アルコ&ピース平子さんが語る「暑苦しすぎる」妻への愛。結婚とは、夫婦とは
「アルコ&ピース」のボケ担当である、平子祐希さん。2020年に出版した、夫婦愛についてつづった初の著書『今日も嫁を口説こうか』(扶桑社刊)が、Snow Manの目黒蓮さんが「好き」と公言したことで、今また話題となっています。
Snow Manの番組に平子さんが出演したところ、メンバーの目黒蓮さんから「平子さんの本が大好きで。いい本だからラウールにもプレゼントしたんです」との発言が。再注目されるきっかけとなり、発売から2年たっていたにもかかわらず、重版がかかる事態に。
結婚14年目(発売当時)でも妻・真由美さんにぞっこんで、「家事も育児も、妻にモテたいからやってる」と断言する平子さん。そんな平子さんの夫婦観を、書籍から抜粋してご紹介します。
アルコ&ピース平子祐希さんが語る夫婦観
●うちの妻は誰よりも綺麗だ
僕が嫌いな言葉がある。
“愚妻”だ。
謙遜を美徳とする日本の文化そのものは美しい。しかし家族を必要以上に卑下する価値観は僕らの世代で蓋をすべきだ。
「うちのなんて女として見てないよ」
「ダメダメ、もうすっかりオバさん」
このように謙遜とも不満ともつかないボヤキを聞いたことがあるだろう。
こうした価値観が存在し、実際に口にしているうちに“実”が“虚”に呑み込まれてしまう。そうして本当に「妻を女として見られない」という負の流れが完成してしまう。あんなに強い恋愛感情を抱いて一緒になったはずが、もう話をすることすら億劫になる。人間は思い込みに支配される動物なのだ。
真由美と付き合い始めた頃、ライブなどでよく「すごく綺麗な彼女ができましてね」と話していた。あまりにもあけっ広げに話をするので、ファンの子からは「冗談だと思いました」と言われた。芸人には「そこまで綺麗だ綺麗だって言うのは、実はめちゃくちゃブスなんですか?」とフリだと思われたこともある。
当時は芸人のアイドル視が今よりも強く、彼女ができても公表する芸人は少なかった。でも関係なかった。だって隠し切れないほど綺麗な彼女ができたから。今でも僕は真由美を「美人妻」と公言している。他人からの反応はどうでもいい。僕にとって美しい妻なのだから、それは間違いなく美人妻なのだ。
「美人とはなにか」と考えたとき、僕はまず姿勢と視線と笑顔から始まると思う。
それらを支えるのは女性としての“自信”だ。
どれほど素敵なプロポーションでも「もうババアだ」と言われれば背筋が曲がる。
どれほど顔が整っていても「ブスだ」と言われれば視線は落ちる。
どれほど明るくても「女として見られない」と言われれば笑顔が消える。
それらの言葉がたとえ身内の謙遜であったとしても、だ。女性の“美”に関する敏感なレーダーは、良くも悪くもあらゆる言葉を拾い上げてしまう。
文化、風潮というのは根深いものだ。ここ日本において、はじめは物珍しげに見られるだろう。しかし胸を張って言い続ければいい、「うちの妻は誰よりも綺麗だ」と。
気づいたら本当に世界一美しい女性が、貴方の隣に立っていることだろう。敏感なレーダーは、貴方の愛の言葉(スペル)を余すことなく拾い上げるから。
●家事は“嫁にモテたい”から始まる
「夫が家事をしてくれない」という声が数多く届く。が、この件に関して僕には多少思うところがある。最近は「家のことなんだから」というかさに懸かった声があまりにも強すぎて、夫の仕事への労いがおろそかになってしまっているのではないか。
ほかの国のことは知らないが、日本において男が仕事で受けるストレスは並大抵ではない。重圧、板挟み、責任、これらが一生ついて回り、それでも家族を守るために向上心を持って取り組まなければならない。そんななかクタクタになって家に帰ると、聞こえてくるのは妻のグチと舌打ちだけ。こんな現状で夫婦の協力態勢など取れるわけがない。
と、同性を庇護しつつ―やはり主婦業の過酷さは尋常でない。早朝から夜遅くまで気の休まるときがなく、さらに子供でも生まれた日には一息つくことさえできない日々が向こう数年間続く。最大の悲劇はこれらの苦労が見た目で伝わりづらいことだ。
以前、軽い気持ちで“ママのお休みの日”を設け、子供と家事全般を請け負ったことがある。僕はわりかし器用だし、体力は人の3倍はある。自信満々で始めた結果、僕は半日と持たずに潰れた。
根性論では語れないレベルの疲労が、肉体と精神を蝕んだ。これを毎日やっているのかと思うと気が遠くなった。この苦労を知ると「ほんの少しの手伝いがどれだけの助けになるか」という気持ちがよくわかる。
まずは「男女どちらが大変か」という比較をやめることだ。そしてお互いがお互いのために毎日頑張ってくれているという、当たり前なのに忘れがちなことを改めて認識し直すべきだ。
サラリーマンであれ主婦であれ共働きであれ、互いの仕事への労いがベースにないと、サポートの段階になど進めない。
「お疲れさま、いつもありがとう」があって初めて、「こちらこそありがとう。何かできることはある?」につながるのだから。
僕も仕事柄スケジュールが不規則なこともあり、十分に家事の手伝いはできていない。なので限界はあるのだが、家にいられる時間はなるべく家事をするように心がけている。
だが、そこに義務感は一切ない。よくできた旦那のように「時代に鑑みて男も家事を〜」などといった意識も特にない。では、なぜやるか。
嫁にモテたいからだ。
昔は義務感から家事に手を出し、やり方にダメ出しをされてケンカになった。育った環境で家事の細かなルールはそれぞれ違う。義務感で行うと自分のやり方を貫いてしまい、嫁からすれば雑に済ませているように見えてしまう。それで一つの答えを導き出した。やらなくてはいけないのではなく「よく思われたい」という認識で始めたほうが、結果的に全てがうまく回る。
たとえば洗い物をするとき、茶碗をただ洗って終わりではなく、シンクやカウンターも拭き、その台拭きをもみ洗いして絞った状態で置いておく。バスタブだけではなく風呂場の壁や床もざっと磨いておく。すると「こんなところまでありがとう!」「すごい! 助かっちゃう」と褒めてもらえる。そうなると「次はガス台回りも」「天井にだって手が届いしちゃうんだから」と範囲も広がる。
「よく思われたい」という欲求は、必然的に嫁の「こうしてほしい」を上回ることになるのだ。
僕は褒められて嬉しい。嫁は助かる。これ以上Win-Winな関係があるだろうか。
『今日も嫁を口説こうか』は、平子さん独自の夫婦愛の形がつまった一冊。ぜひチェックしてみてください。