■閉鎖環境で「13泊14日引きこもる」だけ

JAXA(宇宙航空研究開発機構)は11月25日、宇宙飛行士の古川聡さん(58)が研究責任者を務めた研究で、データ改竄、捏造(ねつぞう)などの不正があったと発表した。

記者会見で、JAXAは「公表に値する信頼性のあるデータが取得できず、研究成果も公表できない事態となった」と謝罪した。一体、何が起きたのか。

写真=時事通信フォト
記者会見で謝罪する宇宙航空研究開発機構(JAXA)の佐々木宏理事(右から2人目)ら=2022年11月25日午後、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

この研究は、2016年から17年まで5回にわたって行われた「長期閉鎖環境におけるストレス蓄積評価に関する研究」。宇宙の閉鎖環境を模擬した施設の中で、健康な成人8人に13泊14日過ごしてもらい、血液、尿、心拍、唾液などの生理データや、研究者による面談や精神心理状態分析を基に、ストレスを調べる、というものだ。

研究責任者に就いた古川さんは、東大医学部卒の医師で、1999年に飛行士に転身。2011年6月から5カ月半にわたって国際宇宙ステーション(ISS)で宇宙滞在した経験がある。来年、2回目の飛行をする予定になっている。

この研究は、開始前から世間の関心を呼んだ。

閉鎖環境下での宇宙飛行士の選抜試験の様子は、人気マンガ『宇宙兄弟』(小山宙哉、講談社)にも登場するので親しみやすさもあるが、特に注目を集めたのは、研究に参加する被験者への謝礼だった。

■「38万円もらえるバイト」で話題になったが…

JAXAが外部企業を通じて行った被験者募集では、「協力費」、つまり謝礼は総額38万円。ここに多くの人が反応した。

「2週間ひきこもるだけで38万円もらえる」「宇宙兄弟ごっこをして38万円とは、おいしいバイト」などの投稿がさかんにSNSに投稿された。

約1万1000人が応募し、その中から42人が選ばれ、5回の実験の被験者になった。

だが、2017年の実験で、血液サンプルの取り違えが発生。それをきっかけに、JAXA内で調査を進めたところ、データの捏造や書き換えなどの不正がぼろぼろと出てきた。

不正は、面談や精神心理テストで行われていた。例えば、

研究者3人が被験者を面談してストレス状態を評定するはずだったが、2人で行い「3人で面談を実施」と記載した


ストレスの評価方法が曖昧なまま実験を開始し、最後までそのままだった
面談をしないで評価を行った
面談の評価の書き換えが多数あった
精神心理テストで、多くの計算ミスがあった
人を対象とする実験に求められる文部科学省・厚生労働省の倫理指針に抵触していた
JAXAの内部規定を守っていなかった

など、捏造やデータ書き換え、ルール違反などの不正が次々と出てきた。

ストレスに関する、はっきりしたデータが取れなかったため、「2回目以降はストレスに弱い被検者を選択する」と研究者が発言したことも、報告書に記載されている。

■1億9000万円もかけたのに成果はほぼ「ゼロ」

また共同研究に参加した大手化粧品会社が、JAXAがデータの科学的妥当性を吟味する前に結果を2018年に先行して発表。その際に自社の商品紹介もしていたことが判明した。JAXA内では、商品の宣伝に使われたのではないか、という見方も出たという。

25日に記者会見した佐々木宏・JAXA理事は、「研究不正以前に、研究計画が稚拙で、科学合理性がなかった」と話した。

あまりのお粗末さ、ずさんさに愕然とさせられるが、この研究には5年間で、JAXA予算から9500万円、文科省の科学研究費補助金(科研費)から9600万円、計1億9000万円が使われた。どちらも原資は税金だ。

佐々木理事は記者会見で「研究成果も公表できない事態になった」と謝罪。不正が行われた精神心理関係部分のデータや論文などは発表しないという。

肝心な部分のデータが使えない以上、成果は限りなく「ゼロ」に近い。

JAXAは「古川飛行士が直接不正をしたわけではない。他のメンバーがやったこと」と釈明する。責任者としての監督責任はあるが、古川飛行士は多忙なため研究全体の管理やチェックができず、不正に気付かなかったとしている。ただ、研究全体を統括する代表者でありながら、古川さんは記者会見に出席せず、コメントすら出さなかった。

■自ら説明する必要があるのではないか

JAXAは、古川さんなど関係者を近く処分するという。だが、「管理者としての能力と、宇宙飛行士の能力は別」として、来年に予定されている古川さんの宇宙飛行は予定通りに行うという。

飛行のチャンスが限られる中、訓練を続けてきた努力を思えば、飛行実現が望ましいとはいえ、宇宙滞在中には国内外の研究者から託された数々の宇宙実験をする立場でもある。このまま何事もなかったように飛行し実験を行う、というのでは、国内外の研究者はもとより、多くの人は、すんなり納得できないだろう。

宇宙飛行の訓練では、飛行士が急病やけがなどで飛行できなくなった場合に備え、バックアップ飛行士も同じ訓練をする。代わりに飛行する人材がいないわけではない。

古川さんが予定通り飛ぶというのならば、自ら説明する必要があるのではないか。

気になったのは、この研究には科研費も使われていることだ。近年、国の研究費は大型化、集中化とともに、実用化重視の傾向にあり、若手研究者が自由な発想で研究できる予算を獲得しにくくなっている。

そんな中で若手にも門戸が開かれているのが、科研費だ。

■若手には平均137万円しか配分されないのに…

科研費は、研究者が応募し、専門家の審査を受けて採択か否かが決まる。新規採択率は3割以下と低く、東大、京大など旧帝大系の採択率が高い。著名で実績のある研究者が優遇され、若手に不利だとも言われてきた。

古川さんのような現役の宇宙飛行士が研究代表者に就いていることは、審査の際にかなりプラスに働いたものと思われる。

若手の不利を解消しようと、科研費には500万円以下の研究費を配分する「若手研究」部門も設けられている。だが、採択率は4割にとどまり、配分された研究費の平均額は約137万円だ。

JAXAは科研費を返還するかどうかを文科省と調整中だが、若手の平均額と比較してみると、いかにこの研究に多額の予算が注がれたかがわかる。

こうした問題はJAXAだけで起きているわけではない。

JAXAの研究不正が組織内で判明した頃、内閣府の大型研究でも問題が発覚した。

「失敗を恐れない」「年度ごとの予算にとらわれず、大型資金を出す」「ハイリスク・ハイインパクト」など、国の研究費の常識を覆すという触れ込みの研究事業「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT=インパクト)」でのことだ。

公募した16人のプロジェクトマネージャーに予算と権限を与え、さまざまな研究者や組織を集めて、研究テーマに取り組んでもらう。そのために550億円の基金を新設した。

問題になったのは、その中のひとつ、大手IT関連企業と大手製菓会社との実験だ。

写真=iStock.com/RyanKing999
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RyanKing999

■「イノベーション」の裏で不透明な研究が増えている

この研究チームは、2017年1月に記者を集めてセミナーを開き、「高カカオチョコレートを4週間食べると、脳の動きが活発化し、脳が若返る可能性がある」と発表した。

製菓会社は新聞に大きな広告を出すなど、大々的に宣伝し、発表には内閣府の担当者も同席した。

だが、すぐに学術界やマスコミから批判が殺到する。

実験の基本中の基本である、「チョコレートを食べた人」と「食べなかった人」を比較していなかったからだ。信じられないお粗末さで、国会でも追及される騒ぎになった。

研究者側は「予備実験だったので、食べていない人との比較をしていなかった」と釈明した。だが、内閣府の検証会議では「予備実験でも比較を行うべき」「本来発表すべきデータではない」「バレンタイン商戦が始まるタイミングで発表が行われた。宣伝に利用したのではないか」などの指摘がでた。

結局、研究をやり直すことになったが、この研究には5年間で約30億円が投じられた。

2000年代に入ってから、政府は国の政策に沿った研究に多額の予算を注いでいる。

「イノベーション」を起こすために、組織の枠を超えた多人数での研究体制や、産業界との連携を推進している。

しかし規模が大きくなればなるほど研究チームなどの構造が複雑化し、全体像をつかみにくくなる。責任者の目も届きにくくなる。

JAXAのケースでは、不正を働いた研究者は2人だというが、1回あたりの実験に60人〜80人の研究者が関わっていたという。

■海外から「研究不正大国」と見られている日本

予算の大型化を後押ししたのは、政府が基金を作るようになった影響もある。

科研費も2011年度から一部を基金化している。年度ごとの縛りがなくなるので研究の進展に合わせて柔軟な運営ができる一方、チェックが緩くなるという問題がある。

産業界との連携のあり方についても検討すべきだろう。

JAXAも内閣府の研究も、大手企業と連携した。しかし、結局それが科学的裏付けを欠いたまま宣伝に使われたような形となった。現場の研究者の意識だけでなく、企業の上層部の判断が影響した可能性もある。それによって研究をゆがめては、元も子もなくなる。

実は日本は、海外から「研究不正大国」と見られている。

米国の非営利組織「リトラクション・ウオッチ」は、虚偽や間違いを外部から指摘されたなどの理由で取り下げられた論文を調べ、データベース化している。撤回数の多かった世界10位の中で、日本の研究者が半数を占める。

米国の著名な科学誌『サイエンス』も、2018年に「嘘の大波」というタイトルで、日本の論文撤回の多さを取り上げている。

まじめにコツコツというイメージが強かった日本人。研究者もその例にもれなかった。それが変わってしまったのか。

■研究費を獲得するのが難しい中、今回の不正は重い

政府は、「科学技術立国」を推進しているが、「巨額の予算や基金」「産業界との協力」をアピールするばかりでなく、しっかりと評価をして問題点をつぶしていかないと、きちんとした成果は生まれない。

JAXAは「研究チームの体制に見合わない規模で研究を実施した」「組織、チームに医学系知識のある人が不足していた」ことなどを、今回の不正が生まれた要因として挙げた。

だが、学術界がそれを額面通りに受け止めるかは疑問だ。以前、東大教授からこんなことを聞かされた。

「日本の宇宙実験や研究の中には、レベルが低いものがある」

計画から実行まで時間がかかり、研究テーマが地上の実験より遅れがちな上、地上実験のレベルから見ると大した成果でなくても「宇宙では初めて」などとアピールできるからだ。

研究費獲得に四苦八苦する研究者の間には、宇宙実験に対する嫉妬、疑問、不公平感も積もっている。

そんな中、「宇宙でしかできない」と、宇宙実験の意義を「正当化」する最後の砦とされてきたのが、宇宙飛行士を被験者に、無重力などの宇宙環境を利用する医学やライフサイエンス研究だ。だが、その分野の地上研究でJAXAは研究不正をしていた。衝撃は大きい。

JAXAやチョコレート研究に投じた巨額の資金があれば、能力とやる気のある若手研究者をもっと支援することができたかもしれない。

----------
知野 恵子(ちの・けいこ)
ジャーナリスト
東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の各部記者、解説部次長、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が発刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。
----------

(ジャーナリスト 知野 恵子)