「ガッツch」を運営する、いわゆる私人逮捕系YouTuberの男ら2人を警視庁が逮捕。褒めそやす人たちにも問題があると、筆者は指摘します(「ガッツch. 痴漢盗撮駆逐プロジェクト」Xより)

このところ、「私人逮捕系YouTuber」のニュースが話題になっている。これまでも「迷惑系」や「暴露系」といったYouTuberが世間を騒がせていたが、その延長線上にある存在だといってよいだろう。

筆者はネットメディア編集者として長年、SNS上の倫理観について考えてきた。タイムラインに身を委ねる日々で感じているのは、年を追うごとに「ネットでの私刑」が先鋭化して、それを見て「勧善懲悪でスカッとした」と褒めそやす人々が増加しているのではないかーーということだ。

私人逮捕系YouTuberの男らを警視庁が逮捕

YouTubeチャンネル「ガッツch」を運営する、いわゆる私人逮捕系YouTuberの男ら2人を警視庁が逮捕したと、2023年11月20日に報じられた。X(旧ツイッター)のトレンド欄には「ガッツ逮捕」の文字が躍り、マスメディア各社も相次いで報じた。

各社報道によると、容疑者らは今年8月、ネット掲示板でやりとりしていた男性に、新宿駅まで覚醒剤を持ってくるよう依頼。容疑者は一方で、警察にも通報し、男性を職務質問するよう、駆けつけた警察官に促した。今回の逮捕容疑は、覚醒剤の持参をそそのかしたことによる、覚醒剤取締法違反(所持)の教唆だという。

「ガッツch」はこれまでも、盗撮や痴漢などの行為をしたとして、一般人の身体を拘束する行動を「私人逮捕」と称し、その様子をとらえた動画をYouTube上に投稿していた。こうした動画で再生数を稼いでいるのは、ガッツchだけではない。

警視庁が11月13日に逮捕した「煉獄(れんごく)コロアキ」を名乗る、私人逮捕系YouTuberもそうだ。彼は今年9月、一般女性を「チケットの不正転売に関わった」として撮影し、YouTubeに投稿。これによる名誉毀損の疑いが持たれている。


(「煉獄コロアキ」Xより)

警察官などによらない、いわゆる「私人逮捕」は、制度としては実在している。刑事訴訟法第213条で「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」と明文化されているが、その条件もまた、厳格に定められている。

同第212条によると、現行犯人の定義は「現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者」であり、また、(1)犯人として追呼されているとき(2)贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき(3)身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき(4)誰何されて逃走しようとするとき。以上のいずれかにあたる者が「罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるとき」も現行犯人と見なされる。

より詳しい解説はプロに任せるが、こうした法的根拠があるにもかかわらず、このごろ言葉としての「私人逮捕」がひとり歩きしている感は否めない。事実、ネット上では法曹関係者から、「現行犯人と言えるのか」といった指摘もなされている。

金儲けや名声のために「私人逮捕」が行われるまで

フジテレビなどの報道によると、「ガッツch」の男は、逮捕前に「私人逮捕を世に広めたのは自分だ」と話していたという。たしかにニュースの見出しになったのは、彼の影響も大きいだろう。しかし筆者が思い出したのは、数年前に話題になった事例だ。

かつて、元参院議員の立花孝志氏が立ち上げた「NHKから国民を守る党」(度々の名称変更を経て「政治家女子48党」となり、現在は党首の地位をめぐり、「みんなでつくる党」「NHKから国民を守る党」が争っている)は、選挙演説中のヤジに対し、選挙妨害だとして、110番通報の上で「私人逮捕」する動画をYouTubeに投稿していた。いまも立花氏のチャンネルには、2019年の動画が残されている。

おそらく当時は、「主張する手段」としてのYouTube投稿だったのだろう。しかし、時代の変化にあわせて、「私人逮捕の様子は、金を生むコンテンツになる」と認識する人々が増えるようになったようだ。

その数年の間には、いわゆる「迷惑系」や「暴露系」と呼ばれるYouTuberが、着実に市民権を得てきていた。ガーシー元参院議員や、へずまりゅう氏らの背中を追いかけて、「一旗揚げよう」と思う人たちが増えてもおかしくはない。

こうした背景には、もしかすると「現状が変わりそうもない」といった悲観があるのかもしれない。勧善懲悪による「世直し」で、先の見えない時代に突破口を開ける、そんな存在を求めている可能性は否めない。また、ここ数年では、滝沢ガレソ氏をはじめとした「炎上系インフルエンサー」の影響も大きいだろう。

ただ、SNS上での人気を集め、収益を高めていくからには、「支持者」の存在が前提だ。そのためには、まず知名度を上げる必要がある。では知ってもらうには……となると、どんどん過激な内容に手を出していくのも、賛同はできないが、流れとしては理解できる。

このような前提を踏まえて、「私人逮捕系を称賛する人に欠けた視点」を考えてみると、以下の3つが浮かんだ。

(視点1)無実の誰かを傷つける可能性がある
(視点2)その「無実の誰か」に自分がなる可能性もある
(視点3)わかりやすい「勧善懲悪」に踊らされ、冷静な判断ができていない

「無実の誰か」を傷つける場合もある

それでは、ひとつずつ見ていこう。

(視点1)無実の誰かを傷つける可能性がある

「私人逮捕」を行い、警察に引き渡すまでの一連を、動画に収めて投稿する。動画は再生数を集め、視聴者は爽快感を得て、YouTuberは収入を得る……それでよくない? と考えるネットユーザーも、おそらく一定数いるだろう。

しかし、これはあくまで視聴者側の視点だ。コロアキ氏の事案がそうだったように、無実の誰かが「濡れ衣」を着せられてしまう可能性があるからだ。

また、仮に逮捕容疑が順当だったとしても、警察の捜査に支障をきたすおそれがある。YouTube上に「モザイクなしの顔出し動画」が残り続けていることにより、捜査のみならず、起訴や判決にまで影響が及ぶ可能性もある。

「撮って、アップして、それでおしまい」という簡単なものではないのだ。

(視点2)その「無実の誰か」に自分がなる可能性もある

現実に起きているように、私人逮捕系YouTuberの動画には、勘違いによる「濡れ衣」も存在する。それは裏を返すと、喜んで見ていた視聴者自身や、大切な人が、その「無実の誰か」になってしまう可能性がある、ということを意味する。

ひとたび汚名が着せられてしまうと、そんな簡単に拭えるものでないのは、改めて言うまでもないだろう。

たとえYouTuberが謝罪動画を出したところで、世間はインパクトのある「初報」だけを記憶している。「続報」は再生数も伸びず、ネットの波に消える。「続報」が届いたとしても、「火のない所に煙は……」と思われる場合もある。いずれにせよ、残るのは汚名だけだ。

たとえ勘違いだったとしても、職場やプライベートに影響が出ることもあるだろう。本人に釈明の機会があればまだしも、一方的に関係を絶たれてしまえば、どうすることもできない。

うのみにせず、「自分の価値観」で判断してみる

(視点3)わかりやすい「勧善懲悪」に踊らされ、冷静な判断ができていない

最後のひとつは、コンテンツとの向き合い方だ。

「勧善懲悪もの」は、善悪がハッキリしているからこそ、それなりの支持を集める。その反面、構図がわかりやすいため、考える余地なく受け入れる人も珍しくない。「○○さんが言うなら、その通りなんだろう。私も懲らしめなきゃ!」などと、うのみにしないように、立ち止まって「自分の価値観」で判断してみることが重要だ。

あの「水戸黄門」だって、初っぱなから、ご老公は印籠を取り出さない。「山吹色のお菓子」が飛び交う様子が映し出され、視聴者が「あいつは悪代官だ」と共通認識を抱いて、ようやく「懲らしめてやりなさい」となる。

ここまで綴ってきた筆者に対し、「そうは言っても、本当に私人逮捕が必要な場面もあるのでは?」と思う読者もいるかもしれない。たしかに、それはそうだろう。私人逮捕そのものにバイアスがかかることは、筆者としても望んではいない。

ただ、私人逮捕系コンテンツの根底には、発信者であるYouTuber自身に加え、受け手である視聴者の抱える問題もあり、そこが変わらない限り、同様の問題は、絶えず繰り返されるのではないか。

今後も「××系YouTuber」は続出し、他のSNSにも広がるだろう。だとすればネットユーザーが「コンテンツの審美眼」を養うことが重要となる。YouTuber逮捕で終わりじゃない、重要なのは「その後」なのだ。

(城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー)