元プロ野球審判・坂井遼太郎インタビュー 前編(全2回)

 数あるスポーツのなかでも野球のルールは量が多く、難解なものもある。これを頭にたたき込み、状況に応じて的確な判断を下す審判。大変な役割でありながら、その苦労は選手たちの陰に隠れて見えづらい。

 今回、プロ野球審判の経験をもとに現在は"審判系YouTuber"としても活躍する坂井遼太郎さんにインタビュー。"命の危機にさらされた誤審"をはじめ、審判ならではのエピソードを語ってもらった。


元プロ野球審判で現在YouTuberなどとしても活動する坂井遼太郎さん 写真/本人提供

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●1軍の審判デビュー戦で大失敗

 坂井さんが生涯忘れられない試合として挙げたのは2010年8月15日、京セラドーム大阪で開催された阪神対ヤクルト戦。と言っても、優勝がかかった大一番でもなければ、後世に受け継がれる記録が生まれたわけでもない。

「多くの野球ファンにとっては年間144試合のうちのひとつだったと思いますが、僕にとって1軍の審判デビューだったんです。同時に、その後の審判人生を左右するほどの大失敗をしてしまった試合でした」(坂井さん)

 その瞬間が訪れたのは2回裏。阪神(当時)の金本知憲の打球はファウルゾーン上部の天井を直撃し、フェアゾーンに落下。当時のグラウンドルールではそのままプレーが続けられるはずだったが......。(※現在はルールが変更となりファウルとなっている)


2010年、阪神(当時)金本知憲の天井直撃の飛球で誤審があった 写真/共同通信

「一塁塁審だった僕はファウルと判定してしまったんです。あっと気づいた時はすでに遅し。金本さんは走塁をやめた。同時に観客席は、あれ? おかしくないか? とざわつきはじめ、当時の真弓(明信)監督が抗議に出てきました。

 試合は中断。僕の誤審は誰の目から見ても明らかでした。でも、プレーを途中から再現するのは不可能だったため、誤審を認めつつファウルのまま試合続行となったんです」

 この直後、金本が球場の不穏な空気を一掃するようにホームランを打った。誤審からのホームランという珍事は各メディアに大々的に取り上げられた。

●さんざん叩かれ神経衰弱

 日本プロ野球機構(NPB)のコミッショナーが坂井さんに下した処分は、グラウンドルールの確認を怠ったとして厳重戒告、当該試合の出場手当の50%減額。坂井さんは自分の処分よりも周りへかけた迷惑で頭がいっぱいになったという。

「その試合で審判を務めていた3人や審判部長、審判部特別顧問にも厳重注意が課されてしまいました。まだまだ経験の浅かった僕を1軍の審判に抜擢してくれた方々の顔に泥を塗ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。

 あの日、僕を気遣ってネクストバッターにいた城島健司さんが、抗議の行なわれている最中に『こんなミス、気にするな』とそっと声をかけてくれたり、審判の先輩方は『4年間ファームで頑張ってきたんだから、たった一度のミスで辞めなくてもいい』と励ましてくれたり。一度は辞表を出そうと決めたものの、まずは1年間、しっかり審判を務めてみようと思い直しました」


審判時代の坂井さん 写真/本人提供

 だが、心身のショックは大きかった。

「誤審の日から連日眠れず、記者の目も気になり、ネットでもさんざん叩かれました。テレビではどの局も僕の誤審を取り上げていましたね。相当弱っていたので、自責の念がますます強まっていきました。

 その誤審から2日後、福岡へ移動しての2軍の試合。その試合中に熱中症で倒れてしまって救急搬送されました。それからひと月経たない間に、遠征先の高知のホテルでも倒れて病院へ搬送され、そのまま1週間ほど入院しました。高知では心臓を悪くしてしまい、下手すると命を落としかねない状況で。両親や審判の先輩も見舞いに来てくれました」

●落合博満は「審判からの信頼が厚かった」

 プロの審判という仕事は正しくジャッジができて当たり前と思われ、減点方式で評価されてしまう。契約は1年更新。選手のような逆転ホームランはなく信頼を積み重ねていかなければ続けることはできない。

「退院後、僕は1回死んだんだと思ってやり直しを決意しました」

 当時25歳で、大卒なら働いてまだ3年目。

「友人や先輩からは『自分のミスが全国放送で取り上げられる経験はそうそうあるものじゃない』『1軍に抜てきされたのも2軍でずっと信頼されるジャッジを積み上げてきたからこそだよ』などとポジティブな言葉をいろいろかけてもらいました。

 当時のオリックスの新井宏昌・2軍監督、ソフトバンクの鳥越裕介・2軍監督など、僕が誤審後の2軍の試合で倒れた現場にいた方たちには、顔を合わせるたびに『坂井、頑張れよ』との言葉をいただいたり、広島の山内泰幸・投手コーチは1軍の試合中の投手交代でマウンドに上がる時に球審の僕に声をかけてくれたりしていただいたおかげで、心身ともに少しずつ回復していきました」


写真/本人提供

 審判と監督といえば、プロ野球ファンならば落合博満氏を思い浮かべる人も少なくないだろう。2010年、試合中に森健次郎審判の体調不良を見抜いたことは今でも語り継がれている。

「落合さんは審判とのコミュニケーションをとても大切にしていました。何気ない会話からジャッジのクセを見抜くという目的もあったと思いますが、ルールや野球のあり方についてよく意見を交わしていました。審判からの信頼はとても厚かったですね。

 ちなみにナゴヤドームの両翼のポールは41メートルと高い。じつはこれ、リクエスト制度導入にあたって、まずは審判が見えやすいように、球場を改修、適切にジャッジができるようにと、落合さんが球団に提案してくれたからなんです」

●再出発し"機械に勝った男"へ

 監督たちとの交流も支えになり、審判のキャリアを築いていった坂井さん。他に記憶に残るジャッジは?

「今から5年ほど前、オリックス対ソフトバンクの一戦です。翌日のニュースのトップ記事にもなりました」

 2018年6月22日ほっともっとフィールド神戸で行なわれたこの試合は、延長戦となった。10回表でスコアは3対3。ソフトバンクの中村晃の打球がライトポールの際へ飛んだ。打球はあと数センチ内側に入っていれば決勝打となったがファウルボール。

「僕は自信を持ってファウルと判定しました。ベンチでは工藤公康監督が、あー惜しかったなという半笑いを浮かべていたのを覚えています。ダメもとでのリクエストだったと思います」

 しかし、リクエスト検証の結果、まさかのホームラン判定に。

「球場は騒然としました。ベースをまわる中村晃選手ですら、これでいいのかなあという感じでした」

 結局、中村のこの2ランホームランが決勝点となり、後味の悪い試合になった。

「当時、カメラの性能が低く、台数も極端に少なかったので、限られた角度からの映像でしか検証できませんでした。また解像度の高い映像がないなかで、勝敗を決する可能性の高い判定ということも重なり、絶対に間違えてはいけないプレッシャーがあり、検証を行なう僕以外の4人の審判もなかなか答えを出せない状況でありました。

 そんな時、ひとりが『巻いてないか?(入ってないか)』とボソッと呟いた瞬間、ホームランではないかとの意見が引っ張られてしまう集団心理が起きました。判定した僕は意見できないルールなので、最終的にはその意見が採用されホームランとなったんです」

 試合後にはオリックスの福良淳一監督はじめ、コーチ、球団社長とともに異例のビデオ検証が行なわれ、審判団は誤審であったことを認めた。

「誰が悪いとかではなく、間違いなく現場にいた全員が現状できる最大の努力を行なって出した答えでした。しかし、リクエスト制度によって正しい答えから間違った答えに変わってしまうという、あとにも先にもない誤審であったことは事実です。

 全員が正しい判定をしようと全力を尽くしたのに......と当時はしばらく何とも言えない気持ちになりました。ただ今ではこの試合の話になると、冗談半分で唯一"機械に勝った男"だと言っています(笑)。

 試合中には激怒していた福良監督でしたが、シーズン終盤に久しぶりにオリックス戦を担当した時、『お前が一番の被害者やったなあ』と軽く微笑んで話しかけてくださいました。

 判定を巡って、審判対選手、監督のシーンがよく取り上げられますが、みんな野球が好きでともに試合をつくり上げていく仲間。だからこそ、デビュー戦のミスで辞表を出そうとしたあの日から周囲のみなさんに励まされて立ち直ることができたんだと思います」


写真/本人提供

後編<プロ野球選手でも答えられないルール!? スリーバントの誤解、人気漫画の名シーンなど元プロ審判・坂井遼太郎が解説>を読む

【プロフィール】
坂井遼太郎 さかい・りょうたろう 
1985年、大阪府生まれ。金光大阪高卒業後、ジム・エバンス審判学校(アメリカ)での研修を終えて2007年にセ・リーグ審判員となる。2010年には入局4年目の早さで1軍戦に出場。2017年にはオールスターゲームも経験し、2018年にプロ野球審判員を引退。現在は起業し、全国の大学野球リーグ戦を無料配信する事業やYouTuberなどとして活動している。