なぜ山下達郎さんの発言は炎上したのか。過去の類似事例も参考にしながら考えていきたい(出所:Amazon)

「もうオワコン(終わったコンテンツ)」「ただの老害」「ガッカリした」--。

ジャニー喜多川氏の性加害問題に関連して、シンガー・ソングライターの山下達郎さんの発言が非難をあびている。

発言のきっかけは、音楽プロデューサーの松尾潔さんによるツイートだ。松尾さんはこれまで、山下さんの所属事務所「スマイルカンパニー」と業務提携していた。

「15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました。私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です」(2023年7月1日の松尾さんツイート)

スマイルカンパニーの元社長は、かつてジャニーズ事務所の関連会社でも社長を務めていた。こうした関係もあって、ネットユーザーからは、契約終了の背景に「ジャニーズ側への忖度があったのでは」といった指摘とともに、名指しされた山下さん自身の発言を求める声が高まった。

だが、そんな期待に応える形でのコメントだったのだが、結果的には「炎上」を招いてしまうこととなった。

筆者はネットニュース編集者として10年以上、従来メディアとネットの「温度差」に触れてきた。その経験から今回の炎上は、SNSと「閉じた空間」との距離感を見誤った結果なのではないかと感じている。

過去の類似事例も参考にしながら、「なぜ山下達郎コメントは燃えたのか」を考えていきたい。

松尾氏のツイートを受け、社長「双方の合意により終了」

まずは経緯を振り返ろう。


出所:スマイルカンパニー公式サイト

松尾さんのツイートを受けて、スマイルカンパニーは7月5日、松尾さんとの業務委託契約が6月末で「双方の合意により終了」したと、現社長の小杉周水氏名義でのコメントを出した。

あわせて、7月9日放送のラジオ番組「山下達郎のサンデー・ソングブック」(TOKYO FM・JFN系列)にて、「山下達郎本人より大切なご報告がございます」との告知もなされた。

松尾さんは7月6日、「日刊ゲンダイ」の連載コラムで、改めて一連の経緯を説明した。性加害問題について、ジャニーズ側が公式見解を出した翌朝、ラジオ番組の生放送で「膿を出すというところに、舵を切るべき」などと発言。それにより、スマイルカンパニーからは「不敬罪による一発退場」をさせられたとの認識を示した。

そんな中で迎えた山下さんの発言は、日曜午後の聞きやすい時間帯とあって、多くの人に注目された。全文の「文字起こし」記事は、ネットニュース各社から配信されている。放送後1週間以内であれば、radiko(ラジコ)でも聞けるので、細かいニュアンスはそちらにお任せして、ここでは要点を絞ってお伝えしよう。

番組が折り返しを迎えた開始30分ごろ、山下さんは「ツイッター、Facebook、インスタ(グラム)といったもの一切やっておりませんので、ネットで発信することができません」と前置きしつつ、この場でのコメントとなった旨を報告した。

「そういう方々には、私の音楽は不要でしょう」

山下さんは「いまの世の中は、なまじ黙っていると『言ったもの勝ち』で、どんどんどんどん、ウソの情報が拡散」するとして、ジャニーズに「忖度した」との指摘を否定した。性加害を擁護するものではないとしつつ、喜多川氏の功績には「尊敬の念」を示しながら、内部事情はあずかり知らなかったとの立場を取り、以下のように締めくくった。

「『忖度』あるいは『長いものに巻かれている』と、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっと、そういう方々には、私の音楽は不要でしょう」

放送から1日たっても、山下さんの発言に対して、SNS上では批判的な感想が止まらない。とくに、ラストの「私の音楽は不要」発言には、がっかりしたとの声が相次いでいる。

山下さんは今回のコメントで、いわゆる「作品に罪はない論」を主張していた。作品・タレントと制作陣(ジャニーズ側)をわける考え方を提案する一方で、作品と制作者(山下さん)の同一視をうながすような発言をみずから行ったことで、その整合性を問うユーザーも絶えない。

受け手を突き放すかのような「嫌なら聴くな」的な発言をめぐっては、過去にも炎上事案が起きている。「ナインティナイン」岡村隆史さんが2011年、そのころ韓流(はんりゅう)を推していたフジテレビへ批判が出ていたことに対して、ラジオで「嫌なら見るな」といった趣旨の苦言を呈したことだ。

この発言を境に、フジテレビへの風当たりが強くなり、ネットユーザーを中心として「嫌だから見ない」との反発が起き、視聴率低下の遠因になったのではとの指摘もある。

岡村さんは2018年になって、当時の発言をテレビ番組で謝罪しているが、今回の山下さんの発言を受けて、「岡村さんを思い出した」とのツイートは多々見られる。

ラジオの「閉じた空間」が温度差を加速させた?

では、なぜ温度差が生まれるような発言が、なされてしまったのだろうか。

ひとつ考えられるのは「閉じた空間」と、それ以外の区別ができていない可能性だ。筆者はラジオの魅力を「閉じた空間ゆえに生まれる、パーソナリティーとリスナーの関係性の近さ」にあると考えている。

それだけに、もしシャッターの向こう側で「聞き耳」を立てている人が現れると、認識にズレが生まれてしまいかねない。番組リスナーによる実況ツイートが当たり前になり、スポーツ紙やネットニュースが、放送中でも発言を記事化するようになるにつれ、閉じた関係における「お約束」が、背景を知らない人々にも届き、炎上リスクをはらむようになった。

山下さんは9日の放送で、「サンデー・ソングブック」を「私の唯一の発信基地である」と表現していた。それほどまでに、心のよりどころにしているのであれば、「私の音楽は不要」発言も、リスナーを突き放す意図ではなく、「コアなファンであれば、わかってくれるだろう」との思いがあったのかもしれない。

ただ、少なくとも今回は、それが裏目に出たように感じられる。

リスナーとパーソナリティーの「共犯関係」を保ちながら、あらゆる方向への配慮も欠かさず、いかに価値観をアップデートしていくか。筆者もラジオ好きなので「世知辛くなったな」とさびしくなるが、これも情報化社会の宿命なのだろう。

「わかる人だけ、わかればいい」という時代ではない

山下さんは以前から、サブスクリプション(定額課金)の音楽配信サービスに、自身の楽曲を出さないスタンスを示している。各所での発言を重ねると、その理由がサブスク業界に現状、収益構造や権利関係の課題が残っていることにあると読み取れる。

しかし、サブスク解禁に否定的な姿勢に、コメント冒頭の「SNSやってない」発言がかけ合わさってしまうと、「ただ単に『デジタル嫌い』なだけでは」といった、ネガティブな印象を与えかねない。

経緯説明の仕方も、両者への印象をわけた。松尾さんのコラムからは「アーティスティック」と感じる一方、山下さんのコメントは、どちらかといえば「ビジネスライク」なものだった。法的な観点から難しい部分もあるだろうが、こうした伝え方の違いにも「既得権益の維持or解体」の対立軸のもとで、うがった見方をするユーザーは珍しくない。

スピード感が求められる情報化社会においては、松尾ツイートから9日後になって、ようやく口を開いたことも、山下さんの失点につながった。SNSはなくても、公式サイトはある。どうしても文書でなく声で……ということであれば、音声ファイルをアップロードすることもできたはずだ。

いくつもの時代を作ってきたからこそ、山下さんに「時代を変えてくれるだろう」と期待していた人は多かった。それだけに、ひとたび失望が広がってしまうと、なかなか挽回するのは難しい。最初の対応によっては、岡村さんの時と同じように、長きにわたって「炎上するポイント」になってしまう可能性すらある。

令和の今はもう、「わかる人だけ、わかればいい」といった時代では、残念ながらなくなりつつある。これから先の評価がどうなるのかは、RIDE ON TIME(時流に乗る)か、否かだ。

(城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー)