95年前の9月10日、滋賀県の南西部を走る京阪石山坂本線が全通しました。

門前町と門前町がつながる


「びわこ号」塗装になった京阪石山坂本線の電車(画像:京阪)。

 今から95年前の1927(昭和2)年9月10日。石山寺と坂本比叡山口をむすぶ、現在の京阪石山坂本線が全通しました。

 大津の街に近郊電車が生まれたきっかけは、国鉄の「東海道本線大津支線」の転換でした。現在の膳所駅から浜大津駅までちょこんと伸びていたこの路線は、昔の鉄道敷設の名残でしたが、1913(大正2)年に旅客廃止。それを引き取って「大津電車軌道」が開通したのが、石山坂本線のはじまりです。

 1969(昭和44)年まで国鉄の貨物営業は残っており、「狭軌」の国鉄と「標準軌」の電車、異なる線路幅が共存する「三線軌条」となっていました。

 開業翌年には石山寺まで延伸を果たし、参詣鉄道として賑わいを見せます。ほぼ同時期に京津電気軌道(現:京阪京津線)が浜大津駅のすぐ手前まで開業しており、連絡運輸も行われました。

 そのまま比叡山延暦寺や門前町・坂本へのアクセスとして、北へ延伸工事が始まります。折しもほぼ同時期に、江若鉄道(JR湖西線の前身)が浜大津から湖西北部の高島方面へ鉄道を敷設中。坂本までは完全に並行しており、ライバル関係でした。

 軒先をかすめるような膳所周辺とは対照的に、大津京以北の石山坂本線は直線主体のルートとなっています。これは江若鉄道とのスピード競争で優位に立つため、高速運行を可能にした結果といえます。

 そしてこの日、大津市役所付近の最後の区間が開業し、「石山線」および「坂本線」がひとつの線路でむすばれることとなりました。「石山坂本線」の名称が生まれるのは、戦後の1956(昭和31)年のことです。