元WWE戦士・KAIRIインタビュー 前編

 2012年に"海賊"レスラーとしてデビューしたKAIRI(カイリ)は、ワールド・オブ・スターダム王座などスターダムの主要タイトルを獲得。2017年にWWEと契約して「カイリ・セイン」というリングネームで活躍し、2022年にスターダムに復帰した。

 彼女のリングネームは海と麗(美しい)を組み合わせた造語。その名の通り、かつては海を愛するヨット選手で、U−22日本代表として世界選手権に出場した経歴を持つ。そんなKAIRIは、どのようにしてプロレスに辿り着いたのか。


WWEでも活躍したKAIRI

【人生を変えた恩師との出会い】

――幼い頃はどんな子供でしたか?

KAIRI:瀬戸内海に面する田舎町の山口県光市で育って、川や海で遊ぶ、活発な子供でした。母からは「天真爛漫」と言われてましたね。

――学生時代は、どんなスポーツをしていたんですか?

KAIRI:小学3年からバレーボールを7年、高校1年から大学までヨット競技を7年です。まったく格闘技と関係のない球技や競技からプロレスに辿り着きました。ヨットでは高校時代にインターハイで準優勝。大学1年の時には、日本選手権で優勝してU−22の日本代表として世界選手権に出場しました。

――バレーボール少女だったところから、なぜヨット競技を始めたのですか?

KAIRI:中学生まで、私はいろんなことを、すべて「そこそこ」で生きていました。勉強も運動も、「そこそこ」。本気になれるものがなかったんです。そんな自分を変えたくて、「変わるなら高校しかない」と。それで新しいことをしたくて、やったことのない部活を見学しました。

 当時のヨット部は廃部状態。でも、校庭にヨットが展示してあって、それを友達と見ていたら「ヨットやってみんか?」と後ろから声をかけられて。それが私の人生を変えてくれた、歌手の平井堅さん似の恩師。ヨットのコーチになる新任の先生で、「ちょっと放課後に見に来い」と誘われて、見学に行ったのがきっかけです。

――高校生で「『そこそこ』の人生を変えよう」というのは、なかなかの決意ですね。

KAIRI:でも、その時点では「日本一を目指す」といったことは頭になかったんです。最初は優しくて爽やかだった先生も、1カ月後には豹変。私がヨットをひっくり返して溺れていても、「自分で上がれ!」と言われましたよ(苦笑)。

 熱意がすごい先生でした。同期も次々と辞めてしまって、私は同期の中で一番下手で、今も155cmですけど小柄でしたし、「お前は向いてない」と言われ続けました。

 冬のある日、先生から「いつまでも『背が小さいから遅い』『才能がない』『負けて当たり前』とか、できない理由ばかり探してるんじゃない!」と言われて。その瞬間、雷に打たれたように「ハッ」と自分の甘えに気づいて。そこから気持ちが変わったんです。

 わからないことをノートに書いて質問しに行ったり、体が小さいなら小さいなりの肉体改造に取り組んだりと、前向きになりました。そうしたら、2年生の時は地区予選で敗退していたのが、高校3年で全国大会に出場。全国大会でも、他の競技者より頭ひとつ飛び出すくらい速かった。この先生のおかげで、何事も「『できるか、できないか』じゃなくて、『やるか、やらないか』」が大切だということに気づくことができたんです。

【スターダムを初めて観た時の衝撃】

――高校生から引き続き、大学でもヨットを続けたんですね。

KAIRI:オリンピックに憧れていたので。いろんな大学から声をかけていただきましたが、ヨット部が強い法政大学に進学しました。

――大学では1年生の時、世界大会にU−22の日本代表として出場。卒業後も競技を続けようと考えていましたか?

KAIRI:卒業の前に、「ヨットでオリンピックを目指す」のか「就職」かの2択で迷いましたね。ですが、「自分で稼いで食べられるようになりたい」と思って就職を選択しました。ヨットは自分の中でやり切った感もあったので。

 就活を終えて卒業に必要な単位も取得し、そこで時間ができたんです。そこで何をしようかと考えた時に、私は人前に出るのが苦手だったので、それを克服するために舞台を始めたんです。そうしたら表現の楽しさに気づいてしまって。ある時、プロレスがテーマの舞台に出演したのが、プロレスに触れるキッカケでした。

――ヨットを始めた時もそうでしたが、自分の足りない部分を克服しようとしたんですね。

KAIRI:私は小さい頃からコンプレックスの塊でしたから。なんとか認められたい気持ちがあったんだと思います。

――その後、2011年8月にスターダムの練習生になるわけですが、どんな経緯があったんですか?

KAIRI:舞台を観に来てくれた人たちが、涙を流して「すごくよかった」と言ってくれて、「もう少し舞台をやりたい」と思ったんです。それで両親に、「就職の内定を辞退して、好きなことを1年やらせてほしい。もしダメならもう1回就活する」からと直談判しました。

 そんな中でプロレスに誘われたのは、その舞台の後です。私は小柄だし、格闘技経験もない。プロレスは「大きくて筋肉がムキムキじゃないとできない」と思っていたんですが......初めてスターダムを観に行って衝撃を受けました。

 2011年7月24日、スターダムが後楽園ホールに初進出した大会。第1試合が星輝ありささん&まゆさん(岩谷麻優)vs須佐えりさん&鹿島沙希さん。その選手たちが大音量の音楽が流れる中、スポットライトに照らされダンスをしながら入場する姿を見て「えっ?」と驚いたんです。

――想像していたプロレスと違っていたんですね。

KAIRI:でも、可愛いくてアイドルみたいだと思っていたら、試合はなりふり構わず、がむしゃらにやり合っていた。そして勝ったらボロボロ泣いて......その姿にすごく心を打たれました。私は表現することも大好きになっていましたから、「プロレスをやってみたい」と入門することにしました。

【「デビュー戦、誰とやりたい?」の問いに即答】

――スターダム3期生として入門した5カ月後、「宝城カイリ」のリングネームで、2012年1月7日に愛川ゆず季戦でデビューすることになります。

KAIRI:プロテストに合格した後に、寮でスターダム代表のロッシー小川さんから、「デビュー戦、誰とやりたい?」と聞かれたので、「愛川ゆず季さん」と即答したんです。デビュー戦は厳しい人がいい。愛川さんなら、遠慮せずに"蹴りきって"くれると思いました。

――その愛川さんのデビュー戦の相手は高橋奈七永選手。顔の形が変わるくらい愛川さんもやられましたね。

KAIRI:そうでしたね。私は愛川さんに蹴られて、開始30秒で鼻血が出たのを覚えています。蹴られて頭がロープにぶつかって、すごい衝撃でした。「これからこんな日々が始まるんだ」という思いが頭をよぎって。デビューできた達成感と、「これから私、大丈夫かな」という不安が入り混じりました。

――KAIRI選手がデビューした2012年から、スターダムでユニット抗争が始まり、愛川ゆず季さんが率いる「全力女子」に所属しましたね。

KAIRI:ただ、ユニットでタッグ対決があっても、「タッチしたら闘う権利が移るのか」というレベルでした。私は目の前の試合をこなすことで精一杯。デビューが早かった分、先輩の試合を観て覚えるしかなかった。

――ヨットの経験から与えられた"海賊"のイメージが浸透し、レスラーとしても成長した2015年には、スターダムの選手会長に任命されました。KAIRI選手は誰かの後ろについて支えるイメージが強かったです。

KAIRI:小川さんと風香(元スターダムGM)さんから「KAIRIは先輩や後輩関係なく、みんなと仲良くできる。だから選手をまとめるのに適任だ」と、選手会長に任命されました。試合をこなすのに精一杯だったのが、責任ある立場になってから意識が変わりましたね。

「誰かがなんとかしてくれる」じゃなくて、「自分が団体を守るんだ」と。当時は一気にたくさんの選手がスターダムを去ってしまった時期で、ファンの人たちも不安だったはずです。だから、「残った私たちで何とかスターダムを守ろう」と気持ちを切り替えました。

――その後、岩谷選手、紫雷イオ選手と「スリーダム」を結成することになります。

KAIRI:いつも3人で円陣を組んで「私たちならできる」とお互いを励まし合いました。とにかく必死でしたね。

(中編:WWEで感じた恐怖「人前に出るのもブーイングも怖い」>>)

【プロフィール】
KAIRI(かいり)

1988年9月23日生まれ、山口県出身。155cm。50kg。高校1年でヨットを始め、インターハイ、国体、インカレで上位に。大学1年でジュニア世界選手権日本代表となる。その後プロレスに興味を持ち、2011年8月にスターダムに入門。翌年1月7日にデビューした。2015年2月にスターダムの選手会長に就任し、同年3月にスターダム最高峰のベルト「ワールド・オブ・スターダム王座」を初戴冠。2017年6月にWWEと契約し、リングネームを「カイリ・セイン」に。2017年9月、「WWEメイ・ヤング・クラシックトーナメント第1回大会」で優勝。2018年8月、NXT女子王座を獲得した。2019年4月、スマックダウンに昇格してASUKAと「ザ・カブキ・ウォリアーズ」を結成。同年10月、WWE女子タッグ王座を獲得したのち、日本に帰国。2022年3月、5年ぶりにスターダムに参戦し、同年11月に新設されたIWGP女子王座の初代王者に輝いた。