50年前の9月9日、鹿児島のローカル国鉄線、大隅線が全通しました。

日南線と合わせて200km近い南廻ルート


大隅半島西側を回っていた大隅線(画像:鹿屋市)。

 今から50年前の1972(昭和47)年9月9日。鹿児島県の東側の半島、大隅半島を周る鉄道路線「国鉄大隅線」98.3kmが全通しました。

 もともと志布志〜古江が「古江線」として開業しており、そこから北の国分駅まで順次延伸したのち、大隅線に改称されました。

 この日から大隅半島には志布志駅を拠点として、宮崎へは日南線、都城へは志布志線、国分へは大隅線が伸びることとなりました。

 大隅線は海潟温泉〜大隅麓で桜島の東端をかすめます。

 1978年10月時点のダイヤでは、快速を含め通し列車が1日5往復運行。日南線との直通列車もありました。6時24分発の志布志発の列車は、鹿屋から快速となり、国分から西鹿児島(現:鹿児島中央)まで急行「大隅」と併結。そのまま指宿枕崎線の山川駅まで、5時間かけて旅する長距離列車でした。

 もともと人口の少ないエリアを行くルートであったのに加え、鹿児島方面へは垂水から中心街へ直行する航路があったため、収支状況の悪化から1984(昭和59)年に廃止が決定。志布志線とともに1987(昭和62)年に廃止されました。

 残った日南線は88.9kmもの長大な盲腸線となりましたが、観光列車「海幸山幸」の運行開始など、活性化の取り組みが行われています。