スタート直後から飛び出し、逃げを打った五島南・川原琉人【写真:荒川祐史】

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陸上部のない中学で全国1位、寄付金で出場した五島南・川原琉人が5000m決勝17位

 長崎の離島からやって来た1人のランナーが魂の逃げで沸かせた。陸上の全国高校総体(インターハイ)第4日は5日、札幌市厚別公園競技場で男子5000メートル決勝が行われ、長崎・五島列島にある五島南の川原琉人(3年)が出場。1周目は先頭に立ち、以降も留学生ランナーの集団に一人混じって力走した。後半失速し、14分20秒77の17位に終わったものの、高校転校、離島で指導者不在の陸上部、資金不足など、さまざまなハンデを乗り越えたレースだった。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

 勇気ある者しか味わえない風を感じた。

 5000メートル決勝。全国で18人だけに許されたスタートラインに立った川原は心に決めていた。「ここまで来たら、守りのレースにだけは絶対したくない。インターハイの決勝で終わるなら順位関係なく、どれだけ自分の全力を出し切れるか」と。

 午後7時号砲。「五島南」のユニホームが、すっと飛び出す。17本がひと塊になった大きな影と、1本の細い影がトラックに伸びた。

 1周目は独り旅。会場もどよめいた。2周目に入ると倉敷(岡山)のサムエル・キバティ(3年)に先頭を譲ったが、以降は留学生5人と川原1人で50メートル以上離し、6人集団を形成。持ちタイムは上位の選手ばかり。オーバーペースは分かっている。でも、自分に嘘をつくのが嫌だった。

「もう、凄く気持ち良くて。ああ、王者の風ってこれなのかって」

 時間にして60秒ほど。たった1周だけど、高校日本一を争う決勝で風を切った。

「今まで(インターハイに)出られなかった2年間、この1周に捧げてきたようなもの。人生経験が上がるようなレースになった」

 2年間――。

 大人からすれば短いような日々に、川原の孤独で長い青春があった。

 長崎・五島列島、福江島の生まれ。山梨学院大で箱根駅伝ランナーだった叔父に憧れ、小1で「陸上やる!」と言った。進学した中学に陸上部はなく、陸上経験者だった祖父・高弘さんの指導を受け、中3で3000メートル全国1位のタイムを出すまでに成長。卒業後は本土にある県内の強豪校に単身渡った。

 しかし、指導者の方針に合わない部分があり、伸び悩んだ。2年生の7月、思い切って転校を決断。選んだのが故郷・福江島にある五島南だった。

 人口3万人。家から最寄りのコンビニまで10キロ、学校まで5キロある。陸上部は5人で長距離は川原だけ。指導者はおらず、祖父と相談しながら練習メニューも自分で考える。午前5時半から朝練を始め、放課後はいったん帰宅して、近所の山と畑に囲まれた農道や土のグラウンドを一人、走り込む日々。

 大会のたびにフェリーなら3、4時間かかる本土に渡る。そんなハンデを乗り越え、7月の北九州総体で1500&5000メートル2冠を達成し、全国切符を掴んだ。

 ただ、困難は続く。今年は長崎から遠い北海道開催。資金面で厳しく、出場が危ぶまれた。そこで学校が立ち上がり、今後の国体出場などを見据えた費用として寄付金を募集。島内外や同級生の保護者らから50万円が大会1週間前までに集まり、参戦が決まった。

「寄付金がなかったら、出場は難しかったです」と川原は言う。だから、生半可な覚悟じゃなかった。

レース後に他校の選手から求められた握手「ナイスラン! また戦おう!」

 必死に食らいついた留学生集団から徐々に離され始める。

 3000メートルを過ぎて7位集団に飲み込まれ、その集団からも脱落。逆に一人、集団を追いかける展開に。でも――。「ここで離れても、諦めるという心だけは持ちたくなかった」。寄付してくれた人たちへの想いで農道で鍛えた脚を回した。

 メガネをかけた顔は苦悶に満ちている。ラスト1周、前を走る選手に追いつく。100メートルを切っても並走状態。とっくに枯れたはずの力を振り絞った。ラストスパートで0秒44競り勝ち、ゴール後、崩れるようにしてトラックに倒れ込んだ。

「ラスト、競り勝つのは目標だった。一人でも勝って、この舞台を終わりたいと」

 優勝した選手から40秒近く遅れ、自己ベストにも及ばない「14分20秒77 17位」。記録に残るのはそれだけかもしれない。しかし、記録には残らない大切なものを一緒に走ったライバルは知っていた。

 レース直後、一人の選手から「マジ、ナイスラン! このまま逃げられたらどうしようって、ずっと思ってた。また戦おう!」と握手を求められた。川原は「行ける限り、留学生と勝負するのが俺の目標だったから。ありがとう!」と返し、差し出された手を握った。

 この1年間、競う相手もおらず、たった一人で走ってきた男を繋いでくれた陸上の絆。

「結果は関係なくて内容が大事だった。自分の力を2000メートルくらいまで出し切れたので、良いレースだったと思います」

 走り終えた川原は、そして、寄付してくれた人たちに何よりも深い感謝を示す。

「この舞台に立って、こういうレースができたのも皆様のおかげなので、皆様への感謝の気持ちを走りで表すしかなかった。こういう大舞台で先頭を引っ張って、全力で挑むという気持ちは伝えられたと思うので(感謝は)伝わったと思います」

 卒業後は関東の強豪私大に進学し、箱根駅伝出場を目指す。

 予選敗退だった1500メートルと5000メートルの予選・決勝と走ったインターハイの全3レース。「今日も最後バテてしまったので、スピードの持続力が課題。速いだけじゃなく、強いと言われる選手を目指して、それに近づきたい」。福江島に戻れば、また一人、農道を走る日々が始まる。

 でも、ちょっとくらい休んでもいい。

「島に帰ったら、海、見たいですかね。遠くから眺めると、凄く綺麗なんです」

 きっと福江島も帰りを待っている。

 夏なのにもう涼しい北海道の夜風が、川原の体を優しく包んだ。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)