埋もれていた二刀流の超逸材 太成学院大・田中大聖は「バリバリの孤独」でも最速153キロで俊足強打
猛烈な勢いで打球がネットに突き刺さる。ネットで囲われたケージのことを野球界では「鳥カゴ」と呼ぶのだが、その打球はまるで獰猛な荒鷲が狭い鳥カゴを突き破ろうと暴れているようだった。
もっと広々とした場所で、思う存分に飛ばせてやりたいな----。
田中大聖(やまと)の打撃練習を眺めながら、ずっとそんなことを考えていた。
投打「二刀流」でプロ注目の太成学院大の田中大聖
昨年の春頃から「太成学院大に二刀流のドラフト候補がいる」という噂は、マニア筋の間で知れ渡っていた。投げては最速153キロの速球派右腕、打っては長打力と快足を併せ持つ攻撃型野手。それが田中のことだった。
とはいえ、太成学院大は近畿学生野球連盟の2部リーグに所属する、野球界では知名度の乏しい大学である。田中自身は山形の強豪・鶴岡東で甲子園出場経験はあるものの、3年夏の背番号は18番で登板機会なしの控え投手だった。
太成学院大の練習環境を見て、言葉を失った。「メイングラウンド」は40メートル×100メートルほどの長方形の人工芝。だが、強豪として知られる女子ソフトボール部と共用であり、フェンスの高さは4メートルほどしかなく打撃練習などできない。体育の授業で使用するため、スパイクは使用禁止だ。
さらに「サブグラウンド」として、体育の授業で使うネット張りのゴルフ練習場を野球部とソフトボール部も使えるように改装。時にはブルペン、時には3カ所の打撃練習ができる「鳥カゴ」になった。
田中は両脇でソフトボール部がバント練習に精を出すなか、打撃練習に取り組んでいた。爆発的なインパクトから右へ左へと快打を連発していく。ミスショットも多いものの、その破壊力は間違いなく大学トップクラスだろう。
なぜ、これほどの選手が埋もれていたのか。田中は高校時代の自身について「いま思い返しても、技術が低かった」と語る。河南シニアに在籍した中学時代はバントが得意な2番打者。鶴岡東では入学時は野手だったものの、最終学年になって強肩を評価されて投手に転向した。
もともと大学では野球を続けないつもりだった。
「甲子園には奥川くん(恭伸/現ヤクルト)とかレベルの高い選手がいて、衝撃を受けました。自分はベンチで見ているだけで、試合にも出られなくて。自分には無理やと、野球をやめようと思いました」
それでも、家族の説得を受けて田中は大学でも野球を続けることにした。「親に極力負担をかけないように」と、自宅から通える太成学院大を選んだ。
【バリバリ孤独ですよ】ここから田中の運命は音を立てて変わり始める。高校時代に右ヒジを疲労骨折していたこともあり、入学時点の田中はリハビリ段階にあった。コロナ禍で全体練習ができなかったこともあり、ヒマを持て余した田中はスポーツジムに通い詰める。
そこではさまざまな人がトレーニングに励んでいた。田中はトレーニング姿を観察し、気になる人を見つけるたびに声をかけていった。
「ボディビルの大会に出ている人や、トレーナーとして働いている人、いろんな人に話を聞きました。知識を持っている人はすごく知っていて、ボディビルダーの方からは『見せる筋肉とスポーツをやる筋肉はつけ方が違う』といろいろ教えてもらいました」
高校時代に178センチ、77キロだった体は地道なトレーニングによって着実に大きく、たくましく変貌していった。現在は体重95キロまで増え、太もも周りは71センチを数える。
フィジカルが強くなるたび、田中のパフォーマンスは飛躍的に向上した。大学2年時には当時の監督から「絶対にプロか社会人に行け」と勧められ、より意欲的に取り組むようになった。
---- ベンチでくすぶっていた高校時代から、世界が変わったんじゃないですか?
そう聞くと、田中は意外にも首を横に振ってこう答えた。
「大きく変わったことはないです。高校時代からずっと全力でやってきましたし、結果が少しずつついてきただけで特別に何か変わったということはないですね」
サボろうと思えばいくらでもサボれる練習環境でも、田中は努力を続けた。練習を手伝ってくれる仲間はいるが、本気でプロを目指して練習するのは田中だけ。「孤独感はないですか?」と尋ねると、田中は「バリバリ孤独ですよ」と笑い、こう続けた。
「地方大学の2部リーグだろうと、やるのは自分ですから。結果が出るか出ないかは自分次第ですし、強豪大学の選手や社会人の選手と比べても『負けてない』と感じます。この環境だから楽しく練習を続けられましたし、レベルが上がったと感じています」
【無残な結果に終わった春のリーグ戦】今でこそ「二刀流」として密かに話題になりつつある田中だが、おそらく今後は野手としての評価が高まるはずだ。
昨年までは故障歴のある右ヒジを考慮して一塁手をメインポジションにしていたが、今季から外野守備を解禁。取材日も人工芝のグラウンドで遠投をこなし、約80メートルの距離でも重力に逆らうようなボールを軽々と投げていた。
走っては光電管による測定で50メートル走6秒00の快足もある。大谷翔平(エンゼルス)を彷彿とさせる下半身のアクションを抑えたノーステップ打法から放つ打球も強烈で、野手としての総合力は高い。
とはいえ、「2部リーグのためハイレベルな投手と対戦していない」という指摘も当然あるだろう。田中はそんな見方があることを承知したうえで、こんな考えを述べた。
「周りのレベルが低いから無理やろと言われますが、スピードは慣れみたいなものなので。それ以上に大学生の素材として、力強いスイングができるとか、強いボールが投げられるといった部分を評価してもらったほうがいいのかなと」
田中の名前がドラフト候補としてメディアに登場するケースが増え、高校時代の恩師や仲間たちから「本当におまえなのか?」「何があったんや?」といった反響が続出しているという。
だが、田中は「自分はまだまだ」と現実を見つめ、「支配下でプロに入る」という目標をかなえるために努力を続けている。
田中の意識の高さは、練習前のウォーミングアップを見ればすぐにわかる。マットを敷いてストレッチや体幹トレーニングに、約1時間もみっちりと時間をかける。それは体を温めるという次元ではなく、自分の体と対話し、メンテナンスしているようだ。
「ほとんど毎日同じメニューをやっています。体のどこが張っているかを確認して、張りがない部分には少し刺激を入れたりして。自分には技術的なセンスはないので、こうした部分で考えないと上にはいけないと思っています」
だが、大事な今春のシーズンに田中を待ち受けていたのは、厳しい現実だった。
昨秋のリーグ戦では10試合で打率.292、4本塁打、9盗塁と成績を残したが、今春は徹底マークにあった。常にストライクゾーンのギリギリのコースを攻められ、四死球は12個。極端なシフトを敷かれ、長打性の打球はことごとく守備網に絡めとられた。その結果、10試合で打率.107、0本塁打、5盗塁と無残な成績に終わっている。
田中は言う。
「マークされるなかで結果を残せなかった自分のレベルの低さを痛感させられました。秋までに自分のレベルをとことん上げて、キャリアハイを出せるように頑張ります」
プロを目指す意志に揺らぎはない。もちろん、数字はドラフト候補の力量を測る大事な材料になる。それでも、田中の類まれなポテンシャルは、プレーを見た者なら誰しも感じとれるはずなのだ。
近い将来、この怪素材が収まる鳥カゴの扉が開き、大空を羽ばたく日がやってくる。そんな気がしてならない。