谷晃生インタビュー(前編)

ガンバ大阪のGK谷晃生の期限付き移籍が発表された。行く先はベルギー2部リーグのFCVデンデルEHだ。昨シーズンまで在籍していた湘南ベルマーレではレギュラーに定着。その間、五輪代表の守護神としての東京五輪での奮闘や、日本代表選出など大きく飛躍した。それだけに、今季は4年ぶりに復帰したガンバでの活躍を期待されたが、わずか半年で海外へ。彼はなぜ、その選択を下したのか。海をわたる前の彼を直撃し、胸の内を聞いた――。


日本代表での活躍も期待される谷晃生

 7月中旬、谷晃生は自身の仲介人を通して初めて「海外からオファーが届きそうだ」と聞いた時、戦うステージも、チーム名も問うことなく、「チャレンジする」と決意を固めていたという。理由は2つある。

 ひとつ目は、ガンバ大阪への復帰を決めた時から、ヨーロッパのレギュレーションを踏まえて、今夏のタイミングでの海外移籍を目標にしていたこと。その意思もクラブには伝えていたそうだ。

「すべてはチームでの活躍の延長線上にしかないものなので、まずは幼少の頃から育ててもらったガンバでしっかり力になる、勝ちをもたらせるGKになる、ということを第一に考えていました。

 ガンバには、ヒガシさん(東口順昭)という誰からも信頼されている絶対的な存在がいて、そのGK陣の競争に競り勝ってピッチに立つのは容易じゃないということは覚悟していましたが、それを自分に求めることでの成長はあると思っていたし、実際にこの半年間は自分にとって、とても意味のある時間だったと思っています。

 ただ一方で、自分のキャリアということを考えて、今夏にヨーロッパのクラブからオファーが届いたらチャレンジしようと思っていました。ガンバで試合に出ていても、いなくても、です。周りには『まだ22歳だから』『次のワールドカップまで3年あるから』と言われますが、僕にとっては『もう22歳』で『あと3年しかない』。そのなかで、少しでも早くチャレンジしなければいけないという思いは強かった」

 近年、日本人選手の海外移籍は決して珍しくない時代になったが、それはあくまでフィールド選手に限ってのこと。GKには、まだまだ"海外"への門戸が広く開かれているとは言い難い状況にある。

 特にJ1リーグでコンスタントに出場してきた近年は、谷自身も改めてそのことを痛感してきたという。そうしたなかで「海外移籍に限らず、移籍には運とタイミングがある」からこそ、初めて届いたチャンスをつかみたいと考えた。それが、ふたつ目の理由だ。

「フィールド選手であれば、J1で目を惹く活躍ができれば......それがわずか半年でも海外からオファーが届く時代になったと思うんです。もちろん、それを選択するかどうかは本人次第ですけど。ただ、GKに限っては正直、まだまだその状況からほど遠い。オファーどころか、リストに載るのも難しいというのが現状だと思います。

 実際、僕も子どもの頃から『世界のGKはもっとレベルが高い。世界を目指せ』と言われて育ってきましたが、そこから15年くらい経っても、ヨーロッパの五大リーグでプレーした日本人GKは永嗣さん(川島/RCストラスブール)くらいしかいない。それ以外のリーグでも、コンスタントに出場している選手はごく限られています。

 その現状を目の当たりにしてきたなかで、まずはヨーロッパの市場に乗らないと始まらないと感じたというか。そこで『日本人GKでもしっかり戦える』という姿を示さないと、ひとつ目の壁は破れないと考えました」

 であればこそ、ベルギー2部リーグのFCVデンデルEHからのオファーにも、迷うことはなかった。当初は、チームに関する情報はもちろん、ホームタウンであるデンデルレーウという街がどの辺りに位置するのかもわかっていなかったと言う。

 毎試合、観客は1万人にも満たないほどで、谷曰く「話を聞いているだけでも、間違いなくガンバのほうが環境は整っている」そうだ。だが、仲介人を通した打診から2日後には正式なレターが届き、同クラブのスポーツダイレクターやGKコーチとも話をするなかで「行きたい」という気持ちはどんどん大きくなっていったという。

「プロになって、J1リーグで100試合を戦って、2021年には東京五輪に出場して、日本代表に選ばれても、僕に届いたオファーは2部のクラブだった――というのが、ヨーロッパにおける僕の評価だということ。

 それなら『せめて1部のチームを選ぶべきだろう』とか、『J1で出場を求めるほうがいいんじゃないか』と思う人もいるだろうし、いろんな意見があると思います。もちろん、僕もヨーロッパに出ることがサッカー人生のすべてだとは考えていないし、先ほども話したとおり、ガンバで求められる成長もあったとは思います。

 でも一方で、成長角度を上げるためにはもっといろんな外からの吸収がほしいという考えもあって......。海外に行ったからといって、それがあるのかといえば正直、わからないですけど、行かなきゃ感じられないこと、行ったからこそ得られる価値観やサッカー観は間違いなくあると思うので。日本とは違う文化、生活のなかで、ひとりの人間として学べることもあるはずですしね。

 そう思うからこそ、僕はこのチャレンジにすごくワクワクしているし、行ってよかったと思える自信もある。ここから先はすべて、自分次第だと思っています」

 コンディションはいい。今シーズンのJ1では開幕戦から先発のピッチを預かってきたものの、13節以降は東口にポジションを明け渡している状況だが、「やることは変わらない」と自分に矢印を向けて、日々自身の成長を求めてきたからだろう。

 本人も「6月くらいからもう一段階、グッと上がったのを感じた」と話しているとおり、最近はコンディションの充実に伴って、湘南時代を思い出させるような"らしい"パフォーマンスを取り戻した感もある。それを最初に実感したのが、ルヴァンカップ第6節(6月18日)のセレッソ大阪戦だ。

 この試合で谷は、立ち上がりから安定したパフォーマンスを披露。前半18分には好位置からの相手のFKを弾き出すと、1点のリードで折り返した後半57分にも、左クロスボールに頭で合わせた加藤陸次樹のシュートを左手一本で掻き出して味方を勇気づける。その後も積極的な飛び出しから、相手の好機を食い止めるなど、完封勝利に貢献した。

「自分のコンディションは、確かに上がっています。でもそれ以上に、チームとしてどう守るのか、ビルドアップするのか、蹴るのか、といった戦い方が安定したことで、GKとしても(以前より)すごく守りやすくなったのも大きいです。

(今季の)序盤戦は選手同士に距離がめちゃあって、ボールを回しても奪われて、人もいなくて、やられてしまうみたいなパターンが多かったけど、今はしっかり構えた守備から自分たちのサッカーをスタートするようになり、そのうえでボールを持てるようになってきた。相手陣内にボールを持っていくことさえできれば、前線にはボールを動かせる選手が多いので、チームの戦い方と個人の特徴がリンクして戦えている実感があります」

(つづく)◆谷晃生の野望>>

谷晃生(たに・こうせい)
2000年11月22日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ちで、高校1年生の時に二種登録され、2017年3月にはJ3リーグデビュー。同年12月には飛び級でのトップチーム昇格が発表された。2020年、湘南ベルマーレに期限付き移籍。2022年までの3シーズン、不動の守護神として活躍。2023年、ガンバに復帰した。世代別代表では、2017年U−17W杯、2021年東京五輪に出場。2021年8月、日本代表にも初めて選出された。