戦後77年 戦争体験者の声 97歳空襲を語る
77回目の終戦の日を迎えました。平和を守るために先人の声を聞くことは大変重要ですが、実際の声を聞くとなるとたいへん難しいのが現状です。今回、宇都宮空襲の時19歳だった女性を取材しました。現在97歳。今の私たちが考えたい重い言葉を数多く聞くことができました。
宇都宮城址公園「清明館」に展示されている焼夷弾。今から77年前の7月12日、この焼夷弾が宇都宮を襲いました。
焼夷爆弾1万500個、小型焼夷弾8万3700個。途方もない数の爆弾。どのように落ちたのか、人々はどうしていたのか。
今年97歳の大塚 房子さん。実際に宇都宮空襲を体験した人の声は戦争の「現実」をありのままに教えてくれます。
空襲当時は19歳。宇都宮駅のすぐ近くに住んでいました。「あの日」を克明に覚えていました。
空襲の熱でお釜のご飯が炊けてしまったこと。親戚を訪ねてきたが見つからず途方に暮れていた人から逆に缶詰を3つもらったこと。近所に住んでいた3人の子ども、お兄ちゃんが2人を抱えて亡くなっていたこと。
19歳だった大塚さんは宇都宮の陸軍航空廠で朝の6時から夜の6時まで12時間勤務でした。空襲の年の春の花見がとても楽しかったと話しました。
確かにあった青春。確かにあった戦争。そして、繰り返される戦争。
ロシアのウクライナ侵攻の話になると今の時代の戦争に対する受け止め方に警鐘を鳴らしました。
大塚房子さん:「実際に体験していないから分からないんじゃない?最近は戦争の怖さを知らない人が多いから、あと20年くらいで戦争が起きるのでは?若い人はいろいろ勉強しているが本当の戦争の怖さを知らない。実際にやったらあんなに怖いものはない」
平和に対する考えはさまざま。しかし、どんな考えを持っていても戦争は命を奪い心をむしばんでいく。それは8割以上が戦争を知らない今の日本人にも通じる重いメッセージです。
97歳の大塚さん、何度も何度も繰り返し語りました。
大塚房子さん:「戦争経験者として絶対にしてはいけない」