総生産数約757機中、日本の川崎重工製が107機を占めます。

アメリカ海軍での運用開始から60年

 1958(昭和33)年8月19日、アメリカの航空機メーカー、ロッキード社(現ロッキード・マーチン)が開発したP-3「オライオン」哨戒機が初飛行しました。同機は、ロッキードが自社開発した民間旅客機L-188「エレクトラ」をベースに軍用機として仕立て直したもので、母国アメリカを始め、日本やカナダ、韓国など世界約20か国で採用されています。


海上自衛隊のP-3C哨戒機(画像:海上自衛隊)。

 P-3は当初、対潜哨戒機として開発されました。第2次世界大戦後、潜水艦は急速な進化を遂げ、加えて1954(昭和29)年9月には世界初の原子力潜水艦「ノーチラス」が就役したことで、探知することは困難になる一方でした。

 当時、アメリカ海軍は陸上から運用する大型の対潜哨戒機として、ロッキードP2V「ネプチューン」を装備していました。しかし、高性能化を続ける潜水艦に対応できるよう改良が加えられるなか、1950年代半ばには積載量が限界を迎え、一層の能力向上を図ることが難しくなります。そこで将来を見据え、より大型で近代的な対潜哨戒機が望まれるようになりました。

 このような要求に応えようと、ロッキードは1957(昭和32)年12月に初飛行したばかりの最新鋭旅客機「エレクトラ」をベースにした対潜哨戒機をアメリカ海軍に提案、採用されます。

 すでに初飛行を終えた機体を転用したため開発は順調に進み、「エレクトラ」初飛行から8か月後の1958(昭和33)年8月19日にP-3も早々と進空できたといえるでしょう

 ただ、その後原型のL-188「エレクトラ」が設計不良に起因する空中分解事故を連続で起こしたことで、その対策をP-3にも施す必要が生じたことから制式採用は遅れ、アメリカ海軍における部隊配備は1962(昭和37)年8月にズレ込みました。

余裕ある機体サイズから10回近くものアップデートに対応

 第一線で運用を開始したP-3「オライオン」は、前型のP2V「ネプチューン」と比べて機内容積が拡大し、完全な与圧化も達成したことなどから乗員の快適性は段違いに向上していました。加えて高出力エンジンを4基備え、滞空時間も伸びたことで対潜哨戒機としても申し分ない性能を有しており、10回近くものアップデートを繰り返しながら60年以上にわたって第一線で使われ続けました。

 また米ソ冷戦が終結した後は、優れた滞空時間を活かす形で対潜水艦任務だけでなく海賊や密輸船、不審船などへの警戒監視にも当たるようになっており、アメリカ海軍や海上自衛隊などでは海洋哨戒機として用いられています。


P-3哨戒機の原型となったロッキードL-188「エレクトラ」旅客機(画像:パブリックドメイン)。

 日本がP-3「オライオン」の採用を決めたのは、初飛行から約20年後の1977(昭和52)年12月のこと。最初の3機をアメリカから輸入したあとは、川崎重工でライセンス生産し海上自衛隊に配備しています。そして、1983(昭和58)年3月に神奈川県の厚木航空基地で運用を開始して以降、全国6か所の航空基地へ配備したほか、独自にEP-3やOP-3C、UP-3C、UP-3Dといった派生型も開発・製造しています。

 P-3「オライオン」の生産数はトータルで約750機。そのうち107機が川崎重工でのライセンス生産分になります。川崎重工で生産された全数が海上自衛隊に納入されているため、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の「オライオン」ユーザーとなっています。

 2022年8月現在、日本では国産のP-1ジェット哨戒機に更新される形で、数を減らしているものの、もうしばらくは日の丸をつけ飛び続ける模様です。