クラター・コンサルタント、やましたひでこさん(撮影/吉岡竜紀)

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 2010年。毎年発表される新語・流行語大賞に、当時は聞き慣れない言葉がノミネートされたことを覚えているだろうか。

【写真】「断捨離」を生み出した、やましたさん宅こだわりのキッチン収納スペース

「断捨離」である─。

断捨離を提唱した、やましたひでこ

 '09年に『新・片づけ術 断捨離』という単行本が大ヒット。「断捨離」はテレビ・新聞・雑誌などで注目され、瞬く間に世間に浸透し、流行語というよりも一般的なワードとして広まったのだ。

「うちも断捨離しなきゃね」

「私、趣味は断捨離です」

 この「断捨離」は、1人の女性が提唱した言葉だった。

 やましたひでこさん─。

「断捨離」とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得て、日常の「片づけ」に落とし込み、応用させた、やましたさん独自の「自己探訪メソッド」だった。

 つまり、「断」とは「入ってくる要らないモノを断つ」、「捨」とは「家にはびこる要らないモノを捨てる」、「離」とは「いろいろな執着の心が解放される」ことなのだ。

 断捨離は、人生を有機的に機能させる「行動哲学」と位置づけ、空間を新陳代謝させながら新たな思考と行動を促す提案である。

 やましたさんは、'09年の「断捨離」の単行本をはじめ、国内だけで60冊ほどのシリーズ本を手がけた。さらにやましたさんの著書はアジア各国、ヨーロッパ各国において30か国語に翻訳され、国内外で累計700万部を超えるセールスを記録している。

父と姉の死がきっかけで葬式もお墓も断捨離

 東京・港区にある高層マンションの一室─。やましたさんは、笑顔で出迎えてくれた。

 この前日、やましたさんは、ある講演会のゲストとして登壇していた。

「講演会のテーマは“死”でした。私は、日常がフィールドなので、日常で“死”をどのように捉えていくか、ということを個人的な話も含めながら話してきました。私の立場としては、“死”に伴う社会環境として何を断捨離するかなんですが、まず葬式自体を断捨離、お墓も断捨離していい。そういう話をしてきました」

 葬式とお墓を断捨離とは、どういうことだろう。

「私が初めて経験した家族の死は父でした。父と母は非常に折り合いが悪くて、母は父へのグチを垂れ流しながら生きていたような人だったんですね。今でいう熟年離婚をするような典型的な夫婦でしたから。でも別れることはなく、最終的に父の具合が悪くなり、アルツハイマーも発症して大変だったんです」

 ところが、いざ父親が亡くなると、母は泣いてみせたのだった。

「“お父さんなんて大嫌い”と言ってた人が泣くんですよ。びっくりですよ。死んでほしかったんじゃないのと思っていたから。で、しばらくしたら“あー、せいせいした”とあっさり言う」

 夫という縁の深い人でも、結局母にとってはそういう存在でしかなかったのか─。

「その時、人を招いてまで葬式をする必要はどこにあるんだろうと疑問が湧きました。そして、追い打ちをかけたのは、姉の死でした」

 やましたさんには、5歳年上の姉がいた。彼女は、ドイツ人男性と国際結婚をし、ドイツ在住だった。

「突然死でした。バスルームで手首を切ろうとした。でも亡くなった直接の原因は、その傷ではなかった。姉は脳幹に腫瘍があり、自殺しようとしたときに破裂して亡くなったんです」

 やましたさんが到着するまで数日間、姉の夫はお葬式を待っていてくれた。

 姉を荼毘に付すとき、火葬場にはやましたさんと姉の夫、そして日本人の姉の友人女性2人が立ち会ったという。

「で、いよいよ焼場のドアが閉まるとき、友達の1人が姉の名前を叫んで号泣したんですよ。私は、その姿を見て“引いた”んですね。私は泣くこともできない。胸が痛いだけで、涙も出なかった。なのに彼女は、叫びながら焼場のドアをバンバン叩くんですよ」

 その後、姉の夫が食事会を開いてくれた。そこで、やましたさんは再び驚くことになる。

「あんなに泣き叫んでいた彼女が笑いながらごはんを食べているんですね。で、“こんな葬式、いらない”と思った」

 やましたさんは「嘘っぽい」と感じたのだ。

「第三者の葬式だったら、社会的なつながりがあればお花でも送るけど、私は葬式には一切出ないって決めました。で、自分にとっての大切な存在の死なら、自分ひとりで泣きたいなと思ったの。そういうことに煩わされたくないと思ったんですね。だから喪服も断捨離したから持ってない」

 お墓もいらないという。

「ブータンに2度行ったことがあるんですが、チベット仏教の考えが残っているところで、墓石という概念がない。遺体というのはその人が脱ぎ捨てた服、という感覚なんです。“ああ、これだ”と私は思いました。お墓もいらない。その辺に撒いてくれればいいからと思ったんですね」

 やましたさんは、夫にも息子にも「お葬式なんかはやってほしくない。お墓もいらない」と伝えている。

ため込みは執着の強さと不安の表れ

 やましたさんは、1954年、東京・立川市で生まれ、町田市に移り住み、大学卒業まで過ごした。

 父は石川県小松市出身で、大阪から疎開していた母と小松市で出会い結婚、2人で東京に出てきたのだった。

「父は、警視庁の試験に受かって出てきたんですよ。それから警察官になって、その後退職して、保険会社のサラリーマンになりました。事故調査の仕事ですね」

 姉は破天荒な人。18歳になると「とにかく留学したい」と言い出して、アメリカの新聞社に手紙を書いて、ホストファミリーを自分で見つけ、英語を自分で勉強したいからと、まず日本の米軍キャンプに就職。2年間お金を貯めて渡米し、ホストファミリーの家に行った。そこの高校に入学し大学まで行くつもりだったらしい。

「そしたらファミリーの息子が姉のことを好きになっちゃって、求婚されて、嫌で逃げて帰ってきた。日本に戻り、恋愛しては失恋して、それで傷心旅行でヨーロッパに行ったときに、ドイツ人の彼と知り合って結婚しちゃったんです」

 やましたさんが幼少のころ、家のイメージは薄汚れた感じだったという。

「母は掃除が嫌いだし、モノはため込む。身体がそんなに丈夫じゃなくて家事一切が嫌い。お嬢さん育ちなんですね」

 やましたさんも特に掃除や片づけが好きでもなかったが、モノがたまっていくのが嫌だった。時々「いらないな」と思ったモノを捨てると、母が「何で捨てるの? モノを大事にしない子ね」と叱られた。

 あるとき、やましたさんは台所の引き出しに大量の領収書が詰まっているのを見た。

「その当時は集金人が来て、お金を払うという名残があった時代で、過去何十年分の領収書が取ってあったんですね」

 母が言うには、あるとき払ったのに集金人に払ってないと言われて、領収書が出てこなかったからまた払わされたと。

「その悔しい記憶は何十年も前なんですよ。そういうすごく執着の強い人だった。母を見てるとモノのため込みと比例して、不安がどんどん大きくなっていた。不安があるからため込むわけですね」

 家の中のどんなモノがどれくらいたまっていて、期間はどれくらいかがわかれば、不安の量が特定できるという。

「母は自分の未来を信じてなかった。未来にまた集金人が来て、お金を払わないといけなくなるんじゃないかというような恐怖を持ちながら生きている。自分の未来にはろくなことが起きない。だからためておく─。そういう思考回路だとわかったんですね」

夢も何もなかったころに出会った「行法哲学」

 やましたさんは、高校を卒業後、早稲田大学文学部に進学する。

「高校時代には、哲学者のエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とか『夢の精神分析』とかも面白いな、そういう勉強をしたいなとは思ってました。だから専攻したのは社会学科。でも、大学は全然つまんなかった」

 将来の夢も志望も特にない。学業に趣味に、恋愛に、と学生生活を謳歌している同級生たちと比べると、あまり覇気のない学生だったという。そんな彼女を見かねた姉がすすめてくれたのが、当時注目され始めていたヨガだった。

「とはいっても、今の美容や健康を目的としたスタイリッシュなボディワーク主体のヨガとはだいぶ違っていて、呼吸、食、姿勢・動作、思想、環境という、自分の内側と外側からヨガの哲学を実践していく“心身修養”としてのヨガなんですね」

 カルチャーセンターでの授業に始まり、「指導員養成講座」へと進む中で、あるとき、「断行」「捨行」「離行」と呼ばれる「執着を手放すための行法哲学」に出会う。

「例えば、いちばん有名な“断行”は“断食”。水以外一切口にせず、何日も過ごす、忍耐を伴う修行です」

 もちろん当時は「断捨離」という言葉には行きついてはいない。

「断つ行法」「捨てる行法」「離れる行法」という教えはあった。それは行法哲学。つまり行動で身につけていく哲学だった。

「やっぱり東洋的な哲学は“行”なんですね。本で勉強するものではない。行じて身につけていくんです」

 あるとき、先輩に「何を断って、何を捨てて、何から離れるのでしょうか」と聞いたら「それは執着だ」と言う。

「えー、それは無理だよと思った。だけど、納得はしてた。つまり“断捨離”という行をつまんでみた。かじってみた。で、“魅了された。けど苦い。これは丸ごとは食べれないな”と、咀嚼して自分の力にするのは無理だと思った。これは見なかったことにしようと、押し入れに突っ込んだ感じだったんですね」

嫁いだ先は石川県小松市の従兄のもと

 大学を卒業した直後、やましたさんは結婚をする。

 相手は、石川県小松市にいる5歳年上の従兄だった。

「夏休みとか父の実家の小松に遊びに行ってたんですね。中学生のころから懐いている従兄のお兄ちゃん。つまり、父の姉の息子と結婚したんです。大学4年のとき、小松に遊びに行ったタイミングで、結婚を考えるようになった。一緒にいて楽しかったし、心が楽になったんですね」

 大学を卒業したのが3月でその年の11月に結婚。母は「大学まで出したのになんであんな田舎に、父親の実家みたいなところに行くんだ」と激怒したという。

 夫は歯科技工業。

「天然歯にそっくりな歯を作ることで知られていて、当時は夫にしかできない技術だといわれていましたね」

 東京の大学生だった女性が突然、北陸の町の嫁になる。これは大変なことだろう。

「私はいわゆる核家族で自由に育っているわけですよ。それが突然、田舎の価値観と出会う。村や町の人が世話を焼いてくる、『村姑』『町姑』という言葉があるような古い町でした。伝統文化があって、それは好きでしたけど。古いお祭りがあって、町家でね」

 町家とは、店舗付きの民家。間口が狭く、奥に広い。

「で、お金持ちの家には蔵がある。うちはなかったんだけど。隣の家にも蔵はなくて、そこの奥さんと話していると、“蔵のあるうちはいいわね。いらんモン(必要ないモノ)もとっておけるし”と言う。驚いた。“何でいらんモンを取っておくために蔵を欲しがるんだ?”。いらないモノはいらないでしょ(笑)」

衣類の片づけで開眼。これが断捨離なんだ!

 やましたさんは、家事の傍ら、近所の奥さんたちにヨガを教えるようになっていた。

「ヨガの指導員は、大学4年からやっていましたから。嫁いでからも“ここの奥さん、ヨガを教えてくれる”とすぐに人気になって、どんどん人が集まってきたんですね。婦人会などいろんなところで教えてくれ、となっていきました。当時はヨガを教える人なんていないですからね。田舎は他所者を嫌うんだけど、東京は別なんです。東京の人には興味があるし、私は(父の出身地という)縁がありましたからね。だからすぐに溶け込んでいけた」

 町を歩いていても、どこへ行ってもたちまち生徒さんと会う。買い物してても「あ、先生!」と声をかけられるほどになっていた。そんな毎日を送っていたある日。

 カリスマ的なヨガの指導者であった沖正弘氏が急逝し、静岡県三島市で道場葬が行われた。その帰り道、先輩のヨガの先生にやましたさんはこんなことを呟いた。

「断捨離と言われても無理ですよね。執着をバッサリと捨てて離れるなんて」

 すると先輩は、

「そうだよな。わが家の洋服だんすだって、着ない服でギチギチで、なかなか始末がつけられないんだからな」

 あ! その言葉に、やましたさんは閃いた。

「女性って季節の変わり目になると、“着る服がない”と言うんです。でもあるんだよ、実際は。クローゼットの中にはいっぱい入っている。それは、正確に言い換えると“着たくない服はいっぱいあるけど、着たいと思う服はない。それで着る服がない”という意味。たんすの中にはあるけど、心の中にはないということなんですね」

 ではなぜ、着たくない服がそこにたまっているのか。

「けっこう高かったから」

「せっかく買ったのだから」

「いつか着るときが来るかもしれないから」……。

 その当時、やましたさん自身、衣類の片づけに手をこまねいていたのだ。

「これは過去への思いと未来への期待の執着だ。それが可視化されているんじゃないか、と瞬時にわかった。ぎっしり詰まった服こそが、私が抱える“執着心”なのではないかと気づいた。何だ、ここから始めればいいんだ!」

 とはいえ、最初は不要な服を手放す作業は難儀なものだった。それでも、モノを捨てることの後ろめたさや心苦しさを受け止めながらも、少しずつ手放すことを続けるうちに、次第に心が軽くなり、言い知れぬ爽快感が込み上げてきた。これが、断捨離という引き算の解決法の実感だった。

執着を断捨離するのは無理

「執着を断捨離するのは無理だ」と思ってから10年後のことだった。

「もったいない」が口癖の大きな敵の存在

「断捨離」という道を歩み始めたのだが、その前に大きな壁が立ちはだかった。それはお姑さんの存在だった。

「私がやっとの思いでゴミ袋に入れたのを“ちょっと失礼。あら、もったいない”と言って袋から出すわけね。まったく悪気がないからこそ余計に腹が立った(笑)」

 毎日がバトルの連続だった。姑の口癖は「狭い、狭い」だった。町家で間口が細いから余計だった。そして、モノが増えていくからますます狭い。彼女は、収納の棚を買えば、この狭さが解決すると思っているようだった。

「棚を置けば空間としては余計狭くなるのはわかっているのに。それがあるせいで狭くなっている。モノをなくせば広くなるよ。しかも、モノが選び抜かれれば、片づけるのも容易になるよ、と叫びたくなった(笑)」

「断捨離」が持つ本当の意味を伝えよう

 そして、やましたさんはこの考えを伝えていかなければ、と思うようになっていた。

「当時はヨガの教室をやっていたので、その生徒さんたちに伝え始めました。ちょうど姑とのバトルにも疲れて、夫の実家から離れた場所に家を建てて、『断捨離オープンハウス』と呼ばれて人が集まるようになっていった。そこでヨガだけでなく、“断捨離”の講座を始めたんです」

 ヨガのボディワークとともに、ヨガの精神性、そして住空間を通して「断って・捨てて・離れる」ということは伝えられるなと思ったのだ。

「だから、空間のヨガなんだよ、断捨離は。いろんなものを新陳代謝させていくことによって、出したら入れる、入れたら出す、呼吸空間に落としていくことが大事。ものを整理収納するよりももっと大事なことがある、ということを伝えだした。そしたら、人がどんどん集まり始めた」

 手に入れることも大事だけど、出すのが先だから循環が起こる。命のメカニズム、宇宙のメカニズムを絡めて話をすると生徒さんたちの顔が輝き始めた。そして収納苦、片づけ苦に悩まされていた女性に、断捨離でいろんな現象が起きていったのだ。

 すると、「友達にも聞かせたい、家族にも聞かせたい」「私たちの地元にも来てくれませんか」ということになって、いろんなところで話すようになっていった。

「そこで、東京にも呼ばれたんです。セミナーをやったら興味を持ってくれた作家の方が紹介してくれた、出版社の編集者が来てくれたんですね」

 その編集者だった三枝陽子さん(44)が当時を語る。

「字面のインパクトがすごいのと、とても初めての著書とは思えない深い内容に私も自分の生活を見直すきっかけにもなりました。やましたさんの凛としてスタイリッシュでありながら、気さくで温かい人柄にもとても惹かれました」

 この本は、毎週1万部ずつ増刷し、結局32万部発行。さらに文庫化され4万部出している。マガジンハウスでは、続編の『俯瞰力』『自在力』さらにムック本などで合計100万部以上を売り上げている。ところが、やましたさんは有頂天になるどころか、首を傾げていたという。

「“今こそ引き算なのになんでみんな気づいてないんだろう?”と不思議でした。引き算こそがアドバンテージだと。本が売れる売れないということ以前に、多くの人が気づいてないのが不満だった」

「断捨離」というワードは、瞬く間に日本中で知られることとなり「ダンシャリアン」という言葉も生まれる。一方で弊害もあった。

「今度は『捨』ばかりがもてはやされるようになった。“断捨離は捨てることじゃないんだ”と声をあげなきゃいけなくなったんですね」

断捨離とは簡単には辿り着けない深淵な「道」

 やましたさんは、「断捨離」は、自己啓発でもノウハウでもスキルでもないという。

「私は“道”だと思っています。うれしいのは、断捨離に関わってくれる人は“断捨離歴○年”と言うんです。茶道や華道の稽古を何年やってます、という感じで。それが“収納歴○年”だとちょっと違うじゃないですか。でも“断捨離歴”だとすんなり使える。だって“道”ですから。やればやるほど道の深さがわかってくる、そんな思いがある。22歳から40年以上かかっているけど、いまだに道半ばだと思ってますしね(笑)」

 最初の著書の大ヒットから、やましたさんのもとには、多くの出版社から単行本の依頼が殺到したのだが、彼女は当初すべて断ったという。

「最初の本を出してうれしかったけど、これ以上書けないなとも思ってました。ただ、講演やセミナーなどオファーは来るけど自分だけじゃ対処しきれない。そんなとき、谷口さんと出会ったんですね」

 経営科学出版代表の谷口暢人さん(55)は、出版社の編集者だったが、知り合いの著名デザイナーの家を訪ねたときに、家がずいぶん片づいていたのに驚いたという。

「その人が実はこの本を読んで断捨離を始めたんだよ、と言ったんですね」

 彼は自分がいかに過去の栄光や親への罪悪感にとらわれていたのかを知ったという。

「こんなに人に影響を与えることもあるんだ、面白い」

 そう思った谷口さんは、出版社を退社し、現在の会社を立ち上げ、やましたさんのマネージメント、セミナーの運営、オンラインビジネスなどを手がけるようになったのだ。

「やましたさんは面倒見がいい。そしてとにかく明るい。僕たちはその明るさに甘えているだけなんです」と笑う。

海外人気が上がると同時に海賊版も増え

 コロナ禍になる以前、やましたさんに中国や台湾で講演をしてほしいというオファーが後を絶たなかった。

 台湾での講演の参加者がこんなことを言った。

「台湾の人にこの本をすすめると“勉強します”と言う。けれど、日本人の経営者に言うと“わかりました。では帰って妻に読ませましょう”と言うんですよ」

 投資の仕事で中国と日本を行き来しているファン・ユエさん(44)は、2013年、中国の大学に「やましたさんを講演で招きたい」と相談されたことがきっかけで、やましたさんとコンタクトをとった。それだけのはずが、講演当日、通訳が来られなくなったために、急きょ代役を務めるハメになったという。

「私は断捨離を知らなかったんだけど、やましたさんの話は、私が実践していることと同じだと知りました。生活の哲学をまとめた方、素晴らしい人だと知って、すっかり好きになりました」

 以来、中国でのやましたさんの講演は、すべてファンさんが通訳を務める。

 一方、中国では断捨離の名を使用した海賊版が、何百万冊も出回っていたが、ファンさんが中国国内での出版物を管理し、弁護士と連携して訴訟も行っている。

「ユエちゃんは正義の塊だからね」とやましたさんのお墨つきである。

“主婦の東大”!? 断捨離トレーナー狭き門

 10年ほど前から、「断捨離塾」では断捨離トレーナーという資格制度を構築した。

 断捨離のプログラム全6巻36時間を学び、断捨離検定1級の講座、セミナー、レポート、筆記試験があって、それを通過すると、やましたさんとの面談。そこで合格すると1級認定となる。「合格率は5%くらい。主婦の東大ですね(笑)」とやましたさん。

 そうして、1級認定者の中から、断捨離トレーナーとなった人が現在119人。

 2011年に塾生初の断捨離トレーナーになった檀葉子さん(68)が言う。

「私は、以前は収納にハマっていたんです。大きな物置を作ったりして。でもだんだん閉塞感と焦燥感に駆られるようになってました。断捨離のことを知ったときは、“これはないだろう”と思った。それを確かめるためにセミナーに行ってみたんですね」

 やましたさんの第一印象は「華奢な人」だったらしい。ところが、しゃべり出すと、ものすごいパワーに驚愕する。

「そこから、目から鱗が落ちて断捨離に夢中になったんですね。その後、要望に応えトレーナーとなり、福岡断捨離会立ち上げコミュニティーができていました」

 現在、檀さんは「卒婚」して、まったく新しい断捨離トレーナーの道に踏み出し、断捨離の広まりに合わせ、全国を飛び回って講座を開催している。

 いろいろな人を惹きつけてきたやましたさん。彼女は今、忙しい日々の合間を縫って、鹿児島県指宿に通う。

「私がプロデュースするリトリート施設『リヒト(光)』を進行させています。リトリートとは“一時退避”という意味なんだけど、これからの未来を創造するためにいっとき退避する場所、自分を立て直す場所という意味で、ホテルとはまったくスタイルの違う、実家に帰るようなタイプの宿泊施設なんです。美しい自然と光に満ちた、とてもいい場所なんですよ」

 やましたさんは、すでに指宿に住民票を移したという。

 小松市にいる夫は仕事を引退、犬と暮らす。息子は地元の女性と結婚し、同じ小松市内在住。5歳になる女の子の孫もいるが、やましたさんは3回しか会っていない。

「全然会いたくならない。自分のことで頭がいっぱいだから(笑)。その辺も断捨離なんです」

 ここまでくると、もう「清々しい」としか言いようがない。

 断捨離の提唱者は、まさに「半端ないダンシャリスト」であったのだ。

<取材・文/小泉カツミ>

こいずみ・かつみ ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけて、著名人インタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母〜代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほかにも著書多数。