認知症のリスク「難聴」。世界的な取り組みが進んでいます(写真:metamorworks/PIXTA)

難聴が世界の医学界の関心を集めている。世界最高峰の臨床医学誌とされるアメリカ『ニューイングランド医学誌』は、6月8日号の社説で難聴について扱った。

難聴対策で認知症がリスク減

彼らが難聴に注目するのは、難聴と認知症の関係が指摘されているからだ。難聴対策を講じることで、認知症のリスクが低減できる可能性すら指摘されている。

4月13日、中国の山東大学を中心とした研究チームが、イギリス『ランセット』公衆衛生学誌に発表した研究が興味深い。

彼らは、2006〜2010年にイギリスのバイオバンクに登録された40〜69歳の成人43万7704人のデータを分析した。この分析では、聴力に問題がない人と比べた難聴患者の認知症のリスクは、補聴器を使用していない場合は1.42倍に上昇したが、補聴器を用いた場合には1.04倍まで低下したという。彼らは、補聴器を用いることで、認知症のリスクを8%程度減らすことができると推定している。

この研究は、後ろ向きの分析(ある事象をもとに過去を振り返って観察する研究)であり、結果についてはさまざまな解釈があろう。確定的なことを言うには、追試が必要だ。

ただ、薬を使うことなく、補聴器の使用で認知症のリスクを低減できるのは結構なことだ。だからこそ、権威ある『ランセット』編集部が大きく取り扱ったのだが、残念なことに、日本ではほとんど報道されなかった。

難聴対策は、高齢者の生活の質(QOL)向上に加え、認知症患者を減らす可能性もある。世界の医学界は各国政府に対策の強化を訴える。

前出の『ニューイングランド医学誌』の社説は、「認知症を減らすために、もっとも容易に介入できる危険因子は難聴対策だが、補聴器の使用は、先進国でさえ満足できるレベルではない」と論じている。

補聴器が普及しない日本

では、日本の対応はどうだろうか。実は、日本は難聴対策後進国だ。社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会の調査によれば、日本の難聴患者のうち、補聴器を使用しているのは、わずかに13.5%にすぎない。難聴患者の大部分が放置されていることになる。イギリス(42.4%)、ドイツ(34.9%)、アメリカ(30.2%)など、欧米先進国にははるかに及ばない。

なぜ、補聴器が普及しないのか。補聴器技能者が少ないこと、補聴器のイメージが良くないこと、世界の補聴器市場は欧米の5社の寡占状態であり、日本人に合わせた商品が開発されていないことなど、さまざまな理由が議論されている。

いずれも重要な問題だ。ただ、最大の問題は国民の無関心ではなかろうか。必要は発明の母と言われるが、国民に関心がなければ、医療機器メーカーや製薬企業が、補聴器や治療薬を開発するインセンティブは薄れる。

この辺り、世界は対照的だ。人工内耳(耳に埋め込む装置と体外に設置する装置で聴覚を回復させる)に代表される難聴治療が日進月歩だ。ベンチャー企業が参入し、さまざまな治療機器や医薬品を開発している。

7月5日、フランスのセンソリオン社が発表した難聴治療薬アラザセトロンの第二相臨床試験の結果が興味深い。

彼らは、人工内耳移植手術を受ける難聴患者5人に、術前にアラザセトロンを点滴で投与したところ、5人の聴力低下は12デシベルで済んだが、投与せずに人工内耳手術を受けた患者では33デシベルも低下したという。

内耳とは、中耳の奥の頭蓋骨の中にある器官で、蝸牛(かぎゅう)、前庭、三半規管から構成される。聴覚と平衡感覚をつかさどるが、聴覚については、ここで音の振動を神経内に伝達する電気シグナルに変換する。内耳は、加齢以外にも薬物や感染症など、さまざまなストレスが原因で障害されやすい。

アラザセトロンは、内耳組織を障害から守る可能性が示唆されている低分子化合物だ。センソリオン社は、さまざまな患者を対象に臨床試験を進めている。昨年1月には、突発性難聴を対象とした第二相臨床試験の結果を発表したが、この試験ではプラセボと有意な差はつかず、効果は証明されなかった。

前述の人工内耳移植手術を対象とした臨床研究の進展は、このような失敗にめげることなく、積極的に臨床開発を進めた結果だ。同社は、突発性難聴以外にも、抗がん剤による聴力低下の予防を目的とした臨床試験なども推進している。

これが、世界の難聴対策の現状だ。

同様の企業はほかにも存在する。このなかには、画期的な治療薬や治療機器の開発に成功する企業も出てくるだろう。やがて、世界の難聴対策は一変するはずだ。このあたり、日本とはずいぶん違う。

では、なぜ、筆者が難聴に関心を抱いたのだろうか。それは筆者自身が、若干、聴力が低いからだ。

そのことに初めて気づいたのは、30代の半ばだった。職場の健診で、両側の高音域の聴力が低下していることを指摘された。最近は、日常会話でも相手の発言を聞き直すことが増えた。周囲からは「声が大きい」と指摘されるようにもなった。ゆっくりと難聴が進んでいるのだろう。

聴力の低下は老化現象の1つだ。一般的に40代くらいから高音域を中心に顕在化し始め、その後、加齢とともに進行する。やがて低音域も冒されるようになる。

ただ、筆者の難聴は単に老化のせいだとは考えにくい。聴力が低下するには、30代半ばという年齢は、あまりに早すぎるからだ。

聴力低下に剣道が関係する?

筆者には、自らの聴力低下について心当たりがあった。それは、私が幼少時から大学まで剣道を続けていたことだ。難聴は、剣道家にとって大きな悩みだ。竹刀により、繰り返し頭部を叩かれることで、内耳が傷つくためと考えられている。

難聴は、剣道をやっている若い人たちでも生じることがあるといわれる。その実態は十分に研究されてはいないが、2012年に宮崎大学の医師が発表した研究によれば、1992年から2010年の間に剣道部に所属した228人の高校生に聴力検査を行ったところ、45人(19.7%)で聴力低下を認めたという。これは、医師としてにわかには信じられない数字だ。

近年、イヤホンやヘッドホンの長時間の使用による聴力低下に注目が集まり、若年者を対象に、さまざまな調査が実施されているが、聴力低下の頻度は、高くても5%程度だ。今回の結果は、あまりにも頻度が高い。追試の結果が報告されることを待っている。

繰り返すが、筆者の聴力低下は、幼少期からの剣道の稽古が影響した可能性が高い。通常の加齢性の難聴とは異なり、その経験を一般化することは慎重であるべきだ。

ただ、難聴と認知症の関係に強い関心を抱くのは、筆者だけではないだろう。

両者の関連についてはまだ研究が始まったばかりで、難聴自体が、周囲とのコミュニケーションの阻害因子となって、認知症を悪化させる危険因子なのか、あるいは、難聴は脳にアミロイド斑などが沈着することによって生じる認知症の1つの症状にすぎないのか、今の時点では区別できない。もちろん、両方の側面もあるだろう。今後の研究成果を待ちたいところだ。

いずれにせよ、われわれはもっと難聴に注目したほうがよさそうだ。やり方次第で、認知症のリスクを減らすことができるのだから。

(上 昌広 : 医療ガバナンス研究所理事長)