組届』なる書面を突き付け、この場でいますぐ署名しろと迫った。生後4日の僕たちの息子を自分たちの養子に差し出せというのです」

■「中埜家に日本国憲法など関係ない!」

「隣にいたミツカン常務は、署名させるため自分のペンを差し出していました。呆気にとられた僕は『せめて夫婦で話し合いたいから一晩だけ考えさせてください』と懇願するのがやっとでした」

しかし、これに対して和英会長は大激怒。

「当主に逆らうのか!」
「この場でサインしなければお前を片道切符で日本の配送センターに飛ばしてやる!」
「中埜家に日本国憲法など関係ない!」
「お前は謙虚という言葉の意味がわかっていない!」

和英会長は大音声で大輔氏を恫喝。産後間もない聖子氏は恐怖のあまりわが子を抱きかかえたまま廊下にうずくまり、鬼面のごとき実の父の形相と怒声に声をあげて泣き続けていたという。

このままでは私たち夫婦は乳飲み子を抱えたまま本当に放逐されてしまう――。

ほとんど錯乱状態となった妻の懇願を受け入れ、結局、大輔氏はその夜のうちに署名せざるを得なかった。

婿として迎え入れる際は甘言を尽くし、いざ男児が誕生するやその子を奪い取るべく脅す。そればかりか、養子縁組届に署名させるや、今度は妻との別居まで命じられてしまう。そして実際、またもや恐怖におののく妻の懇願を受け入れざるを得なくなり、大輔氏夫婦はロンドン市内で別居生活を余儀なくされる。

■長女も7代目当主の祖父と20歳で養子縁組

「とにかく妻は両親からの命令に絶対服従でした。幼い頃からそういうふうに育てられていたのでしょう。別居しなければ強制的に離婚させるとまで脅されていたのです。しかし僕たち夫婦の愛情は変わりありませんでしたから、これも妻の提案で、僕ら夫婦しかアクセスできない会員制サイトに『秘密の家族』と題したブログをつくり、そこで愛情を確かめ合う投稿を互いに続けることで絆はつながれていました」

夫への愛情は大切にしながら、親に対しては面従腹背――。妻・聖子氏のそんな態度を理解するには、ミツカンおよび中埜家において当主・和英会長と美和副会長夫妻がいかに絶対的な権力者、君主であったかを説明する必要がある。その一端は裁判でも明らかにされた。

夫妻には冒頭で触れた通り2人の娘がおり、聖子氏は次女。婿をとっての跡継ぎは当然、4歳上の長女・裕子氏(現ミツカン社長)が担うはずだった。実際、長女は20歳のとき、8代目という実父がいるにもかかわらず祖父である7代目当主の養子となっている。

これは、ミツカン中興の祖として崇められていた7代目の養子とすることで、長女こそ正当な9代目であると内外にアピールする狙いがあったのだろうと見られている。

■「恐怖心から親に絶対服従するしかなかった」

「ところがその直後、東京で大学生活を送っていた長女は男女問題で両親を大激怒させる“事件”を起こしてしまい、失脚。代わりに今度はまだ19歳だった聖子が7代目の養子となり、ミツカン内でも後継者として役員ポストを経験させ、後には代表取締役になっています」

一般家庭の感覚からすれば異様とも思えるこうした家族・親族のもとで育った聖子氏にしてみれば、内心では夫への愛情を守りたいと思ってはいても、やはり恐怖心から親に絶対服従するしかなかったのだろう、と大輔氏も振り返る。

「ロンドンでの別居は、僕ら夫婦にとっては見せかけで、実際には密かに会ったり秘密のブログでお互いを励ましあったりしていました。そのやりとりは後に裁判でも証拠として出しています。けれどその後、和英会長が最初に恫喝した通り、僕に日本の物流センターへの配転命令が出ます。

やむなくいったんは命令に従い単身で日本に赴任しましたが、さすがに僕も唯々諾々と従うのもおかしいと思い、業務上の必要がまったくない不当な配転だと日本の裁判所に仮処分申請を申し立てました。そして3カ月後、申し立ては認められ、配転命令は無効であるという趣旨の仮処分が裁判所によって決定したのです」

■「秘密のブログ」で夫婦の交流は続いていた

にもかかわらず、ミツカンは配転を取り消すどころか何らの対応もしないまま約1年、仕事も与えず自宅待機をさせたまま。さらに追い打ちをかけるように、聖子氏の名前で離婚調停を申し立てられる。これは不成立に終わるが、さらに離婚を求める訴訟を起こされる。訴訟の名義は聖子氏だが、その間、聖子氏はロンドン居住のまま、前述した夫婦だけの秘密のブログで語り合っていたという。

そのブログで、離婚訴訟の代理人弁護士がミツカンの顧問弁護士であり、驚くべきことに聖子氏は自身の代理人であるその弁護士の名前も知らず相談すらしたこともなかったことが明かされたという。

写真=iStock.com/Delmaine Donson
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Delmaine Donson

「それでも彼女は僕に対し、秘密のブログで夫婦の交流が続いていたことや誰にも内緒で密かに会っていたことも、何があっても口が裂けても一切口外せず両親に隠し続けることを懇願しました。僕は心底悩みましたが、両親に対する怯え方があまりにも尋常ではなかったし、その恐怖心に押しつぶされそうになっている彼女を傍でみていて、やはりその約束を固く守り続けるしかないと覚悟を決めるしかありませんでした」

結果、離婚請求は最高裁で確定。その直後、一連の経緯についてメディアからの取材に応じたことが会社に不利益をもたらしたとしてミツカンからも解雇され、完全に放逐されてしまう。

■4年以上も会えず、写真すら見せてもらえない

「結局、僕はミツカンと中埜家にとっての悲願だった男児跡継ぎを誕生させるための“種馬”として利用されただけなのでしょう。実際、一連の過程で入手した向こう側の極秘文書や音声のなかでも、義父母らがそうした発言をしている証拠が次々に出てきました。でも、僕は決して種馬なんかじゃない。妻と心から愛し合ったからこそ結婚し、その結晶として息子に恵まれた。

当たり前のことですが、僕は息子を心から愛しています。ロンドンではオムツや食事の世話などもずっとしていました。でも、そんな可愛い息子を奪われてしまい、すでに4年以上も会えていないどころか声も聴けず写真すら見せてもらえない。

息子はもう9歳。ひょっとすると、僕との想い出、記憶も薄れているかもしれず、なぜ自分が父親のいない生活を送らされているかも知らないままかもしれません。だから、息子のために、息子を取り戻すために、僕は断固として闘うことにしたのです」

息子を奪われ、離婚に追い込まれ、ミツカンを放逐されてしまった大輔氏は、2つの裁判を起こした。1つは、義父母であった和英会長、美和副会長を相手取った精神的苦痛による3000万円の損害賠償請求訴訟。もう1つが、冒頭で触れた対ミツカンの1億円訴訟だ。

■判決に耳を疑い、悲鳴にも似た叫び声をあげた

前者の訴訟は今年2月に敗訴した。東京地裁判決では「次女は中埜家の家風や価値観を大事にする考えを持ち、子が生まれた場合は両親と養子縁組させる可能性があると、婚姻前から大輔さんに説明していた」と指摘。次女は離婚する意思があったとして「前会長夫妻が強要する必要はなかった」と判断した。大輔氏はその後控訴したが、11月の控訴審でも敗訴している。

そのため後者の判決に望みを託していたが、冒頭で触れた通り完全敗訴だった。

法廷内にどよめきが流れたのには理由がある。

大輔氏がロンドンで妻子との別居を命じられたあと突如関西の配送センターに配転され、それが不当であるとする仮処分の申し立てが認められたことはすでに触れた。

今回敗訴した訴訟は、この仮処分決定を受けてのいわば本訴であるため、当然、仮処分の認定に沿った判断が下されると大輔氏自身も支援者らも信じていた。だからこそ、判決に耳を疑った。「ええええーーーーーっ」。裁判官が退廷した直後に悲鳴にも似た叫び声をあげた大輔氏が改めて言う。

■「片道切符で日本の配送センターに飛ばしてやる!」

「判決文を精査しましたが、あまりにも不当というより杜撰な審理に愕然とし、怒りを覚えました。日本の司法がまさかこの程度のいい加減なものとは……。僕の主張には、すべてに揺るぎない証拠があるのです。メール、会話を録音した音声データ、それに義父母らとミツカンの役員、顧問弁護士らが策謀を巡らしていた秘密協議の議事録などなど。それも、一部ではなく膨大なものです。

それらは証拠として採用もされているし、それにともなった証人尋問でもそれらの証拠は偽造などでもなく本物であると認定されています。にもかかわらず、判決文では、そうした証拠にもとづく僕の主張の事実整理すら行われておらず、証拠を無視し、あえて判断を避けているとしか思えない内容になっているのです」

例えば、大輔氏の長男が生まれた4日後に和英会長が養子縁組届書に署名を迫った際に怒声とともに浴びせた「この場でサインしなければお前を片道切符で日本の配送センターに飛ばしてやる!」との言葉は、後日、和英会長と美和副会長、それにミツカン役員が謀議した際の録音音声データが証拠採用され、裁判でも発言を認めていたにもかかわらず、判決では「許容範囲である」としてスルー。

■被告人が証言していないことまで判断している

また、同謀議でミツカン顧問弁護士が、大輔氏への配転命令が法的に不自然にならないように注意すべきであるとか、離婚させるタイミングなどについても詳細に意見を述べているメモも証拠採用されているものの、判決ではこれについての言及は一切なく、完全スルー。

大輔氏の代理人弁護士のひとりである野崎智裕弁護士もこう憤る。

「これだけ具体的な証拠の数々があり、被告側の証人尋問でも認めている事実が少なくないのに、そうした証言内容についてはほとんど触れていないという異常な判決です。

逆に、和英会長の『片道切符で飛ばす』云々の発言については、本人尋問でも発言を認めているのに、判決文では『(大輔氏に)カツを入れようとして言った言葉である』などと、発言した本人はそんな証言などしていないのに、まるで被告側に忖度(そんたく)したかのような判断をしています。

加えて、大輔氏が“飛ばされた”先の配送センターは実は社内の異動ではなく別法人への出向であるから、労働基準法に照らしても本人への面接や説明が必須であるのに一切ないままの命令でした」

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■「愛する息子に会いたい、父子の絆を取り戻したい」

「しかし裁判所はこの点についても、被告側は主張していないのになぜか忖度し、出向であることは認められるが配置転換に準ずるから問題なし、と信じられない判断をしています。こんな判断がまかり通って判例にでもなろうものなら、すべての労働者にとって極めて不利な恐ろしい状況になってしまいますよ。判決内容のすべてが、近年まれに見る異常な不当判決です」

ちなみに、当事者であった和英会長は訴訟中の2022年8月、急性心不全のため死去。現在、妻の美和氏が会長、一度は失脚させられた長女の裕子氏が社長となっている。大輔氏の元妻・聖子氏は一時は代表取締役だったが、現在は長女と逆転して副社長となっている。

大輔氏は、今後は日本ばかりか英国でも法的な闘争を続けていくという。

「愛する息子に会いたい、父子の絆を取り戻したいという一心でこれまで約9年間、日本で闘ってきましたが、日本の司法には心底失望しました。もちろん日本での闘いも続けていきますが、今後は英国でもミツカンを提訴します。英国はもともと『親子の権利』を非常に尊重する国で、親子の交流は基本的人権であるという意識が根付いています。

■海外では英高級紙『THE TIMES』が報道

そして実際、まだロンドンに居住していた2018年、僕は英国の裁判所に親子の交流権を申し立てて完全勝訴し、英国裁判所が『父子をすぐに交流させよ』と命令を下したため、僕と息子はつかの間の再会を果たしているのです。ところが義父母、ミツカンらは姑息(こそく)にも『英国ではなく日本で判断すべきだ』と日本の家庭裁判所に逃げ込み、英国裁判所の命令を無視して親子の引き離しを続けているのです」

今回大輔氏が英国での闘いを決意した背景には、元妻・聖子氏がロンドンに居住していると思われることと、一連のこの事件について、英国でも大々的に報道されている事実がある(英高級紙『THE TIMES』2021年6月24日付)。

さらに、大輔氏はミツカンを解雇された直後の2021年6月、外国特派員協会からの求めに応じる形で記者会見も開いたが、多くの外国人記者らが驚きをもって質問してきたという。

「このような親子引き離しは重大な人権侵害だし、児童虐待として犯罪行為に当たるのではないか、という指摘もありました。日本の大手メディアは関心を示しませんでしたが、欧米ではその後、例えば英国の『BBC』が親子の権利、子どもの権利をないがしろにしている日本の親子法制などを問題視する特集番組を報道しています」

英BBCといえば、一連のジャニー喜多川氏による性加害問題をいち早く世界に向けて報道し、日本の大手メディアも無視できずにその後の流れを導いたことでも知られる。

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■ミツカン広報「子供が養子となった事実はない」

こうした一連の経緯について、ミツカングループ広報は、「本件につきましては個別の取材はお受けしておりません」としたうえで、「中埜大輔氏と聖子の間に生まれた子供は、中埜和英、美和の養子となった事実はございません」と、養子の件については否定した。

これは正確に表現すれば、養子縁組を「しなかった」のではなく「できなかった」のである。

大輔氏が、息子の誕生から4日後に和英夫妻から養子縁組届に署名を強要され、その夜のうちに署名せざるをえなかった経緯はすでに触れた。2014年9月のことである。

そして実際、和英夫妻は翌2015年1月、署名させた届けを添えて、夫妻の居住地である愛知県半田市の市役所に養子縁組書類を提出している。

しかし、それは市役所によって拒絶されたのだ。なぜなら、大輔氏は無理やり署名させられたあと、妻と話し合ったうえで、2014年12月、日本大使館に養子縁組届の不受理届を提出していたのである。強要されて署名はしたものの、なんとか息子を奪われないようにしたいという父親としての必死の抵抗だった。

その1カ月後に和英夫妻は半田市役所に提出したものの、実父による不受理届が有効であったために養子縁組できなかったのである。この経緯は、裁判で和英夫妻側も認め、事実認定されている。

大輔氏の「父子の絆を取り戻す闘い」は、今後は海を越えて英国でも展開される。「どうしても男児を世継ぎにしたかった」という異様な家族関係は、海外であらためて注目を集めそうだ。

(ノンフィクションライター 吉田 修平)