30代で妻と死別した夫が、その後に選んだ意外な人生とは?(イラスト:堀江篤史)

人は失敗からしか学べない。だから、まったく同じ失敗をしなければ大丈夫――。

最初の結婚が破綻してしまったとき、筆者はある人からこんな言葉をかけてもらった。同じ失敗だけはしないようにと心がけ、二度目の結婚生活はなんとか平穏に続けられている。

ただし、失敗がトラウマのようになってしまう側面もある。筆者の場合は最初の結婚相手から「家長としての甲斐性」を求められたけれど応えられなかった。自分にはその気概も能力もないと思い込んで現在に至る。たまたま学生時代の同級生と知り合って再婚したが、いわゆる婚活の場で相手を見つけるのは難しかったと思う。

27歳で結婚、37歳で妻と死別したという悲しい過去

筆者とは別の形で再婚に苦労をした男性がいる。首都圏にあるメーカーで契約社員のエンジニアとして働いている石橋誠さん(仮名、49歳)だ。

27歳のときに15歳年上のシングルマザーと結婚し、37歳のときにその相手と死別した悲しい過去がある。当時は技術系の国家公務員だったという誠さんは、ショックのあまり自分の生き方に疑問を覚えるようになって退職。介護職や建設現場の仕事などを経て、現在に至る。

「建設系の公務員だったので、癒着を防ぐために民間企業の人たちとの交流を制限されていました。以前からそれにもどかしさを感じていたし、学校から就職先までを親が敷いたレールを進む人生でいいのだろうか、と思い直したのです」

Zoomでのインタビュー取材に応じてくれた誠さんは清潔感のある外見で、若々しく率直な口調で話してくれる。他界した明美さん(仮名)とは文通で知り合って3年間交際して結婚。初めて付き合った女性だったという。

「彼女は僕と結婚するまでは夜の仕事をしていたので、お酒を飲むことが習慣になってしまっていました。遺伝的に糖尿病のリスクが高かったのですが……。血糖値の管理などが不十分で透析になり、最終的には衰弱して亡くなりました」

誠さん自身も自己管理とは程遠い生活だったらしい。公務員の信用力でクレジットカードは「作り放題」。趣味の車にお金をどんどん使ってしまい、ローンの返済に追われる日々。お酒は飲まないけれど食べたいだけ食べていたら、身長160センチなのに体重は85キロにまで達してしまった。現在はロッククライマーのように細身な誠さんからは想像もできない。

「それでも夫婦仲は良くて楽しい結婚生活でした。一人で過ごすよりも、誰かと人生を分かち合いたいという気持ちは死別後も変わっていません」

再婚を目指した誠さんが決めた「2つの条件」

明美さんとの間にも子どもが欲しいと思っていたが、彼女の病気が進行したこともあってかなわなかった。8年前に再婚を目指して婚活を始めたとき、誠さんの中には譲れない2つの条件ができあがっていた。

1つ目は子どもを作ること。自分自身は40代に突入していたが、お見合い相手の女性は35歳未満に限定した。国家公務員のままだったら可能だったかもしれないが、契約社員の立場では難しく、結婚相談所では1年半の活動で2人としかお見合いができなかった。

2つ目の条件はさらに結婚のハードルを上げるものだった。「前の結婚は夫婦ともに自己管理ができず、前妻は医者のモルモットのようにされて亡くなってしまった」という思いが強烈にあり、自分だけでなく結婚相手にも徹底的な自己管理を求めたのだ。酒やたばこはもっての他で、出産も子育ても病院や学校にできるだけ頼らないという方針である。

「グータラしているような伴侶を守っていきたいとは思わないからです」

こんなことを公言していたら、数少ないお見合い相手からも「フェードアウト」されるのは無理がない。しかし、ストイックな誠さんは自己改革と行動も怠らなかった。

「僕は女性からモテないので、伝説のホストのセミナーに出てコミュニケーションスキルを教えてもらいました。まずは男女問わずに人から好かれることが基本なのだそうです。相槌と笑顔の大切さも知りました」

このセミナーで自信をつけた誠さんは他の集まりにも参加。結婚相談所以外でも独身女性との出会いを探すためだ。現在の妻である千晶さん(仮名、38歳)との知り合ったのも、都内で開かれていた「朝活」だった。

お互いにちょっと「ヤバい」2人

「参加者がそれぞれ自分の夢を語る時間があり、家内は『世界平和!』なんて言っていました(笑)。この人、ヤバいな〜という第一印象でしたが、僕の夢に共感してくれたことが心を許すきっかけになり、そのときの妻は30代前半だったので食事に誘いました」

千晶さんが30代半ば以降だったら誘わなかったと言い切る誠さんが語った夢はもっと「ヤバい」。子どもが欲しいけれど医者には頼りたくないので自宅出産をするのが夢だと話したのだ。出産するのは誠さん自身ではないし、まだ結婚相手すら見つかっていない段階である。

それに共感する千晶さんはどんな人なのか。Zoom画面越しには寝グセがついたままのショートカットとメガネ姿の女性が緊張気味に座っている。家の中もかなり散らかっているのが見え、誠さんが要求する「自己管理」が得意な人には見えない。その点については後ほど触れる。

誠さんとの出会いの場となった朝活に参加したとき、千晶さんはまだ前の夫との離婚が成立していなかった。生活費の使い込みと暴力に耐え兼ねて逃げ出し、マンガ喫茶やシェアハウスを泊まり歩いている状況だった。

「前の夫とは婚活パーティーで知り合って、28歳のときに結婚しました。キレやすい人だとは知っていたのですが、結婚後には鉄道の趣味にお金を使い過ぎて家賃を半年も滞納していることがわかったんです。私の名義でカードローンもされてしまい、それに抗議したら殴り合いのケンカに……。女の私がかなうわけもなく、背負い投げとかをされました」

前夫は家を出た千晶さんにも暴力的な内容のメールを送り付け、それが証拠の一つとなって離婚が成立。千晶さんとしては不幸中の幸いである。

「その朝活には前からずっと参加したかったんです。いろんな人に会うことで自分を変えたかったから……」

自宅出産の夢を語る誠さんについてはすぐに安心感を覚えたという。ユーモアがあって明るかった祖父に雰囲気が似ていると思った。

「私は両親に育児放棄をされてしまい、3歳の頃から祖父母に育ててもらいました。前の夫と離婚調停をしていた頃に祖父が亡くなり、その1年後には祖母が他界。主人が支えてくれました」

義務教育は「自宅」での予定

千晶さんは誠さんと再婚してすぐに妊娠し、今では3歳と1歳の娘に恵まれている。誠さんの方針で、子どもたちは幼稚園には通わせず、義務教育も自宅でのホームスクールで全うさせる予定だ。

「勤務先まで徒歩10分のところに住んでいますが、それでも9時から18時までは仕事です。子育てに比べれば、お金を稼ぐだけなのは楽ですよね。一日中、娘たちと向き合っている家内には尊敬と感謝しかありません」

そんな誠さんだが、結婚の理想がすべて実現したわけではない。子どもが小さいので当然ともいえるが、「雑過ぎる」性格を自認する千晶さんが完璧に家事をこなすのは難しいようだ。

誠さんは水回りの汚れなどが気になって仕方がない。しかし、それをストレートに言葉にすると千晶さんは落ち込んでしまう。自分も主体的に家事をしつつ、言い方を工夫する日々だ。

「職場の人間関係は上っ面で済みますが、家族はそうはいきません。言い方を変えつつも自分が言いたいことを伝えなければなりません。家内だけでなく、子どもとのコミュニケーションでも日々、学んでいます。言い争うことがあっても、寝るときは笑顔で!が我が家のこだわりです。自己成長が僕の生き方の軸なので、再婚して本当に良かったと思っています」

不器用だけどとにかく真っすぐで前向きな誠さん、そんな彼を全面的に頼りつつも自分の性格までは変えられないと割り切る千晶さん。かなり変わった夫婦だけど、前の結婚で経験した失敗を繰り返さないことだけは確かだと思った。

(大宮 冬洋 : ライター)