日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「健康じゃないとできないんですよね」と語るのは美容師として働く主婦の摩季さん(仮名・50代)。病気とうまくつき合いながらの長い人生。子どもも独立した今、20年以上続くレスをどう打開するのでしょうか?

20年以上続いた「レス」に終止符が打たれるとき

子宮筋腫と卵巣のう腫が見つかり、大学病院の婦人科で子宮と卵巣の両方を摘出することをすすめられて泣いてしまった摩季さん。

通院が始まった頃はなにも自覚症状がなかったのですが、次第に出血を繰り返すようになり、苦しい日々が続いたといいます。

●出血のショックで気が沈み、鉄剤で気持ち悪くなり…

「手術は家族や親族に相談してから決めたい」と医師に伝えてから2か月が過ぎたころ。不正出血が頻発するようになりました。ふらついたり、めまいがしたり、出血の多さに落ち込んでしまうことの連続でした。

貧血も大きく悪化しました。鉄剤を処方されたのですが、今度はおなかが張って気持ちが悪くなったりして、食事がとれなくなってしまったのです。貧血がひどすぎて、一時は入院したことも。医師からも「長期で戦っていくしかないね」と経過観察していたのですが、そうこうしている間に私の性欲も一気に減退。

●行為よりも大切なこと

夫は糖尿病で、私は子宮筋腫で。2人とも性欲がなくなってしまったわけですが、もうそういう行為がなくても、隣にいて笑っててくれれば幸せだなと思えるフェーズに入りました。

たぶん夫も同じ気持ちだったんじゃないかと思います。仕事をしながら激混みの大学病院へ通院する生活って、ヘトヘトになるんですよ。夫も私も同じ状況だったので、お互い励まし合いながらがんばることができました。そんなこんなであっという間に3年が過ぎました。

●子宮筋腫も消えて、手術の必要もなくなった

子宮筋腫との闘いにも疲れ果て、さすがにこれ以上はもう体が限界だなと思って、手術を覚悟した矢先でした。生理があがったのです。閉経です。そして、難しい手術になると言われていた大きな子宮筋腫も消えました。「あわてて切らなくてよかった」というと、周囲からは「やっぱり摩季は運がいいね」と言われました。

卵巣のう腫は引き続き経過観察が必要ですが、更年期もなく、一時に比べると体調は格段によくなりました。

●糖尿病でEDになった夫。うまく病気とつき合っていく覚悟ができた

食事療法を続けても結局、なかなか数値が改善しないまま、夫も薬を飲みながら闘病を続いていました。医師に言われたのは遺伝的な要因からきているだろうと。じつは夫の母もやせているのに糖尿病で、インスリン注射を打つほどだったのです。

薬を飲みながら一進一退の状況が続いていたのですが、「完治というより、うまくつき合っていくしかないよね」と割りきったら、だんだんよくなっていきました。

民間療法じゃありませんが、2人で整体とか温泉とかなるべくリラックスできるような趣味を増やしていったこともよかったのかもしれません。これは偶然なのですが、どん底のときもよくなるときも、タイミングが一緒だった私たち。結婚生活も20数年経った今更ですが、運命を感じてしまいます。

●人生も後半戦。働き方を見直すつもり

夫も私も50代になり、健康でいることのありがたさをしみじみ実感する日々を送っています。私は今も美容師の仕事を続けていますが、正直、もう引き際かなと考えています。体力面の問題もありますが、やっぱり大好きな夫と一緒にいる時間をもっと大切にしたいと思うようになりました。

コロナ禍で美容室のお店のお休みが続いていたときに、派遣型保育サービスのコーディネーターの仕事を副業で始めました。育児中の親とシッターさんのマッチングをする仕事は自分の子育て経験を活かせるし、なにより土日休みで体への負担も少ないので、ゆくゆくはこっちを本業にできるように研修を受けているところです。

人生100年時代とは言いますが、50代になり、夫も私も折り返し地点を超えました。レスにならいように躍起になっていた20代も、夫がほかの女性に目が向いてしまった30代も、病気で大変だった40代も、今となってはすべてが愛おしい時間です。

●レスのことはだれにも相談できなかった

「うち、レスなんだよね」と話しても、私の周りは「うちもぜんぜんないよ〜」とか「もう面倒だししたくない」と、軽い感じで話す人ばかりでした。「自分から誘って断られたらいやだよね?」という相談をしたくても、あまり真剣に話せる人がいなくて。だから、みんなは隠してるのか、嘘ついてるのか、どっちなんだろう? と思いながら、悩んでいるのって私だけ? と孤独だった時期もありました。

けれど、ESSEonlineでみんなのセックスレスの特集を読んでいたら「あぁ、うちも20年以上のレスの間、いろんなことあったな」って思い出して。

50代になると、そこにこだわらなくてもラクになりますよって伝えたいなと思い、今回取材を引き受けました。時間が解決することってありますから。限りある人生を、後悔がないように思いっきり楽しんで生きていこうと思っています。