錦織圭のアスリート本能を刺激したツアー復帰戦「若手と対戦することが、復帰へのモチベーションだった」
1回戦の勝利後には、「1ゲーム目から相手のレベルが違うなと感じた」と笑みをこぼした。
2回戦では、中国の新鋭にストレートで快勝。「今日はアグレッシブにプレーした。1回戦よりよかった」と相好を崩す。
そしてトップ10選手に4-6、2-6で敗れた3回戦では、「ちょっと差は感じた。ラリーしていて悪くはなかったが、全体的に押されている部分があった」と素直に吐露した。
それらが、1年9カ月ぶりに出場したATPツアー大会でベスト8の結果を残した、錦織圭の実直な言葉の数々だ。
錦織圭がツアー復帰戦で掴んだ収穫とは?
ケガでツアーを離脱していた錦織が2021年10月以来の公式戦を戦ったのは、今年6月のことである。
その舞台は、ATPツアーの下部グレードに属する「ATPチャレンジャー」。参戦選手のボリューム層は300〜400位ではあるが、復帰への道を歩む実力者や野心あふれる若手がひしめき合う「乱戦の場」でもある。
その混沌の戦地で優勝を掴み取った錦織は、その後もチャレンジャー2大会に出場。2大会目はラウンド16、直近のチャレンジャーでは準々決勝で、フルセットの接戦の末に敗れていた。
そうして復帰4大会目にして、満を持して挑んだのが、ATPツアーの「アトランタオープン」である。
世界ランキング9位のテイラー・フリッツ(アメリカ)を筆頭に、参戦選手の大半がトップ100プレーヤー。初戦で対戦したジョーダン・トンプソン(オーストラリア)は世界63位の29歳で、2回戦のシャン・ジュンチェン(中国)は予選を突破し勢いに乗る18歳だ。
そのふたりの実力者を相手に、錦織はいわば"自分のフィールド"で戦い、勝利をもぎ取る。トンプソンとシャンはいずれも、安定のストロークをベースとしたオールラウンダー。明確な穴はないが、ストローク戦に持ち込めば要所で錦織の多彩な技と知性が勝った。
とりわけ象徴的だったのは、2回戦のシャン戦だ。身長180cmでまだ細身の18歳は、「子どもの頃から圭のプレーを見てきた」と言う。
「圭から学ぶことはとても多い。オールラウンダーであり、優れた"テニス知性"でいつでも状況を変えられる」と錦織を評するシャン自身が、まさに錦織的テニスの体現者だ。
【負けた相手は苦手なタイプ】しかも、シャンが今季から師事する人物は、錦織の元コーチのダンテ・ボッティーニ。新たな愛弟子が錦織と対戦するに際し、ボッティーニが知識を総動員し、錦織対策を立てたのは想像に難くない。
錦織にも当然、相手に手のうちを知り尽くされているとの懸念はあっただろう。だからこそ「早くポイントを終わらせようと、序盤から打つようにした」と言った。同時に、第2セットに入り相手が自分のプレーに適応してきたと見るや、戦い方も微調整していく。
特にタイブレークに入った時は、「なるべくボールを追いかける」ことを心がけた。ナイトセッションゆえに、照明の光のなかでボールが見えにくく、高いボールが効果的だとも分析。狙いどおりにロブで相手のスマッシュミスを誘うなど、老獪にして痛快な勝利を手にした。
一方で今大会、錦織が敗れたフリッツは「一発必中」の武器を持つパワープレーヤー。加えるなら、チャレンジャーの2大会目で錦織が敗れた18歳のアレックス・ミケルセン(アメリカ)も、似たタイプの選手である。
フリッツ戦での錦織は、コース巧みに打ち分ける相手の高速サーブの前に、得意のリターンでなかなかプレッシャーをかけられない。試合を通じて手にしたブレークポイントは、わずかに1本。それも試合終盤、第2セットの第7ゲームでなんとか得たものだった。
ミケルセンとの対戦でも、錦織はリターンゲームで苦しい戦いが続いた。特に疲労も見られた第3セットは、高く跳ねるセカンドサーブにタイミングが合わない。怖いもの知らずの若者の、実直なまでに振り抜くフォアの強打にもしばしば圧倒された。
ブレークポイントまでは漕ぎつけるも、最後の一本が詰め切れずに6-7、6-3、1-6での敗戦。なお、対戦時のランキングは250位だったミケルセンは、最終的にこの大会を制覇。その後はツアーでも決勝進出の躍進を見せ、現在は140位まで駆け上がっている。
【錦織不在時に台頭した新世代】大型選手の台頭による男子テニスの変化は、6〜7年前から顕在化した傾向ではある。ただ、その変遷を子細に見れば、この数年でパワー化の内容もまた変質しているようだ。
コロナ禍によるツアー中断が「ひとつの転換期」だと言うのが、日本人トップ選手たちの共通見解である。コロナ禍が開け、ツアーが通常運転に戻りつつあった2021年のなかば頃、西岡良仁やダニエル太郎らは「若手が急成長している。テニスの質も従来より上がっている」と口を揃えた。
特に、中堅からベテランに差しかかるダニエルの証言はリアルだ。
「若い人たちのテニスが、僕が若い頃とは違う。アグレッシブでハードヒッターが増えている。以前は、ハードヒットするがミスも多い若い選手が、ショットの威力を抑えることでミスを減らして強くなった。でも、今の若い選手は、ハードヒットしたままミスが減っている」
それが、ダニエルの皮膚感覚だ。
パンデミック宣言によりツアーが中断した間に、若手たちはひたむきにボールを打ち込み、球威はそのままに精度を上げていたという。
それら「新世代テニスの体現者」としてダニエルが真っ先に名を挙げたのは、100位突破を目前にした当時17歳のカルロス・アルカラス(スペイン)。アルカラスが世界1位へと駆け上がったのは、そのわずか1年4カ月後のことだった。
現在25歳のフリッツも、パンデミック間にショットの質を急激に向上させた選手のひとりだ。現に彼は2021年10月のBNPパリバオープン(インディアンウェルズ)を機に「あらゆる要素が噛み合い、フォアの精度と威力が上がったとの自信を得た」と明言している。
果たして翌2022年、フリッツはツアー3大会で優勝。初のトップ10入りを決めたのは、10月のジャパンオープンを制した時だった。なお、彼がターニングポイントに挙げたBNPパリバオープンは、錦織がツアー離脱前に最後に出場した大会である。
【錦織が敗戦後に語った本音】ツアーを満たす新たな時代の熱い息吹は、リハビリに励んでいた錦織のアスリートとしての本能を刺激もしただろう。ATP公式サイトに語った「アルカラスや(ホルガ・)ルーネ、(ヤニック・)シナーら若手と対戦することが、復帰へのモチベーションだった」の言葉にも、その意志が込められている。
アトランタオープンのフリッツ戦後、錦織は「差は感じたが、いいプレーは随所にあった。これから上げていきたい」と言っていた。
変容しつつあるテニス界の今を感得し、目指す地点との距離を身体感覚で計測する──。手のひらに残したその手応えこそが、復帰後初のATPツアーで錦織が得た「最大の収穫」だ。