井上尚弥が実践したフルトンKOの作戦に、いとこ・浩樹は「先に言っといてくれよ!」
井上浩樹が語る井上尚弥のフルトン戦 前編
井上尚弥(大橋ジム)は、7月25日のWBC・WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチでスティーブン・フルトン(アメリカ)に8回TKOで勝利し、日本男子2人目の世界4階級制覇を達成した。階級をひとつ上げた初戦の相手が、一度もダウンを喫したことがなかった2団体統一王者のフルトン。苦戦を予想する声もあったが、井上の強さがスーパーバンタム級でも抜きん出ていることを証明する試合になった。
フルトンにTKO勝ちを収め、父でトレーナーの真吾さんと抱き合う井上尚弥
――尚弥選手が4階級制覇を成し遂げた瞬間はどんな気持ちでしたか?
「号泣しました。これまでと違って、尚弥が不安を抱えている雰囲気も感じていましたから。今までで1番高い壁に挑戦するのを間近で見てきたので、それに打ち勝ったすごさなど、いろんな感情が僕の中で爆発しました」
――尚弥選手は不安を抱えていたんですか?
「何が何でも勝ちたい、という気持ちがかなり強かったという感じですかね。『勝ちたいな』とつぶやいたり、珍しく『勝てるかな?』って聞いてくることもありましたから。会見や試合をしている姿だけを見たら、そうは思えないでしょうけど」
――階級をひとつ上げて、2団体を統一しているフルトン選手と戦うのは、やはりプレッシャーや不安もあったということでしょうか。
「そうだったんだと思います。階級を上げて新たな挑戦ということもあるでしょうが、フルトンは体が大きく、バネがあって足を使って長いジャブをついてくるという、これまでに戦ったことのないタイプの選手でしたし。実際に相対してみないとわからない部分が多かったので、不安もあったんだと思います」
――『勝てるかな?』と聞かれた際、浩樹選手はどう答えたんですか?
「『責任は持てないけど、大丈夫だろ』みたいな感じです。過度に励ますとか、盛り上げるということもなく、いつもと変わらない会話をする感覚ですね」
――そうして試合を迎え、尚弥選手は8ラウンドにダウンを奪いました。
「その瞬間、僕は選手がリングに上がる階段の正面くらいで見ていたんですが、そこで飛び跳ねました。興奮しすぎていてよく覚えていないんですけど、足のスネをどこかに強打したみたいで、そこが何日か腫れてました(笑)」
――あらためて試合を振り返ると、序盤は尚弥選手が圧倒し、中盤はフルトン選手が出る展開になりました。試合後の会見で、尚弥選手が「中盤はあえてペースを落とした」と話していましたが、展開は予想どおりでしたか?
「そんな意図や作戦があったのは知らなかったので、『先に言っといてくれよ!』と思いましたよ(笑)。さすがに心配しちゃいましたからね。4ラウンドまでは、尚弥がハイペースで前に出てパワーパンチも当てていた。でも、そこからフルトンが出てきたので、『尚弥のパンチに慣れてきちゃったのかな』と。フルトンは体が大きいので、尚弥がパンチを当て続けてもなかなか疲弊しないのかとも思いました。
逆に尚弥は強いパンチを打っていたので、その疲れが出てきたのかもしれないという不安が頭をよぎりました。もし、中盤からフルトンがペースを握って残りのラウンドを全部取られたら、判定負けになるかもしれないという最悪のシナリオも。でも、試合後にあのコメントを聞いて、『なんじゃそりゃ』となりましたよ(笑)」
――中盤にペースを落とした作戦は、セコンド陣も知らなかったということですか?
「それは確認していませんが、おそらく尚弥の判断じゃないでしょうか。闘っている本人にしかわからない部分もあるので、『フルトンがなかなか出てこないから、ちょっと探ってみよう』と、一瞬のひらめきがあったのかもしれない。それが『ペースを落とす』という判断につながったんじゃないでしょうか」
――強敵のフルトン選手をあえて前に出させることは大きなリスクもあると思いますが、その結果、倒してしまうのですから見事としか言いようがありません。
「そうですね。作戦どおりすぎて怖いなって思います(笑)。最後も完璧な沈め方で、ホントにすごいとしか言いようがないですよ」
――先ほど、尚弥選手が序盤にパワーパンチを当てていたという話が出ましたが、確かに強振するシーンが印象に残りました。尚弥選手は「1〜4ラウンドを絶対に取らせない気持ちでやっていた」と試合後に語っていましたが、強振することに怖さはなかったですか?
「そういったパンチに対して、フルトンが避けて打ち返したり、カウンターを合わせたりすることがあまりなかったんです。ディフェンスで精一杯な感じ。それがわかっていたから、尚弥もあの攻撃を続けたんだと思います。尚弥の打ち終わりの位置取りや反応を見ても、隙はなかったですし、狙われる怖さはなかったです」
――3ラウンドには、フルトンのカウンターに対して尚弥選手がさらにカウンターを合わせるという攻防がありましたね(尚弥がボディに左ジャブ→フルトンが右ストレートのカウンター→尚弥が避けて左フックのカウンターをヒット)。
「得意なパターンのひとつですね。フルトンからすれば、ボディを受けながらでも右ストレートを当てたかった。でも、尚弥はジャブでも他の選手とは威力が違いますからね。フルトンはそれを警戒してか、右ストレートを少しためらっているように見えました。あれくらいのストレートだったら、尚弥なら避けられますし、さらにカウンターの左フックを返すこともできます」
――フルトン選手からすると、狙っていたカウンターにカウンターを合わせられるわけですから、精神的にもきつくなるのでは?
「はい、手詰まりになるでしょうね」
――序盤戦では、尚弥選手がL字ガードで闘う時間もありました。
「尚弥は時々、練習でL字ガードをすることもあるんです。前の試合(ポール・バトラー戦)でも見せましたが、今回は長く使っていました。フルトンもL字というか、フリッカージャブの使い手ですが、同じ土俵に立って相手を上回ろうとする、尚弥の意地のようなものがあったのかもしれません」
――フルトン選手のジャブが危険という前評判もありましたが、実際はジャブの差し合いでも井上選手が圧倒しました。
「それは踏み込むスピードの差だと思います。下半身の力、バネ、瞬発力が全然違いましたね」
――その踏み込みを邪魔するためか、フルトン選手が尚弥選手のつま先を踏むシーンがありましたね。
「フルトンからすれば、自身の前足を尚弥の前足のすぐ前に置くか、反則ですけど、つま先を踏めば踏み込みづらくなると思ったのでしょう。フルトンのほうがリーチが長い(尚弥が171cm、フルトンが179cm)ので、踏み込みがなければフルトンのパンチのほうが届くことになります。それを想定して練習していたのかもしれないですけど、通用しなかったですね」
――序盤のフルトン選手は、パンチがまったく届いていませんでした。
「尚弥のバックステップと踏み込みが速いこと、フルトンが尚弥のリターンやパワーパンチを警戒してパンチが伸びなかったことなど、いくつか要因があると思います。フルトンのスタンスが広くて体が沈み、4cmの身長差(尚弥:165cm、フルトン選手:169cm)が感じられなかったことも、フルトンのアドバンテージを少なくする結果になったと思います」
――尚弥選手はあっという間に距離感をつかみ、紙一重でパンチをかわします。そんな「距離を支配する力」についてどう思いますか?
「その能力はずば抜けていますね。試合中に距離感をつかむまでが早い。『万が一、パンチをもらっても大丈夫』という余裕もあるんだと思います。だからギリギリで避けることができて、瞬間的に攻撃に転じることができるんでしょう」
――バンタム級からスーパーバンタム級へと階級が上がったことにより、リミットが1.8キロ増えました。減量や体調管理の様子はいかがでしたか?
「減量の最終段階でも元気でしたよ。『たかが1.8キロ、されど1.8キロ』『やっぱり、これまでよりも元気』みたいな話を尚弥としていました」
――パフォーマンスについてはいかがでしょうか?
「1.8キロ分の筋力が残ったので、瞬発力、スピードも上がっていたように感じました。階級を上げるごとにリミッターが解除されていく感じ。つくづく恐ろしいです(笑)」
(後編:井上尚弥がフルトン戦の直前に「スパーやってくれない?」いとこ・浩樹が感じた恐怖>>)
【プロフィール】
■井上浩樹(いのうえ・こうき)
1992年5月11日生まれ、神奈川県座間市出身。身長178cm。いとこの井上尚弥・拓真と共に、2人の父である真吾さんの指導で小3からボクシングを始める。アマチュア戦績は130戦112勝(60KO)18敗で通算5冠。2015年12月に大橋ジムでプロデビュー。2019年4月に日本スーパーライト級王座、同年12月にWBOアジアパシフィック同級王座を獲得。2020年7月に日本同級タイトル戦で7回負傷TKO負けを喫し、引退を表明したが2022年2月に復帰を表明した。17戦16勝(13KO)1敗。左ボクサーファイター。アニメやゲームが好きで、自他ともに認める「オタクボクサー」。