阪口夢穂、プロサッカー選手の
肩書き返上を語る(後編)

 阪口夢穂という選手を最初に見た時、彼女は前線でゴールをとりまくっているFWだった。その数年後、なでしこジャパンに入るようになり、トップ下で異彩を放っていた澤穂希という絶対的な存在とともにボランチを担うなど、想像もしていなかった。


12年前のドイツW杯では澤穂希とボランチを組み、優勝に貢献した阪口夢穂

「ふたりとも点獲り屋やったからね。ホマレちゃん(澤)と一緒にボランチにコンバートされたことは間違いなく転機。そのあとのサッカーが全然変わったし、あのまま前で使われてたら今の自分はないと思う。とにかくいろいろ引き出されて、自分の知らない自分にいっぱい出会えた」

 阪口という選手はとにかくポーカーフェイス。最初はその表情から心情を掴み取ることが難しく、より繊細に注視していた存在だった。それが徐々にわかりやすく気迫を感じるようになっていったのには理由があった。

「キレイにサッカーしたい人やったんです。大阪にいた頃って、都心みたいにライバルがたくさんいる訳じゃない。どこのチームに行っても自分中心でプレーできてたからボールも集まってくるし、フィニッシャーだからスライディングとか、やったことなかった。きれいなユニフォームのまま試合を終わりたい感じやったのに、代表でボランチやり出したら1試合終わったらもうドロドロ(笑)。それが快感になってくるんやから、考えられへん(笑)」

 今ではすっかり見慣れた阪口の無駄のないスライディングも、ボランチへのコンバートの賜物という訳だ。きれいに決めきるタイプから泥臭いプレーを厭わなくなったきっかけは何だったのだろうか。

「北京オリンピックではベンチにごみさん(加藤與惠)がいて、代わりに私が出てる訳やから『何かしないと!』っていう気持ちがあった。それに則さん(元なでしこジャパン監督・佐々木則夫)にもハッキリ言葉で言われました。『澤を見てみろ、あんなにスライディングしてるぞ』って。確かに、私よりもユニフォームが汚れてる!って(笑)。横でそういうプレーされたら感化されるし、何よりもそれをやってるのが"澤穂希"ですよ? 効くでしょ、そりゃ(笑)」

【なでしこジャパンの思い出】

 天職とも言えるボランチに目覚め、そのあとも多くの経験を積んだ阪口が、今振り返って思い出すのは......?

「ドイツ(2011年)・カナダW杯(2015年)! でもやっぱり優勝したドイツ大会かな。毎試合『よし!今日もバランス取るぞ!』って入ってた(笑)ホマレちゃんとっていうより、あや(宮間)とか、忍ちゃん(大野)と4人でバランス取っていました。戦いながら限界突破していく感じで、結束が固まっていくのがわかるってすごいこと。この前の男子W杯(カタール)を見て、なんかドイツ大会のこと思い出して、あのワクワクする感じ、懐かしかったんです。ずっとやるほうだったから、客観的に"あれ"を見たのは初めてやったな......」

 注目度がなかった分、思う存分楽しみだけで臨めたのがドイツ大会ならば、そこで世界一になったがために知名度が上がり、勝利が当たり前とされた次のカナダ大会までは経験したことのない苦しさだったという。

「カナダ大会は準優勝。そこまでの4年が地獄だったから、あの状況のなかでよく頑張ったと思います。監督の則さんもしんどかったはずです。決勝ではアメリカにガッツリやられましたけど(苦笑)。しかも私前半からCBやってたし。公式戦でGK、CB、ボランチ、FWをやって、これで中央部分だけは網羅しました(笑)」

 18歳で"なでしこジャパン"に招集されてからここまで、長い時間を代表として過ごしてきた。阪口にとって"なでしこジャパン"とは一体どんな存在だったのだろうか。

「最初は右も左もわからず、お姉さんたちに囲まれて怖いし、早く帰りたかったですよ。合宿に行ったら、あと何日で終わるか指折り数えてました(笑)。おこがましいこと言っていいなら、当たり前にすぐそばにあるもの、だったんです。気づいたら入ってて、いつの間にか中心でプレーさせてもらってて、ケガしても待ってくれて、今になってこういう感覚でよかったのかな?って思っています」

 なでしこジャパンを目指すものと、目指すべきなでしこジャパンを作ってきたものとの立ち位置の違いだろう。"当たり前のようにある場所"と言えるだけのものを彼女は作ってきたのだ。それを受け継いだ熊谷紗希や岩渕真奈が今、なでしこジャパンで奮闘している。

「託す想いとかそんなのは全然ない!語れないですよ、私が。ただただ頑張ってほしい、応援してる!ってことしかない。しんどいのは少なからずわかるだけに、それしかないですよ、ホント」

【楽しそうに歩むセカンドキャリア】

 阪口にこれからのことを聞くと、ニヤリと笑った。彼女がこの顔をする時は何かある時だ。掘り下げない訳にはいかない。「今後のこと、聞きます〜?」と始まった彼女の言葉を聞きながら、やはり阪口夢穂という人間は面白いと思った。


久しぶりの芝だと笑った阪口。肩書きが変わってもピッチが似合う

「家が運送業をやってるんです。私は今、名前だけの役員なんですけど、自分なりに仕事の内容を理解したり、そこで働く人たちの気持ちに沿ったり、何か力になれたりしないかと思って、まず大型自動車第一種免許、けん引自動車第一種運転免許、運行管理者資格(貨物)、危険物取扱者乙四種を取りました」

 サラリと言ってのけた。驚愕し、次の句をつなげるまでに時間を要してしまった。知らない世界を理解するために、関係資格を総なめにしていくあたりが阪口らしい。

「実は運行管理者資格は日テレ・ベレーザ時代に取ったんです。コロナ禍で時間ができたから勉強してみるか、って。その時、勉強することに目覚めたんでしょうね」

 満面の笑顔で阪口はさらに続ける。

「極めつけは、行政書士資格を取ったんです。サッカーは練習と結果が同じではないけど、勉強ってやればやるほど蓄積されるでしょ? 行政書士は受験資格がなかったので、私でも挑戦できるかなって。今後の自分に少しでも必要そうなもので"士"がつくものを探してたから、行政書士......これだ!と思いました」

 本格的に勉強を始めたのは(2022年の)3月で11月には試験を受けて合格というから驚きだ。調べると2、3年の勉強期間が必要な場合も多く、合格率は10%台の決して簡単な資格ではない。しかも教材を取り寄せてみたもののシーズン中だったため、ほぼ独学で取得していることになる。

「一番簡単そうなのを選んだつもりだったんですけど、勉強しはじめたらめっちゃ難しい! 日本語で書いてあるのに意味がわからん(笑)。そういうところからのスタートでした。でも私一発合格だったんですよ。ちょっと自慢です。W杯優勝で、運は使い果たしたと思ってたんですけど、まだ残ってたみたい(笑)」

 キャラが壊れるかなと笑う阪口。いや、間違いなく別のキャラが構築されるはずだ。

「ガッツリ行政書士で何かをやろうって言うんじゃないんです。スペシャリストは他にもいっぱいいるじゃないですか。ただ、せっかくここまでサッカーしたんだから、何か女子サッカーに貢献しつつ、自分にしかできない形はないかなって模索してるところです。みなさん、何かアイデアありましたらぜひ教えてください(笑)」

 実に楽しそうだ。少なくとも次のステップの話をする彼女はどこから見ても"無"ではない。こうして話をしているなかでも、すでにあれもいいな、これもいいなとアイデアが溢れてくる。さすがボランチ、視野が広い。吸収することが楽しいと全身から伝わってくる。そうだ、彼女はそういうプレイヤーだった。そして、そういう"人"だった。

「なんか面白いことやろなー!」と笑顔で去っていった阪口。

 区切りの話を聞きに行って、逆にドン!と背中を押された気がする。彼女が代表に入り始めた頃、ボランチにコンバートされる前のこと。試合の流れで一度だけ澤&阪口というコンビが前線に立ったことがあった。それを見た時「すごいコンビだな」と感じたあの高揚感は忘れられない。阪口夢穂は、1本のパスで、シュートで、スライディングで、そしてまさかのポジショニングで......いつもワクワクさせてくれる選手だった。どうやら、それはこれからも変わることはないらしい。

profile
阪口夢穂(さかぐち みずほ)
1987年10月15日生まれ。大阪府堺市出身。
7歳からサッカーを始め、2003年に下部組織からスペランツァF.C.高槻に昇格。FC ヴィトーリア、TASAKIペルーレFCを経て、アメリカのリーグも経験。帰国後は、アルビレックス新潟Lを経て、日テレ・東京ヴェルディベレーザではもっとも長い9年間プレーし、最後は大宮アルディージャVENTUSで終えた。日本代表としては、W杯4回、五輪に2回出場している。2011年のドイツW杯で優勝を経験し、翌年のロンドン五輪では全試合に出場し、準優勝に貢献。2015年のカナダW杯でも準優勝という結果を残した。