太ももの周りは65cmレッグプレスで500kg 小林優香はバレーから自転車へ転向 五輪の夢と強靭な肉体を手に入れた
ガールズケイリン界を代表する選手のひとり、小林優香
矜持と情熱
〜ミラクルボディを持つガールズたちの深層〜
小林優香 インタビュー
決断の連続。
小林優香の自転車人生はそう表現するにふさわしい。ここまで大きな決断を繰り返しながら、選手生活を送ってきた。
「小学校からバレーボールをやっていたんですが、身長の壁があり、このスポーツで自分は戦えるのかと悩んでいる時に、母がガールズケイリンを勧めてくれました。そして2012年、ロンドンオリンピックの自転車競技、男子チームスプリントを見て、これならばオリンピックに行けるかもしれないと思い、この世界に飛び込みました。それが最初の決断ですね」
オリンピックへ行きたいという思いが、自転車に乗る最初のモチベーションだった。2012年末、短期大学在学中の18歳の時に、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に合格し、本格的に自転車の経験を積んでいく。すぐに才能の片鱗を見せると、在学中に自転車競技のナショナルチーム入りを果たし、2014年2月には世界選手権にも参戦。まさに夢へと一直線に突き進んだ。
「自転車は自分の脚でスピードが出せるっていう点が一番の魅力です。これまでに味わったことのないスピード感に加え、風も感じられる。その爽快感に魅了されました」
小林が非凡だったのは、自分の脚でスピードと風を巻き起こしただけでなく、勝利を重ねた点にある。2014年5月にガールズケイリンでデビューすると、そこからは連戦連勝。デビューイヤーの目標は、年間で最も成績のいい7名による一発勝負「ガールズグランプリ」の出場だったが、それを見事に果たす。だが、本命として臨んだこの大一番の結果は3着。この年、46戦44勝と圧巻の戦績を出したものの、最後に敗北を味わった。
「20歳でまだ勝負に対する心構えが足りなかったと思います。緊張の中、すべてのメディアが自分に注目していることがわかり、周りの期待に応えたいという思いから硬くなってしまいました。平常心でいられなかったことが1番の敗因です」
【ナショナルチーム辞退の決断から好転】ここでプロ入り後、最初の決断をする。それがナショナルチームの辞退だ。オリンピックを志して始めた自転車だったが、あえてそこを目指す道筋から一度、距離を置いたのである。
「グランプリで負けたことで2015年はガールズケイリン一本に絞ろうと考えました。まずは国内で無双になろう、そしてすべてのタイトルを取らなければと思ったんです」
2015年も連戦連勝、多くのタイトルを手にしただけでなく悲願のグランプリ初制覇も果たす。狙った勝利を確実に手にし続けた1年だった。
「ただどんなに勝っても常に"次へ"と考え続け、満足できる日はなかったです。優勝したグランプリの夜だけはホッとしましたが、それも少しだけのこと。すぐに"来年へ"と気持ちが向きました」
この結果を受け、2016年からガールズケイリンと自転車競技ナショナルチームの二足の草鞋を履く生活が再スタートした。ナショナルチームではシーズンを通して海外遠征があるため、ガールズケイリンへの出走機会は減らしたが、出るレースでの存在感は変わらなかった。
「ガールズケイリンは本職。出るレースは大きなものが多いので、私の存在を忘れられないようにしようと思って、頑張りました」
2016年から再びガールズケイリンとナショナルチームで奮闘
言葉のとおり、自転車競技と並行しながら、ガールズケイリンのタイトルも毎年のように手にし続けた。そして世界の舞台でも結果を残し始める。2018年12月にワールドカップベルリン大会女子ケイリンで自転車競技短距離種目では日本史上初となる銅メダルを獲得。翌月にはアジア選手権で金メダルを手にした。さらに2021年、UCIトラックネーションズカップ香港大会女子ケイリンで金メダルを獲得している。これは日本人女子として、国際自転車競技連合(UCI)が主催する国際大会のケイリンでは史上初の金メダル獲得だ。
「とくにアジア選手権での金メダルは印象深いです。決勝でオリンピック王者がいるなか、自力で外からまくっての優勝だったので手ごたえを感じました。ただ史上初、銅メダル、金メダルって続いても、まだまだって感じでしたよ」
【悔しかった五輪、そしてケガ】自転車競技で日本人史上初の偉業を重ね、2021年、東京五輪という夢にまで見た舞台に立った。だがトラック女子ケイリンでは準々決勝で敗退。女子スプリントでは予選の200mタイムトライアルで10秒711の日本新をマークしたものの、1対1で争う本戦の1回戦で敗れ、敗者復活戦でも敗退。目標としていた金メダルには届かなかった。
「オリンピックが延期した時は気落ちしましたし、心身のバランスを取るのが難しかったです。しかし1年後の大会は、自転車競技については有観客で行なわれ、たくさんの声援のなかで走ることができました。"これが母国でのオリンピックなのか"というものを感じさせていただけたと思います。結果には満足していませんし、表彰式は悔しい思いで見ましたが、最後は感謝の気持ちでオリンピックを締めくくれました」
オリンピックは東京までと決めていたが、その後、パリへのチャレンジを表明。しかし2022年5月、カナダ・ミルトンで行なわれたUCIトラックネーションズカップ第2戦の女子ケイリン決勝で落車してしまう。
「いいマインドで臨めていて、予選も準決勝も1位。決勝も絶対に勝てる位置取りだったなかで落車して、腰と背中を痛めてしまいました。その後もレースが決まっていたので連戦をしていましたが、最終的に動けなくなってしまい、病院で検査したら3カ所の疲労骨折が見つかったんです。
そこからは1ヶ月、寝たきりの生活でした。競技を始めて以来、こんなに自転車に乗れなかったことは初めてでした。もうナショナルチームで負荷の高いトレーニングをするのは限界かもしれない。決めるなら早いほうがいいと自転車競技を引退し、ガールズケイリンに絞ることを決めました」
悔しさはあった。だがナショナルチームのコーチだったブノワ・べトゥの口癖、"Life is beautiful"の言葉が背中を押した。人生はいつだって美しい――。これまで経験した挫折や悔しさも、そのすべてが美しく思えた。そして決意を新たにする。"競輪で日本一を目指す。勝ち続ける"。これが直近の小林の決断であり、覚悟だ。
「ナショナルチームで競技を継続していればもっと活躍できたかもしれないし、できなかったかもしれない。でも自分の決断が正しかったかどうかは、これからの自分が決めることだと思っています。
(今シーズンから)ガールズケイリンにGIができましたので、今はそこで名前を刻みたいというのが目標で、何度でも日本一になりたいと思っています。自分はまだまだ強くありません。強さを求め続け、そしてこれからは人間としても尊敬してもらえるように。若い選手のお手本となる選手を目指します」
【65cmの太もも、レッグプレス500kg】太ももの周囲は65cm。自転車に乗ればそのシルエットは人車一体となって美しいフォルムを描く。そしてレッグプレスで500kgを上げるパワーを余すことなく伝え、一気呵成の逃げやまくりを見せる。今後はその姿をこれまで以上に、ガールズケイリンで見る機会が増えそうだ。
世界と戦うなか、多くの挫折と悔しさを経験したが、それでも気持ちを切り替え、高みを目指せるようになったことがナショナルチームで得た財産だと小林は言う。そのマインドは変わらない。これまで同様、今以上の自分を目指して、戦い続ける。
たゆまぬ鍛錬で強靭な肉体を作り上げた小林
【Profile】
小林優香(こばやし・ゆうか)
1994年1月18日生まれ、佐賀県出身。164cm、64.7kg。幼い頃からバレーボールに励み、高校時代には全国大会も経験。大学1年の時に日本競輪学校に合格し、成績1位で卒業。2014年のデビュー以来、ガールズグランプリ優勝など、数々のタイトルを獲得する。ガールズケイリンでの通算勝率は84.8%と驚異的な戦績を誇る。国際大会では、2018年に、トラックワールドカップベルリン大会で日本人の女子選手として史上初の銅メダルを獲得。2019年のアジア選手権トラックで優勝。東京五輪にも出場した。2021年、UCIトラックネーションズカップ香港大会で日本女子史上初の金メダルを獲得した。