著書やSNSで心地よいライフスタイルやファッションを発信し、そのシンプルで自然体な暮らし方は世代を超えて支持されている、結城アンナさん(67歳)。先日、料理、ファッション、家族のこと、愛犬の保護犬のことなど今の結城アンナを語る上で欠かせない思いが詰まった『Then&Now』を発売し、話題に。夫・岩城滉一さんと家族についてのことを抜粋で紹介します。

結城アンナさんが語る家族への思い

結城アンナさんの著書『Then&Now』(扶桑社刊)から、抜粋にて紹介します。

【写真】4歳頃のアンナさんと両親

●夫・岩城滉一さんとのこと。「まったく違うからちょうどいいしラクチン」

ダディと初めて出会ったのは、遊び仲間が集まるスナック喫茶でした。ダディはお父さんの土木会社を手伝う、学校に行かない大学生。私は学校へは行くけど、週末にはモデルの仕事をする高校生。この人と結婚するなんて夢にも思っていませんでしたが、少しずつ会う機会が増えていくうちにおつき合いが始まり、しばらくして一緒になりました。

2人暮らしが始まってみると、2人の違いが浮き彫りに(笑)。彼は車とバイクが大好きで、ツーリングやレースに夢中。人といることでエネルギーを蓄えるタイプなのに対して、私にはひとりの時間が必要で、キッチンに立って料理をしたり、ときどき本を読んだり絵を描いたり。そのほかにも、彼は夜型で私は朝型、彼はラーメンライスとポテトチップスがあれば大満足ですが私はヘルシー嗜好…と、違いを挙げはじめたらきりがないくらい(笑)。

この違いが原因でよくけんかにもなりました。でも月日を重ね時間を共に過ごしていくなかで、正反対だからといって必ずしも悪いことばかりではないことに気づき、そこからお互いに工夫と調整と妥協!? をしながら前に進んできました。そして今では程よい距離感を保つことを身につけました。

最近よく思うのは、もしかしてダディは私にぴったりなパートナーかもしれない! と。

●父から譲り受けたもの

父は祖父の仕事の都合で14歳の頃からスウエーデンで育ちました。おじいちゃんの計画通りに物事が進んでいれば、父はスウエーデンの大学を卒業後、すぐに帰国する予定でしたがそう上手くは行きませんでした。父は美しいスウエーデン女性と恋をして、私が生まれたのです。そのとき、すでに次の勤務地に移っていたおじいちゃんはカンカンに怒って、それまで与えていた生活費や車、アパートをすべて取り上げ、「好きにすれば!」と父を勘当しました。

私が生まれたとき、父は20歳、母は19歳。父は生まれ故郷の日本が恋しくて、何とかして帰りたい! と考え、母と相談した結果、母がスカンジナビア航空で働くことに。当時、ある年数を働くと社員とその家族のエアーチケットがだいぶ安く手に入ったのです。初めて日本に遊びに来たのは、私が4〜5歳の頃。怒っていたはずのおじいちゃんは、大喜びで新しい家族を迎えてくれました。

それからは、母の社員割引を使って2年に一度は夏休みを日本で過ごすように。その後、父の仕事の都合で私たち家族は日本に移り住むことになり、父が念願だった東京での暮らしがスタートしたのですが、残念なことに2年も経たないうちに両親は離婚。私は父と離れて暮らすことになり、自然と会う機会も減っていきました。

それから40数年もの月日が経ったある日、生まれて初めて父から手紙が届いたのです。
「会いたい、時間つくってくれないか。アンナが喜ぶと思う場所があるから一緒に行こうよ」と短い言葉で書かれていました。しかし日程を調整している最中に突然、父が入院。そのまま亡くなりました。

残念なことに、父と一緒にその場所を訪れることは叶いませんでした。

結城アンナさんの著書『Then&Now』(扶桑社刊)はただいま発売中。