元WWE戦士・KAIRIインタビュー 中編

(前編:なぜヨットのU−22日本代表からスターダムに入ったのか>>)

 2015年にスターダムの選手会長に就任したKAIRIは、翌年から海外遠征も増え、そこで外国人選手から刺激を受ける。アメリカのリングを夢見るようになっていた2017年、世界最大のプロレス団体WWEと契約した。だが......アメリカでは想像を超えた生活が待ち受けていた。


WWEで活躍していた頃のKAIRI

【世界最大の団体WWEへの挑戦】

――2017年6月にWWE両国国技館大会で契約を交わすことになりますが、経緯を教えていただけますか?

KAIRI:2016年、スターダムで海外遠征をする機会が増え、逆に海外の選手がスターダムのリングに上がることも多くなりました。団体的には所属選手が減ったばかりだったので、必然的に海外の選手との抗争が中心になりました。

 外国人選手と試合をすると、「あ、こういうプロレスもあるんだ」と発見があって。「もっとアメリカでプロレスを学んでみたい」と思いました。その頃には、スターダムは低迷期を脱して新しい選手がどんどんデビューし、落ち着いてきていた。私も27、28歳になる頃で、「行くなら今しかない」と決断しました。

――WWEと本契約して海を渡ることは、相当な覚悟も必要かと思います。

KAIRI:スターダムでは選手会長だし、ワンダー・オブ・スターダム王者として白いベルトも巻いていたので、安定はしていました。それを全部捨てて、またゼロからスタートする。それもWWEという完全実力主義の社会に飛び込むわけですから、半年以上は悩みましたね。

――そうして海を渡ったKAIRI選手は2017年9月、「第1回WWEメイ・ヤング・クラシック」に出場しました。

KAIRI:日本人レスラーで唯一出場し、32名参加のトーナメントを勝ち上がって優勝できました。ただ、一番の衝撃は集合写真。「え、自分ってこんなに小さいんだ」って(笑)。自分が中学生に見えて、「WWEで闘っていけるのか?」と不安になりました。

 それをスターダム代表のロッシー小川さんに相談したら、「プロレスは言葉じゃないし、世界共通で感動する試合がある。だから自分らしい試合を表現しなさい」と言ってくれて。それで「自分のプロレスを楽しんでやろう」と切り替えました。

 それもあって2018年8月にシェイナ・ベイズラーからNXT(WWEで「育成部門」とも呼ばれるクラス)女子王座を奪取して、WWEで初タイトルを獲得しました。

【「人前に出るのもブーイングも怖い」】

――個人的に、今までのベルト姿でKAIRI選手に一番似合っているベルトだと思います。

KAIRI:とても嬉しいです(笑)。私の中でも、あのチャンピオンになった瞬間が今までで一番印象に残っています。

 ただ、そこに至るまではけっこう大変で......2017年9月のメイ・ヤングで優勝してからは、周囲の見る目がどんどん厳しくなっていきました。「次の試合は何分で勝ってくれるんだろう」という周囲からの期待感がすごくて。私は対戦相手に何度やられても立ち上がることで、感動する試合を生み出すタイプだという自負がありましたから、迷いが出てしまいました。

 それから、しばらく使われなくなったんです。正直、「NXTのベルトまで、あと何年かかるのかな」と感じました。

――KAIRI選手も精神的に厳しかったと思いますが、どう乗り越えたんですか?

KAIRI:ザイア・リーという初の中国のレスラーがいて、私が落ち込んで「人前に出るのもブーイングも怖いし、プロレスをやりたくない」と言ったんです。そうしたらザイアは、「私はKAIRIの楽しんでいる試合が好きだから。一番前でKAIRIを見てる。苦しかったら私のほうを見て」と励ましてくれた。今思い出しても、涙が溢れちゃいますね......。

 それで「変わらなきゃ」と思い、「自分らしいプロレスを楽しんでやろう」と。そこからです、前向きになったのは。

――KAIRI選手がブレなくなったのは、ザイア選手のおかげだったんですね。

KAIRI:そうですね。その直後、NXTベルトへの次期挑戦者を決める戦いで勝つことができて、「ここで結果を残さないと次はない」と必死に食らいついてNXT女子王座を獲得しました。

 当時、日本では「メイ・ヤングで優勝、NXT女子王座も獲得して順調だ」と思われていたでしょうね。でも、試合に出られなければ放送もない。逆境だったのでチャンピオンになった時の喜びは大きかったんです。なんの苦労もなくチャンピオンになっていたら、プロレスに対するモチベーションは下がっていたかもしれないですね。

【NXT とスマックダウンの違い】

――NXTでの活躍が評価されて、2019年4月にはスマックダウンに昇格しましたね。

KAIRI:昇格のタイミングは、まさにトップシークレット。上層部のみで会議しているんだと思います。ある日コーチから、「次のスマックダウンのハウスショー(テレビ中継がない、会場の観客の前での公演)に行って」と声をかけられて。NXTから1年半でスマックダウンのリングに上がれるとは想像していなかったし、光栄なことでした。

――KAIRI選手から見て、NXTとスマックダウンの違いはなんですか?

KAIRI:NXTとスマックダウンは180度違う世界。NXTは「学校」です。すべて集団行動。練習もジムもマイク練習も時間割が組まれ、そのスケジュールでみんなが動きます。遠征もみんなで集合し、バスに乗って会場に行ってご飯を食べる。

 それが、スマックダウンに昇格すると全部なくなるんですが......。飛行機のチケットと試合会場の地図だけが送られてきて、今度はひとりで行動することになります。レンタカーも自分で手配して会場に向かう。例えば、4日連続で違う会場での試合が組まれたら、まずは次の会場近くのホテル予約。試合後に、夜10時から深夜1時まで車を運転してホテルに行って就寝。そういったことの繰り返しでした。

――移動以外で、ランク付けが上のスマックダウンやRAWと、NXTの違いはありましたか?

KAIRI:スマックダウンやRAWはストーリーを大事にするというか、大きなドラマの中で試合が繰り広げられます。試合中はもちろん、試合以外のパフォーマンスも大事になる。バックステージでも常にカメラが回っているので気を抜くことができません。

 さらにWWEは、世界中に配信されているので、誰が見ても楽しんでもらえるように「このレスラーといえば、この技」と印象づけるため、使用する技をあえて減らしました。NXTはコアなファンが喜ぶプロレスですが、スマックダウンやRAWは世界中のファンに届けるので、テレビで観てもファンが追いつけるテンポ感を大切にしました。

――WWEではASUKA選手と、スマックダウンで「ザ・カブキ・ウォリアーズ」を結成し、2019年10月にWWE女子タッグ王座を獲得しましたね。

KAIRI:ASUKAさんとはプロレスでもプライベートでも仲がよくて、バックステージでもずっと喋っていました。番組のカメラマンさんたちも、私たちの撮影シーンは日本語で話しているのに、笑いっぱなしでしたよ。

――タッグを組み、常に隣にいたASUKA選手のすごさとは?

KAIRI:例えば、五角形のチャートで「技術・表現力・キャラクター・マイク・精神力」の能力があったとすると、ASUKAさんはすべての能力がとても高いんです。

 入場の瞬間から観客を自分の世界に引き込み、誰と闘ってもいい試合になるし、キャラクターも完成されている。本当にASUKAさんからたくさんのことを学びました。

(後編:WWEと日本のプロレスの違い...反則、カウント、観客への意識など>>)

【プロフィール】
KAIRI(かいり)

1988年9月23日生まれ、山口県出身。155cm。50kg。高校1年でヨットを始め、インターハイ、国体、インカレで上位に。大学1年でジュニア世界選手権日本代表となる。その後プロレスに興味を持ち、2011年8月にスターダムに入門。翌年1月7日にデビューした。2015年2月にスターダムの選手会長に就任し、同年3月にスターダム最高峰のベルト「ワールド・オブ・スターダム王座」を初戴冠。2017年6月にWWEと契約し、リングネームを「カイリ・セイン」に。2017年9月、「WWEメイ・ヤング・クラシックトーナメント第1回大会」で優勝。2018年8月、NXT女子王座を獲得した。2019年4月、スマックダウンに昇格してASUKAと「ザ・カブキ・ウォリアーズ」を結成。同年10月、WWE女子タッグ王座を獲得したのち、日本に帰国。2022年3月、5年ぶりにスターダムに参戦し、同年11月に新設されたIWGP女子王座の初代王者に輝いた。