斎藤佑樹が駒大苫小牧との決勝再試合で初球に投げた最強のボール。「あの夏の甲子園、僕は覚醒していた」
夏の甲子園、決勝が終わった。しかし優勝校は決まらなかった。夏3連覇を目指す駒大苫小牧と夏の初優勝を目指した早実との激闘は延長15回、1−1の引き分けとなり、翌日、再試合が行なわれることになったのだ。夏の甲子園、決勝の再試合は松山商対三沢以来、37年ぶりのことだった。
駒大苫小牧相手に再試合でも好投を続ける早実のエース・斎藤佑樹
前年の秋、明治神宮大会の準決勝で僕たちは駒大苫小牧に3−5で負けました。その駒苫に夏の甲子園の決勝で、勝てなかったけど負けなかった......正直、よくやったとみんなが思っても不思議ではありません。
実際、甲子園大会の途中で「そろそろいいんじゃないか......」みたいな感じが漂っていましたからね。それも決勝が終わってからではなく、2回戦で大阪桐蔭に勝ったあたりから少し緩んだ空気になっていたような気がします。センバツVの横浜に勝った大阪桐蔭を倒して、爪痕を残したとでも言うんですかね。みんなのなかに何かしらの満足感はあったと思います。
だから決勝で引き分けて宿舎に帰った時のミーティングでも、きっと和泉(実)監督は「おまえら、よく頑張った、今日はご苦労さん、明日、ラクになろうな」みたいな話をするんだろうなと思っていました。そうしたら監督の口から、ビックリするような言葉が飛び出したんです。「明日、絶対に旗、獲りにいくぞ」って、ものすごい勢いの喝でした。「うわっ、マジか」と思いましたね。
もちろん僕も含めて勝ちたい気持ちはあったにせよ、あの言葉を聞いた瞬間、気を抜きそうなところでもう一回スイッチを入れられた気がしました。
普通のミーティングなら何となくザワザワしているんです。みんな体育座りして、でも、ちょっと足を開いていたり、モソモソ動いていたり、何かしらの音が聞こえたりして、ダラッとしている。でも、あの時だけはその言葉を聞いた瞬間、全員がピッとなりました。僕は一番前に座っていたのに、ピーンと張り詰めた空気を背中で感じましたから......。
監督は決勝の前にはそういう決意を言葉にしなかったのに、あえて再試合の前に緩んだ空気を締め直そうとしたんです。僕も決勝で15回、178球を投げてみて、駒大苫小牧に感じていた底知れぬ恐怖感のようなものはもう、完全に吹き飛んでいました(15回を投げて被安打7、与四死球6、奪三振16、失点はホームランによる1点)。
駒苫って、たとえばどんなにマー君(田中将大)の調子が悪くても、どれだけ打ち合いの試合になっても、最後は勝つチームだというイメージがありました。そういう不気味さのようなものが僕のなかから消えていました。再試合に向けての不安は、まったくなくなっていたんです。
だから1試合目と2試合目、僕にとっての駒大苫小牧はまったく違うチームでした。相手バッターの雰囲気も疲れていたし、逆に僕たちはピンピンしている感じで......なぜか試合前から飛び跳ねるぐらいの感じになることがあるんです。それだけ気持ちが高ぶっていたというか、自分の思ったとおりに身体を動かすことができて、思いどおりの野球ができる感じ。再試合の前は、ちょうどそんな感じでした。いずれにしてもあと1試合で夏休みでしたしね(笑)。
どこまでもポジティブ決勝の再試合、駒大苫小牧の先発はまたも2年生の菊地(翔太)くんで、早実の先発は僕です。1回表、駒苫は1番の三谷(忠央)くんが右バッターボックスに入りました。その初球です。ストレートがスッとアウトコースのストライクゾーンに吸い込まれていきました。その時「このボールは最強だ」と思ったんです。こんなボールが投げられるようになったのかと、すごく感動した1球でした。スピードは126キロだったかな。右バッターのアウトコースへ、真っすぐがヒョロヒョロヒョロ〜って、遅いんですけど、でも落ちていかない。そんなストレートでした。こんなの、もう最強でしょう。
あの時は何ができていたからああいうボールが投げられたのか......ずっと考えていましたが、ハッキリとした答えは見つかりませんでした。
ひとつ思ったのは、あの頃っていろんな意味であきらめの気持ちがあったから、逆にそれがよかったのかなということ。心のどこかに「別に負けてもいいや」みたいな感じがあって、切羽詰まっていなかったんです。だからうまく力が抜けたのかもしれません。
僕は再試合でも危なげないピッチングを続けました。120キロ台のスライダーと140キロを超えるストレートで、アウトを積み重ねていきます。ほぼストライクが先行していたし、ボールが先行してもすぐにワンワン、ツーツーと、平行カウントをつくれていました。
それどころか、ツーボールになっても、まだピッチャーに有利なカウントだと思っていましたね。フルカウントでさえ「よし、いい感じで勝負できるカウントだ」と......そのくらいストライクを投げることに関して自信があったんです。あの夏の甲子園の間、僕、覚醒していました(笑)。
中盤以降はスライダーを決め球にして、ゼロを並べます。6回、1番の三谷くんにセンターへホームランを打たれましたが、早実も早い回から1点ずつを取って、着実に点差を広げていました。
そして、4−1とリードして迎えた9回表、先頭の2番、三木(悠也)くんにインコースのスライダーをうまく押っつけられて、レフトとショートの間に落とされます。これでノーアウト1塁となって、3番の中澤(竜也)くん。ここで僕は初球をセンターのバックスクリーン左へツーランホームランを打たれてしまいました。
この一打、あとから映像で見たらやや外寄りの高めに浮いた甘いスライダーでしたが、当時はいいコースにいったのにうまく打たれたと思っていたんです。この、どこまでもポジティブな感じ、自分でも不思議に思うくらいです(笑)。
斎藤佑樹が描いた最高のシナリオこれで4−3となって、1点差です。ただ、危機感はありませんでした。むしろホームランでよかったと思っていました。あの場面、ランナーをためて攻められるほうがイヤだったので、1点差になってもランナーがいないほうが、切り替えができたと思います。
もし中澤くんの当たりがホームランにならず、フェンス直撃のツーベースヒットだったら、3点差でノーアウト2、3塁。それが、ホームランだったから1点差のノーアウト、ランナーなし。こっちのほうがいいよって、マウンドに集まったみんなともそんな話をしていました。
仕切り直しだって話して、いつもどおり、後藤(貴司)が「ヘッズアップ」と声を出すと、みんなで空を見て目をつぶる。深呼吸して後藤がまた「俺らは」と切り出すと、僕たちが「みんなでひとつ」と続ける......ホームランのあと、ノーアウト、ランナーなしで迎えたのが4番の本間(篤史)くんでした。
あの打席は初球がアウトローにまっすぐ(146キロ、見逃してストライク)、2球目もまっすぐ(外角、ベルトの高さの140キロを一塁線にファウル)、最後がアウトローにワンバウンドのスライダー(130キロ、空振り)を投げて、三振を奪いました。
本間くんは「ホームランを打ちたくて一発狙いだった、もっとつなぐ意識を持つべきだったと悔やんでいる」と僕に話してくれたことがありましたが、でも、あの時の本間くんからはホームランを打つんだという雰囲気はあまり感じませんでした。右方向にファウルも打っていたし、なんとか塁に出たいという意識だったんじゃないかと僕は思っています。
9回が始まる時、駒大苫小牧の攻撃が2番からだったので、僕のなかでは2番、3番を抑えて、ツーアウトで4番の本間くんを迎えて、彼で試合を終わらせる流れをイメージしていました。最後の夏は(前年秋の)明治神宮大会でホームランを打たれて負けた本間くんと対戦して、そこで三振に打ちとって早実が優勝を決める、というのが僕の描いたストーリーだったんです。
ところが2番、3番に打たれて、目論みが外れちゃった(笑)。4番の本間くん、5番の岡川(直樹)くんを(セカンドフライに)打ちとって、ツーアウト。ここで迎えた6番バッターが、マー君です。きっと世の中的にはそれを望んでいたのかなと。でも、僕のなかでは駒苫打線を抑えるカギは4番の本間くんで、僕にとっての宿敵は彼だと、ずっと思っていました。
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日本一まであとひとり。王者・駒大苫小牧を追い詰めた斎藤は、ここで打席に6番の田中将大を迎えた。2試合にわたって繰り広げられたエース対決に相応しい、役者の揃い踏み。日本中が固唾を呑んでこの対決を見守る。斎藤が投げた初球のスライダーに対し、田中は思いきってバットを振っていった──。
(次回へ続く)