昨年のドラフト会議で、阪神との競合の末にドラフト1位で高松商業から巨人に入団した浅野翔吾が、7月8日に東京ドームで行なわれたDeNA戦でデビューを飾った。6回に代打で登場し、本拠地の大歓声にフルスイングで応えたものの空振り三振。続く8回の第2打席も三振に倒れ、15日のヤクルト戦でも三振と、1軍のレベルの高さを痛感する形となった。

 それでも、7月18日のフレッシュオールスターでは5打数2安打。21日に1軍選手登録を抹消されたが、30日のファームの試合で本塁打を放つなど、再び這い上がるために奮闘している。そんな浅野の姿に思い出す、過去の主な巨人の高卒ドラ1ルーキーたちの「悲喜こもごもの1年目」と、その後を振り返る。


高卒1年目の桑田(左)と松井

【桑田真澄(1985年・PL学園)】※(ドラフト年・出身高校)

 巨人は1985年のドラフトで、PL学園の2度の甲子園制覇に貢献した桑田の単独指名に成功した。当初は大学への進学を希望していた桑田の電撃指名や、巨人入りを熱望していたものの西武入団を決めた同級生の清原和博の涙は、その後もさまざまな議論や憶測を呼ぶことになったが、「KKコンビ」が残したルーキーイヤーの成績は対照的だった。

 清原は西武で、打率.304、31本塁打を放って新人王を獲得。それに対して桑田は、5月25日の中日戦のリリーフとして1軍初登板を果たし、6月5日の阪神戦では完投でプロ入り初勝利をマークするも、その年は15試合に登板して2勝1敗、防御率5.14に終わった。

 だが、翌1987年には15勝(6敗)、防御率2.17で最優秀防御率と沢村賞のタイトルを獲得。3年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献した。その後の日本シリーズでは清原のいる西武との対戦が実現する。桑田は2試合に登板したものの、いずれも序盤で降板。シリーズは4勝2敗の西武が制し、プロ初の「KK対決」は2試合の合計で清原の3打数1安打1四球だった。

 その後、エースとして活躍した桑田は、右肘の怪我も乗り越えて173勝をマーク。メジャーリーグ挑戦などを経て2008年に現役を引退し、現在は巨人のファーム総監督を務めている。

【松井秀喜(1992年・星稜)】

 巨人やニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜は、ルーキーイヤーの1993年から持ち前の長打力を発揮した。

 1992年のドラフト会議で、同年10月に2度目の監督就任が決まった長嶋茂雄監督が、4球団競合の末に松井の交渉権を引き当てた。翌年、松井はオープン戦では思うような結果が残せずに2軍で開幕を迎えたものの、5月に1軍に初昇格を果たすと、公式戦初出場となった5月1日のヤクルト戦で初安打、初打点をマーク。翌2日には高津臣吾からプロ初本塁打を放ち、その存在感を見せつけた。

 その後は不振に陥り、6月に一度2軍落ち。しかし8月末に再昇格を果たすと、復帰間もない8月31日の横浜戦で、この年の最多勝を手にした野村弘樹から2打席連続アーチを記録した。

 シーズン終盤に本塁打を量産した松井は57試合に出場し、打率.223、11本塁打、27打点でルーキーイヤーを締め括った。なお、この年に松井が記録した11本塁打は、いまだにセ・リーグの高卒新人記録となっている。

【原俊介(1995年・東海大相模)】

 仁志敏久(日本生命)、清水隆行(東洋大)らも指名された1995年のドラフト会議で、巨人の1位指名を受けたのは、強肩・強打の捕手として活躍が期待された原だった。

 この年のドラフトでは、夏の甲子園で注目を集めた福留孝介(PL学園)に7球団の指名が集中。巨人も「巨人と中日以外は社会人に進む」ことを明らかにしていた福留の獲得を目指したが交渉権の獲得には至らず、外れ1位で原を指名した。

 原は大きな期待を背負って入団したものの、度重なるコンバートや阿部慎之助(2000年ドラフト1位・中央大)が捕手のレギュラーを掴んだ影響もあり、2軍で過ごすシーズンが続く。1軍デビューを果たしたのは、原がプロ入り8年目を迎えた2003年のことだった。開幕2戦目の中日戦(3月29日)で初出場を果たすと、翌30日には、中日の野口茂樹から東京ドームの看板を直撃する初本塁打をマーク。この年は3本塁打を放って存在感を示した。

 だが、その後は再び大半を2軍で過ごすシーズンが続き、2006年に自由契約となった。引退後の原は、早稲田大学の通信教育課程に進学。東海大静岡翔洋高校野球部の監督を経て、2021年からは母校である東海大相模の硬式野球部の監督に就任し、後進の指導にあたっている。

【辻内崇伸(2005年/高校生ドラフト1位・大阪桐蔭)】

 2005年のドラフト会議で巨人が指名したのは、その年の夏の甲子園で150キロを超える速球を武器に1試合19奪三振をマーク(8月13日・対藤代戦)した辻内だった。

 オリックスとの競合の末に巨人が指名権を獲得。速球を活かしたピッチングに期待が寄せられたが、プロでの8年間は怪我との戦いだった。

 2006年の春季キャンプでは、肩痛の影響で2軍スタート。左肩の炎症によってフレッシュオールスターゲームの出場を辞退するなど、思うように投げられない日々が続いた。この年の辻内はイースタンリーグで13試合に登板したものの、制球難もあって3勝4敗、防御率6.04の成績に終わった。

 翌2007年には内側側副靭帯を断裂。手術の影響により、その後は2年にわたって公式戦の登板がなかったが、復帰した4年目の2009年には2軍の先発として16試合に登板。7勝4敗、防御率2.69の成績を残した。この年の辻内は、ルーキーイヤーに辞退せざるを得なかったフレッシュオールスターゲームへの出場も果たし、勝利投手に輝いている。

 度重なる怪我に苦しめられた辻内が、最も1軍に近づいたのは2012年のことだった。西武とのオープン戦で1軍初登板を果たすと、8月16日に自身初の1軍昇格。だが、登板の機会は訪れず、そのまま登録を抹消された。2013年には再発した肘の痛みの影響により、現役引退を決意。引退後は女子野球の埼玉アストライアなどで監督を務めた。

【坂本勇人(2006年/高校生ドラフト1位・光星学院高校)】

 2006年度のドラフト会議で堂上直倫(中日)の指名権を逃した巨人は、外れ1位で坂本を獲得。するとルーキーイヤーから1軍戦出場を果たすなど、チームの中心選手として成長を遂げていく。

 プロ1年目の2007年に2軍戦で77試合に出場し、打率.268、5本塁打、28打点という成績を残して7月に1軍に昇格。7月12日の阪神戦の代走で初出場し、9月6日の中日戦では代打で登場すると、決勝打となる初安打と初打点を記録した。

 この年は1軍で4試合に出場して1安打だったが、2年目の2008年にはレギュラーに抜擢され、開幕から全試合にスタメンで出場。打率.257、8本塁打、43打点で、オールスターゲーム初出場も果たした。

 その後、巨人の中心選手として活躍し、2016年にはセ・リーグの遊撃手としては史上初となる首位打者のタイトルを獲得。2020年には、右打者としては最年少の31歳10カ月で2000本安打を達成した。17年目の今シーズンは、不振から調子を上げてきた6月23日の広島戦で右太もも裏を肉離れして戦線離脱。7月28日の中日戦で1軍に復帰している。

【岡本和真(2014年・智辯学園高校)】

 2014年のドラフト会議で単独1位指名を受けて巨人に入団し、現在4番を務める岡本も、ルーキーイヤーの2015年に1軍の舞台を経験している。

 8月28日の中日戦に代打として初出場し、セカンドライナー。代打で起用された9月5日のDeNA戦では2ランホームランを放ち、プロ初安打、初打点、初本塁打をマークした。この年は2軍で69試合に出場して打率.258、1本塁打、16打点。1軍では17試合に出場し、打率.214、1本塁打、4打点の成績を残した。

 2年目の2016年は、2軍の4番打者として起用され、打率.261、18本塁打、74打点を記録して打点王のタイトルを獲得。フレッシュオールスターでのMVP選出など、徐々にその才能を磨き上げていった。

 大ブレイクを果たしたのは、プロ入り4年目の2018年のこと。1軍の主力に定着した岡本は全試合に出場し、打率.309、33本塁打、100打点の活躍。昨年まで5年連続の30本塁打をマークするなど、チームに欠かせない4番打者として打線を牽引している。