「このチームは一生懸命やる子たちが多くていいチームだと思います。今、いいチームから少しずつ強いチームに変わっていっている発展途上です。春の山をしっかりと降りて、夏にはもっともっと強いチームをつくって、ここ(甲子園)に戻って来たいと思います」

 今春のセンバツ優勝を決めた直後、チームの強さを尋ねられた西谷浩一監督が語った言葉だ。

 このなかにも登場する"山"を語り始めたのは、いつ頃からだっただろうか......。


3度目の春夏連覇、大阪桐蔭初の秋春夏制覇に挑む西谷浩一監督

春の山と夏の山

 拙い記憶と取材メモを照らし合わせていくと、大阪桐蔭が初めて春夏連覇を達成した2012年、その秋に書いた原稿に"山"が登場していた。当時、ある雑誌の企画で主力メンバー6人による座談会を行なったのだが、"西谷先生"の話題で大いに盛り上がるなか、初めて"山"を口にしたのは藤浪晋太郎(阪神)だった。

「西谷先生が『春の山を極めたら、そこから一回降りて、夏の山を登りにいかなあかん』って言われて。ああ、そういう感じなのかと思って、頭に残りました」

 エースの言葉に主将の水本弦が「『春と夏の山はまったく別物。同じと思っていたら夏の山には絶対に登られへん』とも言っていました」と、しばらく山の話題が続いた。

 その後、西谷本人の口から詳しく山の話を聞いたのは2015年。センバツでのベスト4から夏へ向かうなかの取材だった。

「センバツ準決勝で敦賀気比にボコボコにされた(0対11)あと、ある選手が野球ノートに『夏までにあと2つ勝てる力をつけないといけない』と書いてきたんです。それを見て『これは違う。そう思っていたら夏は絶対に勝てない』と返答して、選手たちにもあらためて話をしたんです」

 つまり、こういうことだ。

「8月にどこも新チームをスタートさせて、最初に目指すのはセンバツで、そこへつながる春の山を登っていく。秋を戦って、センバツに選考されたチームは3月までずっと、同じ春の山を登っていく。一方、秋に負けたチームはその時点から目標が夏になって、夏の山を登り始めます。だから、センバツに出た時は大会が終わったら早く山を降りて、夏の山を登っていかないと間に合わない。春の山の先に夏の山があると思っていたら、えらい目に遭う。2つの山はまったく別。そう思っておかないと夏は勝てないんです」

 また「春の山を登っている時は2、3年生だけですけど、夏の山は3学年一緒。より一体感を持って登っていかないといけません」とも語っていた。

 より一体感を持っての山登りと聞くと、のどかなハイキング風景が浮かんできそうだが、大阪桐蔭が目指す山は、常に高く険しい。山を語って10年、いま西谷監督率いる大阪桐蔭が目指しているのは、これまで誰も踏み入れたことのない未踏の地である。3度目の甲子園春夏連覇と、同校初となる秋春夏制覇だ」

大阪大会を6試合1失点の圧勝

 圧倒的な強さでセンバツを制した大阪桐蔭は、夏の大阪大会も接戦皆無の圧勝劇。初戦から10対0、7対1、6対0、8対0、8対0、8対0、7対0。スコアを眺めているだけでも隙のない強さが伝わってくる。

 7試合でわずか失点1。センバツで好投を続けた川原嗣貴は安定感を維持し、ストレートの速さ・質共にレベルアップした別所孝亮が急成長。打線にも実力者が揃い、ミスや不調の選手がいてもカバー。マイナス要素が極めて少ないなかで、唯一気になったのが2年生左腕の前田悠伍だった。

 初戦(2回戦)から先発のマウンドに立ったのは別所、川原、南恒誠だった。リリーフでは左の小林丈太が登板したが、大会前半の3試合で前田が投げることはなかった。どの投手もレベルが高くそれ自体まったく問題なかったが、気になったのは前田の状態だった。

 4回戦の試合後、監督の西谷に前田の状態を確認すると、視線を遠くに置きながら「いつでもいける準備はしています」とひと言。普段なら囲み取材がひと段落すると、ユーモアを交えながら報道陣に対する西谷だが、この夏の大阪大会はやや様子が違って見えた。

「雰囲気が堅いですね」と言うと、「まあ察してください」とここでも短くひと言だけ。深い意味を持たず、思わず口をついて出た言葉だったかもしれないが、極めて順調に映る戦いのなかで指揮官が抱えるわずかな不安がこぼれ出たように感じた瞬間だった。

 夏の大会前の7月2日、大阪桐蔭は高知高校と練習試合を行なった。それまでコロナ対策で取材が制限されており、大会前に大阪桐蔭の選手を取材できる唯一の機会とあって、多くの報道陣が詰めかけた。

 この日も投げることのなかった前田に試合後、話を聞いた。すると「実戦で投げた最後は、練習試合の東海大菅生との試合です」と言った。あとで調べてみると、その試合が行なわれたのは6月19日。内容は「先発して、5回か6回でたぶん4点とられて負けました」(5回4失点)。少しオーバーに「大乱調?」と聞くと、「いや、真っすぐを試そうと思って、あえて押していったので、全然気にしていないです」ということだった。

 6月は追い込みの時期で体もきついし、そんな日もあるだろう......。そんなことを思いながらも、やはり前田の状態が気になっていた。

 もちろんこの時も、夏へ向けての話題になると「大丈夫です」と力強く言い、捕手の松尾汐恩に前田の調子を確認しても「練習ではバチバチです」と力を込めてきた。

前田悠伍の本当の状態は?

 もし前田が本調子でないとなれば、戦いの様相は一変し、この先の道は極めて厳しいものになっただろう。

 投手陣は川原、別所を筆頭に揃って好調だが、やはり戦いのなかで軸となるのは前田だ。これまでの起用を見ても、センバツ決勝(近江戦)、春の大阪大会決勝(履正社戦)、春の近畿大会決勝(智辯和歌山戦)は、いずれも前田が先発。大会ごとに決勝の意味合いは違うが、それでもすべて先発させたということは前田に対する信頼の証である。

 この男がいつもどおりの状態でマウンドに上がることが、夏の結果にも大きく影響してくる。そんな前田の現状がよくわからず、何事も穿った見方をしてしまう私のなかでさまざまストーリーが浮かんでいた。

 大阪大会、前田の初登板は東海大仰星戦だった。先発し、結果は4回無失点。被安打3、奪三振5と聞けばいつもどおりだが、これまでとの決定的な違いは5つの四死球を与えたことだ。立ち上がりからボールがばらつき、毎回四球。昨年秋から見てきたなかで、こんな前田を見たのは初めてで、いっそう不安が高まった。この状態で履正社と対戦すれば「ひょっとして......」と思うには十分だった。

 試合後の前田は「投げに行く時、かかとに体重がかかってしまったのをうまく修正できなかった。力みもあって......」と、ボールがばらついた理由を分析。「普段のブルペンではいいローボールが決まっていたので、少し修正すれば直せるはずです」と前向きに語った。

 この時点で、優勝するには4日間で3試合を戦い勝たなければならなかった。聞けば、東海大菅生戦のあと、前田は練習試合に投げることなく大阪大会に突入したという。ボールに力はあったが、東海大菅生戦で打たれた次の登板がこの日だったことを思えば、ベンチにも少なからず不安が生まれたのではないだろうか。

 それでも前田の次の登板が決勝であることは、これまでの起用からも濃厚。実際、準々決勝は川原、準決勝は別所が投げて危なげなく勝ち上がり、履正社との決勝は前田がマウンドに上がった。

ライバル履正社を8回無失点

 ところが、答えはすぐに出た。1回表が始まる前の投球練習で投じた7球が、明らかに4日前と違っていた。ボールの威力はそのままに、散らばることなくしっかり制球されていたのだ。これを見る限り、大きく崩れることは想像できなかった。

 試合後、前田は「前回のあと、うまく修正できたので今日は試合前からいけるという自信がありました」と振り返った。「前田から5点!」と意気込んでいた履正社打線を8回無失点。なかでも5回までの投球は完璧だった。

 大阪大会初登板からわずか3日間でしっかりと修正した経験が、また甲子園の戦いのなかでも生きてくるかもしれない。

 もし決勝での投球がなければ、少なからずチームのなかに不安要素として残っていたはずだ。それが履正社戦の快投で、視界を一気にクリアにした。決勝戦の試合後、西谷の表情は和らぎ、強い言葉で甲子園への決意を語った。

「このチームで3回目の春夏連覇に挑戦したいとやってきて、それに加えて初めて秋春夏制覇にも挑戦できる権利もいただきました。こんな大きな目標に挑戦できることはめったにないこと。ワクワクした気持ちですし、2つの大きな目標に向かって、全員で、甲子園で暴れたいと思います」

 センバツ後の宣言どおり、春よりも強くなってきた王者が、あらためてここから目指す夏の頂。すべての戦いが終わった時、西谷は再び達成感に包まれながら夏の山を語っているのだろうか。