2023年5月の総選挙で第1党となった前進党のピター党首だが野党に首相指名を拒まれた。ピター党首の肖像画を掲げ、反対する市民たち(写真・2023 Bloomberg Finance LP)

タイの新首相選びが混迷を深めている。2023年5月の総選挙で下院の最多議席を獲得したリベラル派政党・前進党のピター・リムジャラーンラット党首が野党連合の統一首相候補になったものの、選挙管理委員会、憲法裁判所と任命制の上院に行く手を阻まれた。

いずれも9年前のクーデターで政権を奪取した軍や王党派の影響力が強い機関である。既得権層が敷設した「選挙民主主義阻止」の地雷が思惑どおり作動した形だ。

これを受けて野党連合は、第2党のタクシン元首相派プアタイ(タイ貢献党)から首相候補を出すことで合意したものの、指名に必要な数に達していない。プアタイが前進党と手を切って旧与党側と連立を組む可能性も指摘されている。国民が選挙で拒否した親軍政党の居座りを許す連合だ。

今後の成り行きは予断を許さない。タクシン元首相が長年の海外逃亡から8月10日に帰国すると宣言したことで不確定要素も増えた。いずれどんな政権ができるにしろ、前進党に投票した1440万人の反発や失望と向き合わざるをえず、政局の安定は見通せない。

王党派、第一党党首の首相就任を阻む

タイの国会で2023年7月13日、首相指名選挙が実施された。ピター党首が唯一の候補だったが、賛成票は324票で、過半数の375に届かなかった。反対が182票、棄権が199票だった。

首相指名投票には選挙で選ばれた下院議員500人に加え、上院議員249人が加わる。総選挙で151議席を獲得した前進党と第2党で141議席のプアタイなど野党8党の議席は312。下院だけの投票なら安定政権樹立に十分だが、749票の過半数を得るためには与党連合か上院議員から60票以上を得る必要があった。

前進党は、王室を中傷したり侮辱したりした場合に禁錮3〜15年などが科される不敬罪の改正や徴兵制の撤廃など公約に掲げた。これに王党派や軍が強く反発している。

2回目の首相指名選挙は7月19日に予定されていたが、開会直前に憲法裁判所がピター党首の議員資格を一時停止する決定を下した。ピター氏がメディア企業の株を所有したまま立候補したのは憲法違反だとして選挙管理委員会が憲法裁に申し立てていた。

さらに、これまでは首相指名選挙には何度でも立候補できるとされてきたが、与党議員らが議会運営規則にある「一事不再議の原則」に反すると主張し、二度目の立候補を認めない動議を提出、賛成多数で可決され、ピター氏の首相選任はなくなった。

バンコクの民主記念塔周辺には前進党の支持者らが集まり、抗議デモを開始。一部の上院議員や与党の下院議員は投票後、デモを警戒して国会議事堂裏のチャオプラヤ川の桟橋からボートで立ち去ったほどだった。

前進党はピター氏の首相就任をあきらめ、第2党のプアタイから首相候補を出すことを了承し、8党の野党連合は当面維持された。

次回の投票は7月27日とされたが、独立機関のオンブズマン事務局が、ピター氏の立候補を阻んだ国会の手続きは憲法違反の疑いがあるとして憲法裁に判断を仰いだことで延期となった。プアタイと与党などとの話し合いも決着せず、情勢は混沌としている。

矛盾を超越した前国王のカリスマ

王制と民主制はそもそも相克する政治体制だ。タイでは1932年の立憲革命で絶対王政から立憲君主制となり、国王の政治権力はいったん大幅に低下した。ところが1946年に即位したプミポン前国王は全国を行脚し、国民と直接接して敬愛を集めた。

共産主義勢力と対峙していた軍の支えもあり、国王の影響力、王室の権威は徐々に高まった。前国王は1973年、民主化運動に走った学生らの立場に寄り添ったり、その後のクーデターで裁定を下したりすることで政治的な最終決定者となった。

タイでは頻繁に憲法が改正されてきたが、主権については「全タイ人に属する。元首である国王は憲法の規定に基づき国会、内閣および裁判所を通じてその主権を行使する」(3条)と表現され、近年変化はみられない。主権はとどのつまり国民にあるのか、国王にあるのか、すっきりしない。そのあいまいさや、民主主義と王制の矛盾を超越する存在として前国王のカリスマがあった。

前国王の病状が深刻化していた2014年、政情の混乱や既得権の揺らぎを危惧する軍がクーデターを強行し、タクシン元首相の妹インラック氏が首班を務める政権を崩壊させた。王室の代替わりという国家の一大事をタクシン派政権に仕切らせるわけにはいかないとの判断があったのだろう。

タクシン派は、少額で医療を受けられる制度の導入や農民の債務免除、最低賃金の大幅上げなどの政策を推進して都市貧困層や農村部で強固な地盤を築いた。21世紀以降の選挙で連戦連勝するタクシン派に対して、選挙で勝ち目のない王党派は軍のクーデターか、首相を解任したり、政党を解党したりという裁判所の強引な介入で政権を奪取してきた。

前国王が2016年に亡くなり、現在のワチラロンコン国王が即位する前後の5年間、軍は政権を手放さなかった。その間に250人の上院議員を任命し、首相選挙の選挙権を与えた。憲法裁や選挙管理委員会には息のかかった人材を送り込んだ。

今回ピタ―氏の首相就任を拒んだのは、その上院と選挙管理委員会、憲法裁だった。拒んだ名目とされたメディア株保有について、過去4年の下院議員任期中は選管も憲法裁も問題にしていなかったのに首相指名選挙になって持ち出したこと、当該企業はすでに営業しておらず、メディアとしての実態がないことなどを考えあわせると、同氏が権力に近づいたからこその妨害であることは否定しえない。

選挙によって示された民意を尊重するのか、王党派や軍が手段を選ばず既得権にしがみつくのか。今回の首相選びほどタイの民主主義が鮮明に試される機会はなかった。これまで王党派が掲げてきた選挙軽視の大儀が大きく損なわれているからだ。

プアタイなどのタクシン派政党もこれまで「民主主義」を掲げて王党派や軍と対峙してきた。しかし国民は両者の争いをタクシン派対反タクシン派と捉えてはいても、民主派対既得権層の対立と見ていたとは必ずしも言えない。

タクシン氏は政権の座にあった時、批判的メディアに圧力をかけ、露骨に排除した。武装勢力との紛争が続く南部3県で強硬な作戦を展開した。タクシン氏自身も汚職で訴追され、タクシン政権を担った多くの閣僚らは王党派や親軍政党に鞍替えしたり、出戻りしたりしていた。

タクシン派の「民主主義」は選挙の方便ではないかとみる人、法の支配や基本的人権、少数派の利益といった民主主義の理念からは遠い政党と感じる人は多かった。

大義を失った王党派

王党派はこれまでタクシン派の「汚職」を批判し、選挙で強いのは「金をばらまくからだ」と公然と批判してきた。「貧しい連中は選挙で買収される。選挙で選ぶより徳のある人が政治をするべきだ」と露骨に唱えてきた。

ところが、今回の選挙で前進党が金をばらまいたという話は聞こえてこない。42歳のピター氏を始め当選者の年齢は若く、幹部はほとんど40歳代以下だ。これまで政権に就いていないから汚職もない。腐敗するには若すぎるのだ。支持者はさらには若い。子どもが親を説得して前進党への投票を促すといった例が多かったという。

王党派は選挙結果や民主的手続きを認めない最大の根拠を失った。

選挙で選ばれたタクシン派政権をクーデターで追放する際、王党派は「汚職」「金のばらまき」と並んで「不敬」を正当化の理由にあげてきた。

今回、「汚職」や「腐敗」という根拠を失った与党連合や王党派は、残る大儀である「不敬」をまたぞろ持ち出している。反政府運動の封じ込めに使われた不敬罪の改正や王制改革を前進党が掲げているからだ。しかし王室を取り巻く状況も大きく変わっている。

変わる王室、対立の構図

王制護持を掲げる王党派や軍がこれまでそれなりの支持を得てきたのは、プミポン前国王への国民の絶大な支持があったからだ。存命中は王制=プミポン前国王だった。ところが、ワチラロンコン国王の人望は前国王の足元にも及ばない。結婚を繰り返し、側室を置き、ドイツの豪邸での滞在期間が長い。

全身にタトゥー(シール説もある)を入れ、へそ出しルックで外出する姿や半裸の女性をはべらす動画などが出回っている。王党派や軍が守るという王制とはいったい何なのか。守ろうとしているのは彼らの既得権でしかないのではなかろうか。そうした疑問が国民の間に広がっていても不思議はない。

多くの識者が指摘するように、今回の選挙で政局の対立構造は大きく変化した。過去20年以上にわたって繰り広げられたタクシン派対反タクシン派の構図は、軍や王党派を含めた既得権層対リベラルな改革派に置き換わりつつある。第1党の座を初めて譲ったプアタイの主流派は今後、既得権層に吸収されていくのではないだろうか。

タイの政治体制はこれまで、政局が行き詰った際に軍が介入し、国王がその是非を裁定する「タイ式民主主義」と称されたり、非民選の軍出身者が首相となって統治する「半分の民主主義」と呼ばれたりした。タイ式の「式」が外れ、半分ではない民主主義に進むかどうかは今後の展開次第だが、希望はある。

今回の総選挙では3951万人が投票所に足を運び、投票率は過去最高の75.7%を記録した。前進党支持者によるデモも続いている。日本では失われて久しい民主主義をめぐる国民の熱気や高揚を私は感じている。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)