(写真:8x10/PIXTA)

関西を中心に活動しているナレーター兼声優の中村郁さんは、自閉スペクトラム症(ASD)、そして、注意欠如・多動性障害(ADHD)と診断され、さまざまな困難を抱えながら生きてきました。スケジュールや時間の管理ができない、人とのコミュニケーションが苦手、感情のコントロールができない……。そうした生きづらさを抱えながら、見えてきたのはどのようなことだったのでしょうか。本稿では中村さんの著書『発達障害で「ぐちゃぐちゃな私」が最高に輝く方法』より一部抜粋・編集のうえ、SNSとの向き合い方についてお届けします。

SNSの投稿は真実か?

あなたはSNSをされていますか? ツイッター、インスタグラム、ティックトック、フェイスブック……。さまざまな媒体がありますね。私はとりあえず、一通り登録をしていますが、あまり活用できていません。機械音痴なので、うまく使いこなせていないのもありますが、基本的にSNSが苦手です。SNSでのキラキラ投稿を見ていると、ものすごくつかれてしまうからです。

そんな私ですが、バンド活動をしていた20代のころは、ブログを活用して集客をがんばっていた時期がありました。毎日更新し、日々のできごとを自撮り写真とともに載せ、アクセス数を増やすためにいろんな努力をし、ファンを増やしておりました。

当然、記事に書くのは日々の楽しかったことや、仕事でほめられたこと、友人とすごしたことなど、私の日常において「いいことだけ」を切り取ったものになります。

今の夫とはこのころに出会っているのですが、夫は私のことが気になっていたらしく、私のブログを毎日見ていたそうなのです。初めて会話をしたとき「中村さんってリア充ですよね。僕なんかとは住む世界が違います」といわれ、私は目を丸くしてしまいました。まさかブログを見られているとは思わなかったし、実際の私はリア充からはほど遠い生活をしていたからです。なんせ、酔っぱらって植え込みに倒れ込んでいるような生活でしたから……。

当時の自分を振り返ってみると、とにかく必死でした。ナレーターとしてもまだまだ駆け出し、大好きな音楽活動も中途半端、何者にもなれない自分に悩み、もがき苦しんでいました。自分自身を大きく見せようとしていたことも否定できません。自己承認欲求の塊だったともいえます。

お恥ずかしながら、当時の私は、とてもギラギラしていたのです。

私はキラキラしている人が苦手です。正確にいうと、本当にキラキラしている人は好きですが、キラキラしているように見せる人が苦手です。当時の自分を見ているような気持ちになってしまいます。

本当に充実している人は、キラキラ投稿をSNSにアップしたりしません。私の尊敬する、関西でいちばん売れているナレーターの先輩は、SNSをいっさいされていません。いまだちょこちょこ投稿している私は、まだまだ自己承認欲求が強く、ギラギラした部分が残っている、煩悩にまみれた女であるといえます。

私自身の経験から、キラキラしている人はギラギラしているだけの可能性があります。SNSのキラキラ投稿を見ていると、つい自分の生活と比べてつかれてしまうという方は、このことを意識してください。

真実と虚構が入り混じっている

あなたが目にしているのは、キラキラ投稿ではなく、ギラギラ投稿です。濁点がつくだけで、こんなにも受けるイメージが変わります。お金の匂いをさせる人、内気な人を攻撃する人、意識高い系の発言ばかり載せる人、やたら大人数のパーティーに参加して、いろいろな著名人とのツーショット写真をアップする人……。このような投稿を見て、少しでもつかれると感じたら、そっとSNSを閉じてください。

SNSに振り回されるのはやめましょう。真実も虚構も入り混じっています。なんせ「植え込み倒れ女」が、キラキラに見えてしまう世界なのです。

あなたはあなたの世界を生きてください。SNSではなく、目の前の現実世界を大切にしていただきたいのです。私も今一度、SNSとの距離の取り方を考えていきます。

私は自分のことを、ダメ人間であると自負しています。「女性として終わっているな」と思うほどずぼらなところも多々あります。顔を洗わずに寝てしまったり、信じられないくらい部屋が散らかっていたり。洗濯が間に合わず、パンツをはかずに仕事に行ったことさえあります。ドン引き案件です。

やる気スイッチが入っているときはいいのですが、スイッチが切れると、途端にダメ人間になってしまいます。お酒を飲みまくり、翌日は一日中寝ていることも……ダメですね。

しかし、私のまわりには、たくさんの人から愛されているダメ人間が何人もいます。たとえば、私が心から信頼しているテレビ局員さん。彼は非常に細やかな気づかいができる人で、ともに番組をつくるチームのメンバー一人ひとりを尊重してくださいます。立場が上であるにもかかわらず、みんなに分け隔てなく接する姿は、神々しくさえあります。

私は、まだナレーションのお仕事を経験したことがない新人たちを、自分の仕事現場に連れていって見学させることがあるのですが、彼はいつも快く私の後輩たちをむかえてくれます。現場で勉強がしやすいよう、私が読むナレーション原稿を後輩の人数分用意してくださり、一人ひとりに名刺を配ってていねいにご挨拶をしてくださいます。

見学の後輩たちにまで原稿を用意してくださることは非常に稀ですし、ましてや名刺を自らお渡しになった局員の方は、彼しか見たことがありません。

完璧すぎる人の問題点

そんな彼なのですが、私生活ではかなりのダメ人間です。ギャンブルでお金を使いまくり、テレビ局員さんなのに「お金がない」といつも口にしています。みんなが一目置く存在であるにもかかわらず、ダメな部分が大きすぎるのです。

私はいまだに、こんなに仕事ができる彼がギャンブルにはまっているということが信じられません。ただ、ギャンブルでお金が消えてしまうことも、包み隠さずお話しする姿がなんとも愛しく、私はまた彼のことが好きになってしまうのです。

私だけではありません。現場のみんな、彼のことが大好きです。もし、この彼が、品行方正だったら……こんなにみんなから愛されるでしょうか。完璧すぎる人間は、人に警戒心を与えます。近づきにくい印象も与えるでしょう。

私の場合、完璧な人を前にすると、「ダメな自分を見せてはならない」と緊張が走ってしまい、心を開くことができなくなります。ダメなところがあるからこそ、人はその人に親近感を抱くのです。彼が皆に慕われるのは、彼のダメなところにも起因しているのです。

もう一人、すぐれたダメ人間がいます。彼はCMプロデューサーで、ダルビッシュ有さんのようなクールな雰囲気の方です。

はじめて一緒にお仕事をしたあと、彼は「少し待ってください」と私に伝え、走り去っていきました。もどってきた彼は、私に「こんなのしかないんですが……」と、ぐちゃぐちゃに折れ曲がり汚れた名刺を渡してきたのです。

名刺を切らしていたのでしょう。それでも「名刺交換を」と思ってくださったお気持ちがうれしかったと同時に、あまりのぐちゃぐちゃさに思わず笑ってしまったのでした。

クールな見た目からは想像できないぐちゃぐちゃさ。一気に親近感がわきました。


また、私の友人にとても美しい女性がいます。ハイヒールを履き、いつも背筋がピンと伸び、凛としていて、とても美しい女性なのですが、お手洗いのあと、手を洗い、その手を自分の服で拭くのです。

あまりに堂々と拭いているので「ハンカチ忘れたん?」と尋ねると、彼女は「私、ハンカチなんか持ったことないよ。服か髪の毛で拭いたらいいやん」と屈託のない笑顔で答えてくれました。

私はこの瞬間に「こんなに美しい女性でも、こんながさつなところがあるのか」と、とたんに親近感がわいてしまったのです。

どんな人も、完璧ではありません。

私の場合はダメな部分が多すぎるので該当しないと思いますが、ダメな部分があることを隠さない自称ダメ人間は、とても正直で、裏表のないつき合いやすい人であるといえます。

おっちょこちょいでどんくさい人を嫌う人がいる一方で、なんだか気になって放っておけないという人が一定数いるのも事実です。

ダメな自分も認めましょう。そのダメなところは、誰かに安心感や親近感を与える材料になりえます。ダメな人ほど愛されるのです。

(中村 郁 : ナレーター、声優)