国鉄型103系なぜ西日本で未だ現役? まもなく登場60年 東日本はとっくに消滅
製造から半世紀以上が経過した国鉄型通勤電車103系が、関西では未だ現役です。奈良線から引退したことで、和田岬線や播但線などに残るのみとなったものの、首都圏などではとっくに消えた車両がなぜ、残り続けているのでしょうか。
3500両近くも造られた通勤形電車
2022年3月のダイヤ改正では、JR奈良線から103系電車が引退しました。それから4か月後の7月には廃車回送が行われ、ウグイス色の103系が消滅しています。
2022年に引退した、JR西日本 奈良線の103系電車(柴田東吾撮影)。
103系といえば、国鉄を代表する通勤形電車でした。モーターの付いた電動車の数を従来の半数程度とした経済的な電車で、1963(昭和38)年に登場後、20年あまりの長期に渡って大量生産され、首都圏や関西を中心に活躍しました。JRが発足した1987(昭和62)年の時点では3436両もあり、JR東日本が2418両、JR東海が70両、JR西日本が894両、JR九州が54両を継承しています。
ただ、この時点で最初の登場から35年ほどが経過しており、103系は後継の車両で置き換えが進められます。JR東海では、中央線などで使用されていた車両が1999(平成11)年に引退して翌年までに廃車され、4社のなかでは最初に形式消滅しています。
JR東日本では山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線、常磐線快速などで使用されましたが、仙石線を最後として2009(平成21)年までに引退・廃車されています。
廃車になった奈良線103系の正体
これに対し西日本では、2022年7月現在も103系が活躍する姿が見られます。JR九州では比較的新しい車両が筑肥線で使用されているほか、JR西日本では山陽本線の支線である和田岬線をはじめ、加古川線や播但線では改造車が使用されています。かつては東海道・山陽本線(JR京都線、JR神戸線)、阪和線、大阪環状線、片町線(学研都市線)なども走っていました。
播但線の103系はすべて、改造車が占める(柴田東吾撮影)。
今回、奈良線から引退した103系は、先頭車が山手線から転用された車両としても知られています。103系は増備過程で冷房付きとなりましたが、冷房付きの車両は混雑の激しい路線に優先して投入され、首都圏では中央線快速と山手線、関西では大阪環状線が該当しました。
次いで、山手線や京浜東北線では保安装置にATC(自動列車制御装置)を導入して安全性を高めることになり、103系もこれに準じて製造されました。この結果、ATCに対応していない先頭車や冷房のない103系が他の路線に転用され、一部が関東から関西に転出したのです。奈良線で引退した元山手線の先頭車は冷房付で登場したものの、ATCには対応していなかったので、山手線での使用は短期間で終了しています。
さて、最多の両数を継承したJR東日本ではとうに引退しているのに、JR西日本では現役なのはなぜでしょうか。それは各社で、車両を維持する考えに違いがあったからです。
JR西日本に103系が残る理由
JR各社では、国鉄から継承した車両が老朽化したことで、現在でも新しい車両に置き換える必要に迫られています。そのうえ、JR東日本・東海・西日本では国鉄から継承した債務の一部も引き継いでいたために、JRが発足した当初は支出を抑えることが必須だったのです。
103系の後継車両として登場した、JR東日本の209系電車。コストダウンを目指して造られた(柴田東吾撮影)。
JR東日本は、209系電車に代表されるような「重量半分 価格半分 寿命半分」を目標にした車両を開発しました。車両製造のコストのみならず、電気代や車両の保守などを抑えたトータルコストの削減を行ったのです。さらに、自社内の新津車両製作所(現・総合車両製作所新津事業所)で車両製造を行うことで、会社の資金が社外に流失することも抑えました。
一方のJR西日本は、既存の車両にリニューアルを施すことで寿命を伸ばし、新車製造を少なくすることで車両にかかる支出を抑えるという、コストミニマムの手法を採りました。この結果、ランニングコストやメンテナンスコストで不利なJR東日本からは103系が姿を消しましたが、寿命を引き伸ばしたJR西日本では現役となっているのです。
ただ、JR西日本は車両について、製造から50年程度で廃車とする傾向があり、103系の数も年々少なくなっています。ちなみにJR九州の筑肥線に残る103系は、地下鉄乗り入れ対応で登場したものの、すでにその役割は終えており、西唐津〜筑前前原間を走るのみになっています。