「無理でしょ」と言われても細貝萌がレッズ入団決めた訳 元同僚・鈴木啓太YouTubeに登場
元プロサッカー選手・鈴木啓太が、2005-10年まで共に浦和レッズで戦い、現在はザスパクサツ群馬でプレイする細貝萌選手を招き、サッカーとの出会いから強豪・FC前橋ジュニアユース加入、名門・前橋育英高校進学、浦和レッズ強化指定選手になるまでを語る。


この記事はYouTube配信「【転機】細貝萌が語るボランチにコンバートされた前橋育英時代」から、ライブドア社の自動書き起こしツールによって生成されています。




鈴木: 皆さんこんにちは。本日のゲストはザスパクサツ群馬MFの細貝萌さんです。よろしくお願いします。

細貝: よろしくお願いします。

鈴木: 最後に会ったのは何時だっけ?

細貝: 浦和vsフランクフルトの埼スタでお会いしたのと、その3日前に阿部(勇樹)さんの引退試合があって。なので、全然久々な感じはしないんですよね。

鈴木: でもね。その前までは一緒にプレーしてた時期があったけれども、海外へ行ってまた日本に帰ってきて違うチームでやってっていうので、結構あいだ空いたもんね。

細貝: そうっすね。僕も日本にいなかったりもしたんで、結局帰国した時に会いたいですって連絡させてもらってご飯に連れてってもらったこともありますし。

鈴木: そうだね。そんな細貝選手とYouTubeを撮らせていただくんですけれども。

細貝萌選手とサッカーとの出会い





鈴木: まだまだ現役なんですけど、一旦ここまでの細貝萌選手の"サッカー人生"を遡っていきたいなと思います。まず、サッカーを始めたきっかけってなんですか?

細貝: 僕、お兄ちゃんがいるんで、そのお兄ちゃんが双子なんで。

鈴木: そうだね。

細貝: そうなんですよ。それでお兄ちゃんが始めたから僕も一緒にくっついて行ってたっていう感じですね。もう完全に。

鈴木: お兄ちゃんは、なんこ上?

細貝: 3つ上の兄が二人いたりいます。僕は3番目なんで、ちょっと離れてた分、兄にくっついて行ってたっていうので、背中をずっと見てたってのがあります。

鈴木: お兄ちゃんたちはサッカーは上手でしたか?

細貝: 結構、上手だったと思うんですよね。もちろん群馬県の選抜とか入ってたりとか。

鈴木: 選抜入ってた!?

細貝: はい。1人は高校卒業してからJFLみたいなところでやってたりしたんで。

鈴木: じゃあ良いお手本だったりしたんですか。

細貝: そうっすね。もう完全に「身近にお手本がある」って感じでしたね。

群馬県内でサッカーエリートだった幼少期


鈴木: 話によると、2年生の頃からもう5年生の試合に出てたっていう…

細貝: なんでそんなこと知ってるんですか?(笑)

鈴木: いや、それはもう当然(笑)。

細貝: そうなんですよ。多分、昔って一応怪我しないように3年生からしか登録できないみたいなのがあったんですけど、一応、群馬県内で"細貝の弟"って知ってもらってて、サッカー結構できるみたいな多分思ってくれてたんで、特別に許可してもらってたみたいな。

鈴木: へぇ〜。じゃあ2年生の時に5年生っていうことは、お兄ちゃんたちと一緒のチームで試合に出た?

細貝: 小学校だけは一緒でした。

鈴木: 凄いな。自分は「これ。俺、まぁまぁ上手いな」って思ってました?

細貝: いやいや、全然全然。もうあんま覚えてないですけど。僕は、兄とかと同じレベルでやれてるって思ってはいたんですよ当時。でも、実際は全然やれてないんですよ、やっぱり3歳離れてるんで。でも、上手く兄貴がコントロールしてくれてやってくれてたんだろうなとは思います。

鈴木: おぉ凄い! 5年生の時にFWからトップ下へコンバートされたという話を聞いてるんですけど。

細貝: 僕自身はどっちでも良かったんですけど、アシストに憧れるみたいな時期なかったですか?

鈴木: うんうん。

細貝: それで自然と点を取るのはもちろんなんだけど、奇麗なパスを出すとかスルーパス出すとか、そういうのは好きで。でも、監督が「ちょっと下げてみようかな」みたいな感じだったなと思います。

鈴木: 小学校の時の片山監督、ご自身にだけ厳しく指導されていたという話を。

細貝: 僕はそう思ってたっすね。めっちゃ厳しかったです。

鈴木: どんな指導だったんですか?

細貝: 例えばフリータッチなんですけど、僕だけツータッチ以内みたいな。フリーマンとかってそういう感覚じゃなくて、そうしろみたいな感じで言ってもらってて、当時は「もう、なんで俺だけ…」と思ってたんすけど、中学校入ってから「小学校のあの時の経験良かったな」とか、自分だけそういう風に扱ってもらって「自分の為になったな」っていうのは思ってましたね。

鈴木: その時には「俺、やっぱり人と違うな」って思ってたの?(笑)

細貝: 「人と違うな」とは思ってないですけど(笑)でも、小学校4年生ぐらいで地区の選抜とか。

鈴木: 4年生で?

細貝: はい。小学校6年の時はU-12の関東トレセンとか。

鈴木: 入ってたんだ…凄いな。

細貝: 12歳の時にもう1個上の年齢とかも、関東トレセンとか関東選抜とか呼んでもらってたんで「サッカーで勝負したいな」っての気持ちはそんぐらいからずっとありましたね。

地元の強豪・FC前橋ジュニアユース加入のきっかけ





鈴木: そんな中で県大会優勝して、その後中学に進みますけど、地元の強豪のFC前橋ジュニアユースですね。これきっかけは何だったんですか?

細貝: 兄貴のひとりが前橋ジュニアにいたんで、自然とその流れで僕も。

鈴木: 地元では強豪だから上手い選手はそこに集まるんですね?

細貝: そうですね。基本的には県では上位に常にいましたし。それこそ、高円宮杯とかああいうのも関東大会もちろん出て、全国でも全国3位とかですね。勝つことができたんで。

鈴木: それ3年生の時に?

細貝: はい。

鈴木: それでU-15日本代表にも選出されるなど、順風満帆なサッカー人生に見えるんですけど。

細貝: 表的には多分、毎年日本の素晴らしい選手達と一緒にやる機会があった。それこそ関東選抜の小学校の時もそうですし、中学校行ったらU-15日本代表とか。そこから高校入った時もU-16〜18で、ずっと呼んでもらってたんで。

鈴木: 中学校の時に挫折とかってあったんですか?

細貝: 中学校の時はそんなになかったですかね、楽しくやってたって感じでしたね。プレッシャーもそんなにないし。でも、中学校3年で日本代表っていう同じユニホームを着る機会があって、そこからちょっとプレッシャーありましたね。結構、高校の時の方がプレッシャーがありました。

名門・前橋育英高校に進学する決め手





鈴木: その名門の前橋育英に行かれる訳ですけど、これ進学の決め手は何だったんですか。

細貝: 兄貴ですね。

鈴木: また兄貴。

細貝: 兄貴が前橋FCから前橋育英に行ったんでひとり。僕は中学校3年間過ごす時に、兄は高校3年過ごしてるんで、自分は中学校のクラブチームやってる間に高校の話をしょっちゅう聞いてたんで、「育英は良い」っていうイメージがあって、僕もクラブチームに行く選択肢あったんですよ。マリノスのユースとか他のチームのユースとか誘ってもらってたんで。当然、高校も幾つかの高校から声掛けてもらって、その中でやっぱり高校サッカーがまず良いっていうので、まずクラブチームのオファーというか誘ってもらってたところを断って、その後は高校ですね。例えば、市立船橋だとか帝京高校だとか、地元・前橋育英だとか。選択肢はいろいろあったんで。でも、兄貴がそこに出てたんで自然の流れで「育英に行きたい」と思いましたね。

鈴木: えぇ〜後は地元っていうのもあるんですかね?

細貝: そうですね、はい。

名将監督からトップ下からボランチにコンバートされた時の思い


鈴木: 高校時代、名将・山田耕介監督からトップ下から、今度ボランチにコンバートを告げられる。

細貝: そうなんです。こう下がったんですよね。

鈴木: その時の心境は?

細貝: やっぱり、トップ下でオフェンシブなポジションでU-12とか関東選抜もそうだし、日本代表とか呼んでもらってたんで、U-15ですけど。なんで、「えっ?」っていう感じでしたねやっぱり。「嫌だ、トップ下やりたい」みたいな感じでした、僕は最初は。

鈴木: あまりポジティブな感情ではなかった?

細貝: なかったですね。もう全然乗り気じゃなかった、最初。

鈴木: 実際にボランチをやってみてどうでした?

細貝: でも、ボランチやり始めたら攻撃はどちらも好きだったんで、どんどん前に行く機会も多かったんで、何か自分に合ってるかなとは思いましたね。

鈴木: 山田監督は何か狙いがあって、ボランチにコンバートしたんですかね。聞いたことあります?

細貝: 聞いたことあります。セカンドボールへの執着心というか、球際とかもセンスはあるって思ってくれてたらしくて、僕は基本的に守備はしたくないし、山田先生からも高校1〜2年ぐらいの時には「いや、このチームで守備してない奴がひとりだけいる」と。「へー」って思ってたらそれ僕で(笑)。っていうのをみんなの前で言われたこともありましたし、それがやっぱ守備はしたくない人間だったんで、もう本当にもう攻撃だけして、取られたら「あぁ…」みたいなっていうタイプだったんですよ当時は。

鈴木: えぇ…。

細貝: でも、そこを「お前は、そうじゃない、そうじゃない」って言われ続けて、「いやいや…」って思ってましたけど、自然と「そうじゃないんだろうな」って感覚に自然とこう入ってったって感じでしたね。

鈴木: ってことは、子供の頃に思い描いていたサッカー選手像っていうのは今とは違うってことですね。

細貝: 全然、違いますね。イメージしてたのは、トップ下で攻撃的で"典型的な花形"。シュート打てるけど打たないでアシストしてするみたいな。そういうのがやっぱり憧れでしたね、ずっと。でもそれじゃ生き残っていけないってのは、高校を卒業してその先にやっぱ思いましたね。

鈴木: 細貝選手にとって、山田監督との出会いって大きかったですね。

細貝: かなり大きかったですね。

名将・山田耕介 前橋育英監督の凄さとは?


鈴木: 山田監督の凄さってどんなところにあります。

細貝: 例え方が上手いかなと思います。「海外の選手は、こうだ」っていうのを上手く伝えたりだとか、大先輩たちがいるんで、山口素弘さんだとか松田直樹さんだとか青木剛さんだとか、そういう素晴らしい選手たちがたくさんいたんで、そういう選手たちの例え話をよくしてくれてますね。「松田直樹は、朝練の時からこうだった」みたいなこととか。実際、自分が見てきた選手たちだったんで凄く説得力はありましたね、僕の中では。

鈴木: なるほど。高校2年生の時には選手権は1回戦で敗退?

細貝: 四日市中央工高やられましたね。

鈴木: インターハイは3年生の時にベスト4?

細貝: はい、そうです。

鈴木: 3年生の時の選手権は最後の大会は?

細貝: 準決勝で負けです県の。でも、高校選手権かなり狙ってたんで、僕。それこそ代表で中学校3年・高校1〜2年、毎年世代別の代表を選んでもらっていたんで、高校サッカーでやっている同期の選手たちはたくさんいたんで(本田)圭佑だとか、興梠慎三だとか。あの辺がみんな一緒に代表でもやってるし「高校サッカーで活躍したい」って気持ちは強かったですね、3年の時はとくに。

浦和レッズ強化指定選手になるきっかけ





鈴木: その高校3年生の時、2004年ですよね。浦和レッズの強化指定選手になりますけど

細貝: 高校2年生の時にスカウトの方から声かけていただいて、定期的に話をしてて。

鈴木: 前橋育英と浦和のラインがあって強化指定になるわけじゃなくて、個人でどこの強化指定になるかっていうのは自分で決めるんですか?

細貝: 強化指定選手っていうのは、僕も強く仕組みがわかんないんですけど、浦和の強化指定選手になれるみたいな感じで浦和から声を掛けていただいて、当時サテライトリーグがあったんで、強化指定選手になるとサテライトリーグに絡んでいけるっていう。

鈴木: 呼んでもらって?

細貝: はい。それがかなりメリットあるっていうので説明されてて。

鈴木: そして高校卒業後、浦和レッズに加入するんですけど、他のクラブからもオファーあったじゃないですか。

細貝: はい、ありました。

鈴木: それは何チームくらいあったんですか。

細貝: 最終的に絞ったのは3チームで、浦和・横浜・磐田。僕、2005年入団なんですけど、2004年の1〜3位がその3チームなんですよ。その3チームからオファーをいただいてたんで、その上位3チームに行きたいっていうところで、他にもチームの話をしていただいたりっていうこともあったんですけど、結構早めにその3チームのどこかへ行きたいっていう話をしてました。でも、その3チームに行きたいって言った時には、浦和には何度も練習参加させてもらって、サテライトリーグも出させてもらって、キャンプに参加させてもらってたり、選手のことも知ってたり。

鈴木: その3チームの中でどこを選んでもっていうのはあったと思うんですけど、レッズはどちらかというと若手がいて、選手層もこれから厚くなって行きそうですし…

細貝: 凄かったんで。

鈴木: チャレンジングな可能性もありましたよね?

細貝: かなりチャレンジャーな感じで行きましたし、それこそかなりの人に否定されて行ったんで。「浦和は無いよ」みたいな。「ボランチで勝負する? 見てよ。長谷部・鈴木いるよ」「まず、そもそも無理でしょ?」みたいなとこからスタートして、それでも浦和に行きたかったんでっていう感じでしたね。後は、サポーターの埼玉スタジアムとか駒場もそうですけど、やっぱり凄かったんで。あの中でやっぱりプレーしたいなっていうのが大きかったですね。

鈴木: なるほどね。それは凄く納得感がありますよね。加入当時レッズも良い時期だったとは思うんですけど、ちょっとチャンスが巡って来るまでに時間ちょっと掛かったじゃないですか。これはレッズに入ってプロとその前の差みたいなものって感じました?

細貝: かなり感じましたね。

次回予告:細貝選手が流す涙の理由


鈴木: 2010年、ポジション争いしていたじゃないですか。僕はポジション争いに敗れて…(笑)。

細貝: ……(涙)。

鈴木: ははは!どうした!?(笑)でも、そんな中、今こうして話を聞けるのが僕にとっては一番の価値だなって思っているんで。

細貝: かなり複雑な気持ちではいましたね。

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