まわりの人たちは家族と仲がいいのに……(写真:プラナ/PIXTA)

子どもの衣食住を十分に満たし、安全と健康にも配慮し、表面的には何不自由なく子育てをしている「いい親」。

しかしその実、親自身が精神的に未熟であるために、子どもの話に耳を傾けない、つねに感情的である、子どもの求めを拒否する、ゆえに子どものほうがつねに親の機嫌を気にし、ストレスを抱え込むといったさまざまな問題を抱えている例も多い。

そんな「精神的に未熟な親」「精神的に未熟な親に育てられた子ども」の実態と対策を臨床心理学者リンジー・C・ギブソン氏が解き明かした『親といるとなぜか苦しい:「親という呪い」から自由になる方法』がアメリカでロング&ベストセラーとなっている。

日本でも、近年、とみに母子問題がクローズアップされているが、その実相とはどんなものか。ベストセラー『愛着障害』の著者であり、監訳者として同書に序文を寄せている精神科医・作家の岡田尊司氏に聞いた。

人間に備わっている「生理学的仕組み」


子どもの健全な生育には、親からふんだんに愛情を注がれることが欠かせない──。

古来、当たり前のように考えられてきたことですが、近年では、「親子の絆」「親子の情」といった心理学的な概念を超えた「生理学的な仕組み」として捉えられています。そこでいう「愛着」とは、ひと言で言うと「子どもを安全に守り育てるための仕組み」を指します。

子どもを安全に守り育てるためには、当然ながら、親自身の安全が確保されていなくてはいけません。つまりわが子に対して愛着を感じ、安全に守り育てようとするだけでなく、親も安心感や勇気をもらい、ストレスに対して強くなる仕組みでもあるのです。したがって愛着とは、子どものみならず、親をも守る互恵的な仕組みといえます。

愛着は人間だけに備わった仕組みではありません。種により強弱の違いはありますが、野生の哺乳類が、子が生まれてから独り立ちするまで育てるのも、まさしく愛着という仕組みの為せる業です。

ドキュメンタリー番組で野生動物の母親が熱心に子育てをする場面を見ると、つい人間の感情に当てはめて感動します。それもそのはずです。同じ生物学的仕組みを共有しているので、わが子のために必死になるという点では同じですし、共感することができるわけです。動物が人間みたいなわけではなく、同じ仕組みを人間も哺乳動物として受け継いでいるわけです。

ただ1つ、野生動物と人間とで異なるのは、独り立ちをしてからも愛着が続くことです。親による保護や世話が必要なくなるまで愛着が続くのは、野生動物も人間も同じです。しかし人間の場合は、子どもが成長し、独り立ちしてからも、何か困ったことがあったらいつでも助けになろうという親の気持ちが長く続くのです。

「愛着障害」という死に至る病

ところが世の中には、愛着がうまく働かない親というものが存在します。とくに深刻な問題に発展しやすいのは母親の愛着が不安定な場合です。

愛着は子どもの安全と成長のために不可欠な仕組みである以上、愛着が働かない親のもとで子どもが育つことは情緒的な問題ではなく、身体的健康や生命にもかかわる問題になってしまうのです。そこで私は、親の愛着を十分に得られず、感じられなかった「愛着障害」こそが現代人にとっての「死に至る病」であると捉え、2011年に『愛着障害』、2019年に『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』という本を書きました。

「死に至る病」とは大げさな、と思われたかもしれませんが、決して比喩的な意味でそのように呼んでいるわけではありません。

子どもは、親の事情や状態がどうなっていようと構わず生まれてきます。そして本能的に親の愛着を求めます。それが満たされなかった場合に、子どもが抱え込むことになる困難は枚挙に暇がありません。

愛着が十分に発動していない親の元で育つ子は、情緒が不安定といった心理的な問題のみならず、行動の問題や身体的、社会的発達、免疫系などにも支障が生じることがわかっています。

幼いころは、ADHD(注意欠如/多動症)などの発達障害や発達障害によく似た状態、身体的な虚弱やアレルギー、思春期以降では、不安障害やうつなどの気分障害、自傷行為、摂食障害、さまざまな依存症、慢性的な痛み、パートナーとの不安定な関係や育児困難等、さまざまな生きづらさや心身の症状に、生涯にわたり悩まされる可能性があるのです。

子ども側に立ってみれば、親と一緒にいると何だか居心地が悪い、苦しいというのは1つのサインです。ただ「親と一緒にいると居心地が悪くて苦しい」という1つの現象として片づけられる話ではなく、今、感じている心身の不調は、ひょっとしたら親の愛着が不安定だった、もしくは欠けていたがゆえに起こっている問題かもしれません。

改めて注目されている「母子問題」

大人の生きづらさや心身の不調、家族間のトラブルの根源として、近年、とみに「母と子の関係」がクローズアップされています。私が序文を寄せている『親といるとなぜか苦しい』もその1冊といえますが、なぜここまで「母子問題」が国内外で注目を浴びているのでしょうか。

社会通念の良し悪しは別として、かつて子どもを生んだ女性は、ある程度子育てに専念できる環境がありました。


ところが近年、女性の社会的な役割が増しているなかで、子どもを生んだ女性が母業に専念できない、あるいは、そんななかで母業に専念することで、社会人としてのアイデンティティーが欠けているように感じてしまう。こうした「女性を取り巻く社会状況」の変化、それにともなう「女性の意識変容」の1つの結果として、愛着という生来の仕組みが脅かされやすい状況が生じているのではないかと思います。

もちろん、さまざまな要因で、母親が子育てに専念できない状況は、以前の社会にもあったでしょうし、愛着の仕組みがうまく機能しない親は一定数存在したでしょう。しかし、育児放棄をされた野生動物の子どもが生きられないように、人間においても、愛着が機能しない親のもとに生まれた子どもは早くに亡くなっていたのです。それが今では医療や社会的な受け皿が発達したことで、たとえ愛着が発動しない親の元に生まれてしまっても成長できるようになりました。

かつてなら失われていたかもしれない命が、守られるようになったこと自体は、もちろん、すばらしい変化です。ただ、親に代わって誰かが守り育ててくれたとしても、親との安定した愛着を欠いている点は解消されません。そういうわけで、愛着障害に起因するさまざまな困難を抱えて生きていかざるをえなくなっている大人が、この現代社会には相当数いると考えられるのです。

(構成:福島結実子)

(岡田 尊司 : 精神科医、作家)