アップルが発表したApple Vision Pro。2024年にアメリカから販売が開始される予定だ(筆者撮影)

アップルが世界開発者会議「WWDC23」の初日、6月5日(アメリカ時間)に発表したゴーグル型デバイス「Apple Vision Pro」。3499ドル、日本円で約50万円という価格にも驚かされるが、体験してみると、実装されている技術とソフトウェアの精度から、これまでの体験と一線を画していることがわかった。

Financial TimesやBloombergは、Vision Proの製造は2024年から始められる予定だが、その製造台数は40万台に絞られると報じている。第1世代のハードウェアの製造が計画どおりに進まないことに、何ら不思議はないが、アップルの財務基盤からして、初期の製造台数が少ないことの、同社に与えるインパクトは小さくはないだろう。

熱視線を送る「開発者」

2024年以降、実機が登場し、これに合わせる形でアプリ開発者による空間コンピューティング向けアプリが次々と登場してくることになる。これに熱視線を送っている開発者は、日本でも多い。

アップルはプレゼンアプリKeynote、ビデオコミュニケーションのFaceTime、WebブラウザSafari、コラボレーションのFreeform(フリーフォーム)といった、MacやiPhone・iPadでおなじみの標準アプリを、Vision ProのOSである「visionOS」に用意した。これらは開発者に対して、visionOS上でのアプリ開発の「例」を示している。


WWDC23で発表された「Apple Vision Pro」。3499ドルという価格はすぐに普及するとは考えにくいが、今後は価格低下が見込まれ、ゆっくりとしたペースでの普及が予測できる(筆者撮影)

これまでもそうだったが、アップルは新しいデバイスに対して、ソフトウェア、開発環境を提供こそするが、「そのデバイスでこれをやって欲しい」という限定はしてこなかった。その理由は非常に単純で、アップルほどの規模の企業をもってして、世界中の人たちがiPhoneをどのように使うのか?という答えを持ち合わせていないからだ。

iPhoneが登場した2007年の段階で、アップルは、iPhoneで低解像度の画像を共有したり、短い縦長の動画に熱狂したり、タクシーやフードデリバリーを予約するといった使い方を想定していなかったはずだ。つまり、InstagramやTikTok、Uberの登場を予期していたわけではなく、そこは開発者や勃興したテック企業のクリエーティビティーに任されていたということになる。

つまり、Apple Vision Proの将来を占うのなら、開発者やテック企業が、このデバイスで何をやってみたいのか?と探していくことが早道なのだ。

Vision Proをかけっぱなしの人が出てくる?

Vision Proの登場は、これまで毛色が異なっていた拡張現実(AR)と仮想現実(VR)の垣根を超え、より幅広い議論を巻き起こしている。

日本の開発者で唯一、WWDC23でVision Proを試すことができた開発者、小林佑樹氏。同氏はエンジニアであり、AR/VR技術を活用し社会のSpatial Computingシフトに取り組む株式会社MESONのCEOでもある。

そんな小林氏は7月13日、東京・恵比寿でXR系のコミュニティーイベント「ARISE」を開催し、日本人のVision Pro体験者4名によるトークセッションを行った。


小林佑樹氏が主催するXRのグローバルコミュニティーARISEの7月13日のイベントには、多くの開発者や企業が集まり、議論が交わされた(筆者撮影)

同氏はVision Proについて「被った瞬間が最も印象に残っている」とコメントした。

「かけて映像として見える現実空間を見たときに、歪みなどの違和感がないことに驚きました。また最初に『Hello』という文字が立体的に表示されるが、これも現実空間に違和感なく混ざっていた」

そのうえで小林氏はVision Proを「Pre-BMI」と評した。BMIとは「Brain Machine Interface」の略で、脳に直接情報を入力、あるいは脳から直接情報を出力する、脳とコンピュータを直結する仕組みのことだ。

思ったこと、何か操作したいという意思が「視線」として入力され、それをつまむ動作で動かせる、極めて直感的な操作方法を実現し、かつ視覚が正確に現実と仮想を合成できている点から、このように表現している。

こうしたデバイスが普及する近未来について小林氏は、「Vision Proだけで仕事をする人が出てくる」と予測した。このことは、AR/VRのアプリ開発者やコンテンツクリエーターにとって、非常に大きな意味を持つ。

Vision Proはこれまでのヘッドセットと異なり、室内を難なく行動できることから、自宅やオフィスで掛けっぱなしで仕事をする人が出てくる可能性が高い。そうなると、これまで人々がAR/VRのアプリに触れる時間が、比べ物にならないほどに増大することが考えられる。

スマートフォンがあらゆる人のポケットに入り、アプリを使う可能性がある時間、すなわちスマホの画面を見ている時間がデスクトップPCより長くなった。また2020年からのパンデミック下においては実空間にある店舗よりも接触時間が長くなったことで、スマートフォンのアプリ経済圏が現在も成長を続けている。

デバイスの価格低下がどこまで進展するか次第ではあるが、たとえば10年程度でVision Proやこれに類するデバイスが普及することで、パソコンとスマートフォンの役割を併せ持つような空間コンピュータの経済圏が成立していくことになるだろう。

建設現場の課題が直接解決される?

一方、建設の課題解決に対して期待を寄せ、アプリ開発を進めている企業もある。

nat株式会社の代表取締役社長、ブルース・リュウ(劉栄駿)氏は、Vision Proのデモ映像を見て、「時間と空間の境目がなくなる」という感想を述べた。

「今までアップルは平面スクリーン領域でAR/VRに注力してきたが、平面では立体的な情報を扱うことができません。Vision Proは立体的な情報を、空間でリアルに、自然かつ高画質に表現できる、本格的なハードウェアとして、ようやく登場してきました」

そのうえでリュウ氏は、Vision Proが未来の建設・建築業界における「現場の仕事とコミュニケーションの仕方を一変させる」と予測した。

これまでnatは、iPhone/iPadに搭載されているカメラと、精密な距離計測が行えるLiDARスキャナを活用し、空間でビデオを撮るだけで3D測定と間取り図生成が行えるアプリ「Scanat(スキャナット)」を開発しており、大手建設会社から中小のリフォーム業者まで導入が進んでいる。


Scanatでの現地調査風景。iPad Proで室内をビデオを撮影する要領で、ミリ単位の精度の現調が行える(筆者撮影)

これまで、現況計測は2〜3人の正確な計測に長けた人材によって行われ、膨大な時間がかかっていた。Scanatは現在、iPhoneもしくはiPadのProシリーズ(LiDARスキャナ内蔵モデル)でビデオを撮るだけで、ミリ単位の精度による計測を誰でも1人で行え、平面図を起こすこともできる。

「建設業界の2024年問題」と言われる労働時間削減と、深刻な人材不足の双方にインパクトを与えているこのアプリが、Vision Proによって、どのように変化するのか。リュウ氏は、Scanatが行っている「現地調査」(現調)の効率化以上のことが可能になると考えている。

「まず技術的な観点から、Vision Proを装着して現場を歩き回るだけで、リアルタイムでの空間計測と記録が可能になり、現調作業はより直感的かつ時間の短縮になります。これまで以上に現調作業が効率化するでしょう。

また一度データとして取り込んでしまえば、別の場所からでもVision Proでその空間に入り込むことができ、いつでも現場の中で打ち合わせをし、床や壁、家具などを配置したシミュレーションをし、実際の施工結果を共有できるでしょう」

建設業界のはたらき方改革の次にやってくるのが、「空間内装の再定義」だと、リュウ氏は指摘する。プロジェクションマッピングのように、気分でインテリアや内装を変化させる前提で、日常生活や仕事の空間が設計されるようになると予測しているのだ。

東京にも開発者向けのラボを用意

アップルは、Vision Proの発売を2024年としているが、これに先立って、開発者が、自分の作ったアプリの動作を試すことができる環境を用意している。

1つは開発者キットの提供だ。開発者登録をしたうえで申請が認められると、Vision Proの実機が貸し出され、アプリ開発に活用することができる。

もう1つは、作ったアプリを実際のVision Proで動作して試せるラボの設置だ。アップルのワールドワイドプロダクトマーケティングを担当するシニアバイスプレジデント、グレッグ・ジョズウィアック氏はX(旧Twitter)への投稿で、アップル本社があるクパティーノやロンドン、上海、シンガポール、ミュンヘンに加えて、東京にも、まもなく開発者向けラボが開設されることを明かしている。

開発者がどんな創造をアプリとして形にするのか。アップルはVision Proの成否を開発者のクリエーティビティーと消費者のトレンドに任せている。今後も開発者に対して、より多くのリソースを割いて、コミュニケーションや開発の支援を行っていくことになる。

(松村 太郎 : ジャーナリスト)