吉田知那美が「感慨深い」と振り返る北京五輪 涙するチームを笑顔にした石崎琴美の言葉
ロコ・ソラーレの吉田知那美がこれまでの人生で影響を受けた「言葉」や「格言」にスポットを当てた連載。第10回は、北京五輪決勝で敗れて落ち込む4人の意識を変えた、チームの精神的支柱・石崎琴美の言葉である――。
吉田知那美にちなんだ『32の言葉』
連載◆第10エンド
この銀メダルをちゃんと喜ぼう
(石崎琴美)
北京五輪では決勝で敗れて涙したものの、最後は銀メダルを胸に笑顔を見せたロコ・ソラーレの面々
そのなかにはみんなの所属先の企業さんもあって、先月は我らが(石崎)琴美ちゃんがお世話になっている松田整形外科記念病院さんにお邪魔し、ご挨拶ができました。病院のみなさんはとても温かくて、琴美ちゃんが職場でも愛されているのが伝わってきて、なんだかうれしかったです。
そうやって、どこでも頼りにされる琴美ちゃんは、みなさんご存知のとおりロコ・ソラーレの精神的な支柱です。でも、ちょっとした天然っぽさも持ち合わせているパッションとハプニングの人でもあります。だからこそ、可愛くて親しみやすいのですが、思い出し笑いを誘発するような、ここでは言えない事件もいくつかあります(笑)。
そんな琴美ちゃんがチームを救った言葉はたくさんありますが、特に印象に残っているのは、北京五輪の時にチームみんなにかけてくれた「この銀メダルをちゃんと喜ぼう」という言葉です。個人的には、とても感慨深いものがあります。
私は北京五輪に行く前から、「今回のオリンピックはどんな結果になろうと、絶対に楽しかったという記憶を残したい」という自分なりのテーマを持っていました。ソチ五輪や平昌五輪は経験のなさや、オリンピックというものの大きさに振り回されて、楽しむ余裕までありませんでしたから。
結果は周知のとおり、予選敗退かと思いきや、ギリッギリのプレーオフ進出。決勝まで辿り着いたけれど、ボロ負けという、ある意味では私たちらしい激しい起伏を伴ったものでした。もちろんそれが実力ですし、まだ金メダルを首にさげるチームではなかったのでしょう。
でも、決勝のあとはしばらく「なんでうちらって、最後の最後にこうなっちゃうんだろうね」と言い合って、落ち込んで......。すべての感情が悔しさに飲み込まれる寸前でした。銀メダルを持っているのに......。
私としては「楽しかったという記憶を残したい」という個人的テーマもあったので、負けてしまったけれど、楽しかったとか、銀メダルでもうれしいという満足した気持ちもありました。ただ一方で、チームとして悔しさを共有して、それを抱えて、またみんなと一緒のチャレンジしていきたい思いもあって、すごく複雑な心境だったんです。
その時に、琴美ちゃんが「この銀メダルをちゃんと喜ぼう」と言ってくれました。
そのひと言は、ここまでの戦いと首から下げているメダルには価値がある、ということを改めて教えてくれました。そして、(鈴木)夕湖さんは「琴美ちゃんがそう言ったから、今から切り替えて喜ぶ!」と明るく言っていましたが、それは本当にそうで、他の誰でもない、私たちをいちばん近くで見てくれて、一緒に戦ってくれた琴美ちゃんの言葉だからこそ、みんな素直に受け止めて、そこからじわじわと喜びが広がっていった。そんな感じでした。
また、あのシーズンのチームの合言葉は、ロンドン五輪の競泳日本男子メドレーリレーチームの名言「(北島)康介さんを手ぶらで帰すな」にちなんで、「琴美ちゃんを手ぶらで帰すな」だったのですが、夕湖さんは「じゃあ、略して"ことぶら"だね」と彼女らしさ全開のワードセンスを発揮し、その「ことぶら」は今でもチームの合言葉です。
これから始まる新シーズンも、琴美ちゃんにたくさんのすばらしいものを持ってもらえるように、チームで頑張っていきます。琴美ちゃん、いつも騒がしい4人と一緒にいてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。
吉田知那美(よしだ・ちなみ)
1991年7月26日生まれ。北海道北見市出身。幼少の頃からカーリングをはじめ、常呂中学校時代に日本選手権で3位になるなどして脚光を浴びる。2011年、北海道銀行フォルティウス(当時)入り。2014年ソチ五輪に出場し、5位入賞に貢献。その後、2014年6月にロコ ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝という快挙を遂げると、2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。2022年夏に結婚。趣味は料理で特技は食べっぷりと飲みっぷり。