宮城弥生インタビュー(後編)

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【貧しかったけどいい経験だった】

── お兄さんの宮城大弥選手がドラフト指名された際に放送された特別番組『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』の取材を受けていた姿が印象に残っています。当時のご記憶はありますか?

宮城 当時、私は13歳、中学1年生でした。スタッフが自宅に来ている時間帯は、私は学校に行っていていないことが多かったんですけど、いろいろと撮影していたことはお父さん、お母さんから聞いていました。

── この番組では、交通事故による障害のために、お父さんは定職に就くことができないことが紹介され、「野球道具が買えない」とか「カレーに具が入っていない」とか、苦しい家計の実態を描いた再現ドラマが話題となりました。

宮城 あの再現ドラマはほとんど事実でしたけど、私たち家族が暮らしていた沖縄の家は、実際はもっと小さなお家でした。当時、お金がなくて食べ物も満足に買うことができなくていつもお腹を減らしていたのも事実です。だから、晩ご飯の分まで学校の給食をたくさん食べるようにしていました(笑)。


尊敬する俳優は鈴木亮平と語る宮城弥生さん

── 決して裕福とは言えないかもしれないですけど、お兄さんの大弥さんも含めて、家族全員がとても明るく仲がいい様子がとても印象的でした。

宮城 周りの友だちと比べたら、たしかにお金はなかったし、いろいろ大変だったけど、とてもいい経験だったと思います。あの時代を経験したから、今後もしお金がなくなっても、あの時ほど苦しい思いはたぶんしないと思います。あの経験があったから、ご飯のありがたさ、お金の大切さもわかったので、すごくいい経験だったと思います。

── それは、当時からそう思っていたのですか? それとも、時を経てそう考えられるようになったのですか?

宮城 やっぱり、「今だから」ですね。あの頃は「お腹空いたな」って、いつも思っていましたから。ドラフトで指名された時に「オレが活躍したら、みんなをラクにさせてあげられる」ってお兄ちゃんが家族への手紙で書いたんですけど、その時に「もしかしたら、これでラクになれるのかな?」っていう期待はありました。

【学費は兄が立て替えてくれた】

── この特別番組は大きな反響があったことと思います。放送後、弥生さんの下にも芸能事務所からスカウトがあったと聞きましたが、詳しく教えていただけますか?

宮城 私は何も知らなかったんですけど、ドラフト当日に芸能事務所さんからお声がけがあったと、あとでお父さんから聞きました。でも、「興味ないと思ったから断ったよ」って言われました。本当はすごく興味があったんで、「何、勝手なことをしてんのよ」って思いました(笑)。

── もともと芸能界に興味があったんですか?

宮城 ざっくりと芸能界そのものに興味があって、その頃はモデルさんに対する憧れがありました。その後、高校1年の10月くらいから、お兄ちゃんの頑張っている姿も刺激になって、「女優さんになりたいな」って思いが強くなっていきました。

── お兄さんの姿を見て、どんな刺激を受けたのですか?

宮城 お兄ちゃんはいつも野球のことを考えています。練習もすごくキツイと思います。でも、それを楽しんでやっています。そして、小さい身体なのにプロの世界できちんと結果を出して、多くの人の背中を押しています。お兄ちゃんとは違う世界かもしれないけど、「誰かの背中を押せるような存在になりたい」という思いが強くなっていきました。

── その思いはお兄さんに伝えたんですか?

宮城 お兄ちゃんには高校進学の時に伝えました。芸能の勉強ができる高校への進学を希望していたんですけど、その学校はすごくお金がかかるのでお父さんには反対されました。でも、お母さんから「私たちでは払えないけど、お兄ちゃんに相談してみたら」と言われて、お兄ちゃんに自分の夢を伝えました。

── 宮城選手は、どんな反応をしたんですか?

宮城 「もしも本当にやりたいのならば、やりたいようにやっていいよ」と言ってくれました。そして、「今はオレが全部払っておくけど、出世払いで返してね」と言われました。もちろん、早く出世払いでお兄ちゃんに返したいです。でも、ひとつだけチャラにできる方法があるんです。

── 立て替えてもらった学費をチャラにする方法とは?

宮城 お兄ちゃんは有村架純さんがすごく好きなんですけど、「もしも、有村架純さんに会わせてくれたら全部チャラにしてあげる」と言われているので、なんとしてでもその機会が訪れるように頑張りたいです(笑)。

【念願の芸能界デビュー】

── さて、今年の5月付で、正式にホリプロへの所属が決まりました。きっかけは、今春のWBCの時に、TBSテレビの『情報7dayニュースキャスター』で密着取材されたことだそうですね。

宮城 お兄ちゃんの応援をするために家族でアメリカに行ったんですけど、そのときに番組に密着取材されました。この時点では芸能界入りは何も決まっていなかったんですけど、番組放送後に、いくつかの事務所からお声がけいただきました。それで、家族全員で話し合った結果、私はお芝居をやりたかったので、さまざまな活躍の場があるホリプロさんに決めました。

── お兄さんにはどのタイミングで伝えたんですか?

宮城 本当はサプライズで伝えたかったんですけど、先にお母さんが伝えちゃったのでサプライズはできませんでした(笑)。兄からは「頑張れ」とは言われずに、「やりたかったらやればいいし、無理だと思えば辞めればいい」と言ってもらいました。

── 弥生さんにプレッシャーを与えないための気遣いなのかもしれないですね。具体的に目標とする人はいるんですか?

宮城 鈴木亮平さんが憧れであり、尊敬している俳優さんです。真剣に自分が演じるキャラクターと向き合って、役によって体型を変えたり、あえてアドリブを加えてみたり、ものすごく研究をしているのに、見ている人にそれを感じさせないようにしているということを知って、ますます憧れるようになりました。

── 今後の夢や展望があれば教えてください。

宮城 今、17歳なんですけど、20歳になるまでには学園もののドラマに出てみたいです。そのためには、自分の課題をひとつずつクリアしていって、新しい壁をひとつずつ乗り越えていきたいです。お兄ちゃんに負けないように私も頑張っていきます。お兄ちゃんともども、応援よろしくお願いします!

おわり


 

宮城弥生(みやぎ・やよい)/2006年3月6日、沖縄・宜野湾市生まれ。兄はオリックス・宮城大弥で、7人きょうだい(姉2人、兄4人)の末っ子。大弥のオリックス入団をきっかけに、家族で大阪に引っ越し。現在は大阪の高校に通う3年生で、来春の卒業を機に上京予定。特技はバドミントン。趣味はドラマ鑑賞、スポーツ観戦。好きなスポーツはバドミントン、野球(オリックスファン)