軽井沢と並ぶブランド避暑地・清里がメルヘン廃墟化「まるで人類滅亡後の世界のよう」
日本が絶好調に浮かれていた80年代のバブル時代、「清里」は大ブームになった。
【写真】廃墟となった“ポット”やお城の建物、サバゲー会場は“きのこ”が目印
“山梨県の原宿”と呼ばれ、タレントショップやペンションが乱立。若者がこぞって押し寄せた。
だが90年代に入り、バブルが崩壊。同時に清里ブームも終焉を迎えた。
――今、“清里”とググると、一番上に出てくる関連キーワードは“廃墟”。ネット記事でも、うらびれてしまった現在の清里を“メルヘン廃墟”などと紹介している。
6月、実際に足を運んでみた。
“メルヘン廃墟”と化している「清里」の今
この時期の清里は閑散期ではあるが「それにしても」というくらい駅前には人がいない。駅前には現在も、パステルカラーのお店が並ぶ……当時のままの光景。だが、開いているお店は数軒のみ。
駅を出て少し歩くと、ポットの形の建物が現れた。その向かいには、パステルカラーのお城も。店の中は当時のまま放置されておる、ファンシーな小物も展示されたままだ。
その近くには、樹の精、キノコ、カタツムリのキャラクターが飾られた建物があった。まるで○ィズニーランドみたいだ。もともとは清里を代表するショッピングモール『清里ひろば(ワンハッピープラザ)』だったそうだが、いまはフェンスで囲われている。取り壊し工事でもはじめるのかな。そう思ったが、違った。
なんと、サバイバルゲーム用のフィールドとして再利用されていたのだ。本物のショッピングモールでエアガンを使った戦争ごっこができたら、それはきっと楽しいに違いない。
少し離れた場所に、緑と黄色の派手な廃墟があった。建物の前は大きな駐車場になっていて、大型バス用のスペースがいくつもあった。以前はたくさんの人が訪れていたのだろう。
かけられた看板を見ると、『北野印度会社』と書いてある。かつて大人気だったテレビ番組『天才たけしの元気が出るテレビ‼︎』、その番組の企画で出店されたカレー屋だ。番組では『元気が出るハウス』というタレントショップを、東京・原宿、京都の嵐山などに作っていた。だが、それらは現在、1つも残っていない――取り壊されなかった清里だけが、2022年の今も当時の姿を遺している。
80年代、清里は、明るく軽薄でチープな建物やキャラクターが並ぶ街だった。
しかし時代の流れとともに、それらは消え去り、忘れ去られていく。清里はバブル的な人気が出て、そしてそのまま一気に衰退した。だから当時の様子が奇跡的に残っている。
まるで、ヴェスヴィオの大噴火で地中に埋もれたポンペイ遺跡から発掘されたローマ帝国の都市のようだ。
人類滅亡後の世界を歩いているような気持ち
少し霧がかった無人の街を歩いていると、人類滅亡後の世界を歩いているような気持ちになってきた。
かつて、清里は同じく避暑地である軽井沢と並び称されることが多かった。
同じく若者が大挙して押しかけ、タレントショップができる町だった。とくに旧軽井沢のメインストリートなどが清里と近しい風情だった。だが、軽井沢はバブル崩壊後、上手に元の姿に戻っていった。いまも賑わっており、老舗ホテルや画廊、高級ベーカリーやおしゃれなレストラン、ジャムやチーズ、ソーセージなどの商店が立ち並ぶ。大人が楽しめる、ちょっとセレブな避暑地、リゾート地としての活気を取り戻している。
実は清里も、東京都内からの距離は、軽井沢とほとんど変わらない。唯一、リゾート地として軽井沢に勝てないポイントがあるとしたら、温泉施設がない点だろうか。なにしろ軽井沢は温泉が出る。あの星野リゾートを生み出した『星野温泉』があるのだ。そりゃあイメージ抜群だろう。
リゾート地にとって、イメージはとにかく大事なのだ。ひょっとするとバブルがはじけ“負け組”“廃墟の町”とレッテルが貼られてしまったことこそが、清里の最大の敗因かもしれない。
駅前には清里の街の歴史が年表となって掲げられていた。1875年に清里村が誕生。1945年日本アメフトの父ポール・ラッシュ博士が清里を開拓。1972年鉄道の無煙化。そんなかなり細かいできごとまでが書かれているのに、バブル時期のことは一切触れていなかった。あのバブル時代のできごとは、清里にとって黒歴史なのかも。
寂れているが、飲食店やクラフトビールも
駅前は寂れているが、少し離れた場所には飲食店がたくさんあることに気がついた。
『清里レストラン&コテージ睦』というお店で、名物の「湯もりほうとう」というものをいただいた。あたたかい手打ちのほうとう麺を野菜の入ったつけ汁で食べるものだが、これがちょっと、びっくりするくらい美味しかった。
店主にお話を伺うと、お店ができてもう37年になるという。
「当時はすごかったですよ。夏も冬も大賑わいでした。冬は新たにスキー場ができたこともあって、大勢人が押しかけて……。つねに大渋滞でしたね。他県から訪れてくれたのに、駐車場がいっぱいで停められずに帰ってしまうお客さんもいました。そういうことがあったら、もう2度と来てくれなくなるだろうな、って残念に思っていましたね。
今はのんびりしていていいですが、銀行が撤退してしまったり、酒屋さんもなかったり、ちょっと不便なこともあります。でも駅から少し離れた場所には、まだ遊べる場所もたくさんありますよ」
店主に聞いたスポットに足を運んでみた。
駅の南にある複合施設『萌木の村』には本格的なバー、カフェが並んでいる。オルゴールミュージアムや体験型の工房もある。閑散期にも関わらず、何人も人が訪れていた。
オープン50年を超えたオシャレな老舗レストラン『ROCK』でハンバーグを食べたが、非常に美味しかった。ビールも自家製で、一味違う味わいだった。
駅の北側にある『清里の森』も同じように賑わっていた。その北側には大きな別荘地がある。徒歩では厳しいが、自動車があれば楽しめそうだ。
また周辺には牧場が多く、馬が走っている様子や、牛や羊が放牧されている様子が見られる。
ノスタルジックな風情あふれる清里も、これはこれで乙なもの。密を避けての旅行先として、もっと注目を浴びてもいいと思う。
(取材・文/村田らむ)