福島から北陸道をゆく「旅打ち」
第1回:プロローグ


いざ「旅打ち」へ

 1カ月ほど前のことだ。編集部のT氏から電話があって、「またアレ、やりませんか?」と言われた。

「アレって、何?」と聞くと、「旅打ち」だと言う。

 その言葉を聞いた途端、体のなかでにわかに血が騒ぐのを感じた。返事は口にするまでもない。言葉より先に、体が「行きたい」と反応している。

 実は"旅打ち"企画をやるのは、今回が初めてではない。今から7年前の2016年、盛岡を皮切りに北海道へ渡り、札幌、門別、帯広と、中央、地方、ばんえいの競馬場を転戦した。

 競馬は楽しい。しかも毎日、旅をしながら競馬がやれる。こんな楽しいことはない。

 けれども反面、「つらい旅だった」という記憶もある。

 なぜなら、単に夏の北海道でのんびりと"旅打ち"を楽しむ、というのではなく、その企画には「予算5万円で」という余計な"縛り"がついていたからだ。

 当時でも、東京−青森間を新幹線で往復するだけで、優に3万円は超えていた。これに、北海道内を移動する料金を加えたら、それだけで5万円は超えてしまう。

 そのことを指摘すると、T氏はメガネの奥の細い目を冷たく光らせて、「そこは工夫次第ってことで」と一顧だにする気配もない。

「宿代だってかかるし、メシ代も。第一、肝心の馬券予算はどうするの?」と食い下がると、「そこも工夫次第でなんとか、ね」と素っ気ない。

 続けて、T氏が言う。「要は」......その後のひと言が決定的だった。

「勝ちゃいいんですよ」

 T氏の言い分を要約すると、こういうことになる。

「旅は5万円でやれるように工夫して、足りない分は競馬で稼げ」

 そこまで言われて、引き下がってなどいられない。それに、自分のなかのもうひとりの自分が"旅打ち"の魅力に抗えず、さっきから「行こうぜ、行こうぜ」と騒いでいる。

「わかった、やろう!」

 それが、7年前の顛末。


7年前に購入した時刻表

 そうして、その時の"旅打ち"はなんとかやり終えた。大変なことはたくさんあったが、あの時の体験は今でもいい思い出として残っている。

 最も強烈だった思い出を挙げれば、北海道へ渡る前のことだ。深夜、青森駅から青函フェリーの埠頭まで、重いキャリーバックを引きずりながら延々と1時間ほど歩いたことだ。

 民家も何もない暗がりのなかをひたすら歩いた。肉体的にもしんどくて、「この道でいいのか?」と何度も不安に苛まれた。やや途方に暮れ、ひどい窮地に陥ったような心境になったものだ。

 そうすると、火事場のなんとかとでも言うのだろうか、無意識のうちに『われは海の子』を口ずさみ、終(しま)いには『東京音頭』を大声で歌っていた。

 不思議なことに、それで少し元気が出た。「人間って、そういうものだなぁ(どういうものかと聞かれてもうまく説明できないが......)」と、しみじみ感慨に浸ったことを今で鮮明に覚えている。

 というわけで、今回の"旅打ち"である。

 コロナ禍ではすべての競馬場が無観客で開催され、以来馬券の購入もネットが主流となった。だが、コロナが明けた今、改めて現場のよさを体感すべきではないか――T氏によると、そんな意図もあるそうだ。

 そして、今回の行程だが、福島競馬場からスタートし、金沢競馬場、新潟競馬場へと足を運ぶ予定だ。その間、同地域の競輪場やボートレース場にも立ち寄ってみようと思う。

 競輪やボートレースには馴染みはないものの、ビギナーズラックということもある。案外、いい結果が出るかもしれない。

 予算は5万5000円。渋るT氏を口説いて、前回から消費税分5000円の増額になんとか成功した。これでもキツいが、T氏が言うように、究極「勝ちゃいいのだ」。

 さぁ、まずは『青春18きっぷ』を買いに行こう!

(つづく)