萩本欽一が放ち続ける「狂熱」が次世代のテレビに問いかけること - 松田健次
※この記事は2017年11月21日にBLOGOSで公開されたものです
気づけば2017年、萩本欽一学長による萩本学校の通信教育を集中受講してしまっていた。上半期の講義はNHKBSプレミアムで5月から6月にかけて4週に渡った特番「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」。下半期のそれは11月3日から公開となったドキュメンタリー映画「We Love Television?」。それぞれが萩本欽一による、舞台、笑い、テレビの創作術をクローズアップするものだった。
萩本欽一が目指す「動き」で楽しませる笑い
前者の萩本はすさまじかった。「今のテレビではあまり見かけなくなった」と萩本が指摘する「言葉ではなしに動きで」楽しませる笑いを目標に掲げ、萩本が若き日に浅草での修行時代に培った軽演劇の手法を、劇団ひとり、中尾明慶、矢野聖人、前野朋哉、小倉久寛らを相手に舞台上で実践しながら伝授していった。
観客を前にした公開稽古であるが、出演者たちは何が正解なのか知らされず、ひたすら萩本からの課題を受け、思いつく限りの芝居で返してはハネ返された。その様相はまさに動きの大喜利。言葉の大喜利が研ぎ澄まされた今のテレビで、それはシンプルに新鮮なカウンターで、理屈抜きでおもしろかった。
<「欽ちゃんのアドリブで笑(#3)」(NHKBSプレミアム) 2017年5月31日放送より>
萩本「アドリブというのは即興と言うんですから、何でも言えばいいってもんじゃなくて、それなりにね、工夫しなきゃいけないという。その中でですね、アドリブでこれだけは言っちゃダメってのがあるんですね。芸が伸びるのは、ひとつずつ、これ言っちゃダメこれ言っちゃダメって、次々にやめていくんですね。そうすると、どんどんどんどん優れていくという」
「そうじゃないの、こう、ハイもう一回」と、共演者に即興で指示を与えてぐいぐい追い詰め、瞬発の笑いを生み出していく手法は、これまでに萩本が手掛けてきた様々な番組で幾度となく見てきた。
だがこの番組がそれら過去の番組たちと一線を画すのは、萩本の口からその都度その場面の演出意図が語られ、アドリブに見える指示が行き当たりばったりではなく、カリキュラムにのっとった「軽演劇理論」に裏打ちされていること(の公開が果たされたこと)だった。
その理論を逐一証明するように、萩本が与える課題を消化するごとに観客の反応も大きくなっていく。コーチングと成果がプラグマティックに・・・・というか、「なんでそうなるの!?」的に結果(=笑いと喝采)を生み出していくさまに感動した。
経験に基づき実証される萩本の「一言一句」
中でも印象的だった場面が、罪人を連行する役人の足に、罪人の弟がすがって引き止めるという時代劇の稽古だ。相手の芝居(=動き)を止めない位置取り、足の運び方、表情の見え方、それらが萩本の指摘でみるみる変わり、芝居が肉付けされ、役者達の存在感と可笑しみが舞台に映えて、満場納得の爆笑&喝采となった。
<「欽ちゃんのアドリブで笑(#2)」(NHKBSプレミアム) 2017年5月24日放送より>
萩本「コメディアンってね(動きでいい形を見せるために体の)どこか痛くなんないとダメ」
なるほどそうなのか、と思わされる教えの連続。経験に基づき実証される萩本の一言一句は、とても刺激的だった。
舞台で笑いを生み出す身体表現のスキルは、かつて軽演劇の世界で多士済々なコメディアン達によって切磋琢磨され、さらに自身で開拓したそれも含め、萩本の身体に蓄積されている。その開帳と伝授によるこの「演出術ライブ」は、(51歳の自分にとっては浅草軽演劇に同時代の体験はなく)表層的だった「軽演劇」に対するイメージを全更新させてくれた。
「視聴率100%男」に迫った映画「We Love Television?」
この「欽ちゃんのアドリブで笑」は、76歳の萩本欽一が持つ舞台スキルの開帳と伝授が主題だった。そして映画「We Love Television?」は、萩本欽一が持つテレビバラエティの創作理論をつまびらかにすることが主題だった。この映画の萩本は勇ましかった。
◎「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日 1976年~ 最高視聴率42・0%)
◎「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ 1981年~ 最高視聴率38・8%)
◎「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS 1982年~ 最高視聴率31・7%)
70年代から80年代にかけて、これらの高視聴率番組を実現し、自身が関わる番組の一週間の合計視聴率が100%を超えることから、「視聴率100%男」の異名をとった国民的コメディアンの萩本欽一。そして監督は日本テレビの辣腕プロデューサー、土屋敏男。
◎「進め!電波少年」(日本テレビ 1992年~ 最高視聴率30・4%)
土屋は90年代、松村邦洋や松本明子らによる「アポなし」という突撃ロケのスタイルを確立し、ドキュメントバラエティーでテレビ界を席巻。猿岩石の「ユーラシア大陸ヒッチハイク横断」ほかバラエティ史に残るヒット企画を連発した「Tプロデューサー」である。
土屋は萩本をテレビ界の師匠と仰いでいる。時代の趨勢によりテレビの王からは長く座を退いていた視聴率フォースの師を、テレビ界の最前線で暗黒のフォースを振るっていた門弟が、フォースの覚醒を促すところからこの記録映画は始まる。
<映画「We Love Television?」より>
土屋「大将!もう一回、30%バラエティーをやりませんか?」
萩本「うわー、こんな嬉しい話すんの! 最高だ、えっホント?」
2011年1月、土屋は当時70歳の萩本を訪ね、視聴率30%を目指すバラエティー特番の制作を依頼する。快諾する萩本。半年後に放送される番組に向けて萩本はどう挑んでいくのか、そのプロセスを萩本の自撮りを含めて映像にとどめていく。
(以下ネタバレあり。ご了解を。)
「視聴率30%」を求めて無謀にも歩み始めた萩本
土屋の依頼を受け、番組作りのイメージを研ぎ澄ましていく為、一冊のノートに着想を次々と記し始める萩本。かつてもそうして番組作りに挑んだという。着想したイメージを具体化させるために、イメージの行方を絞る枷を書き加えていく。
「欽ちゃんのアドリブで笑」でも然りだったが、共演者を追い詰める姿がおなじみの萩本が、その厳しさを自身に向けて自らを追いこんでいく。そのノートが進んだ先に現れるであろう過去の自身に思いを寄せて、こう語った――、
<映画「We Love Television?」より>
萩本「少し気が狂ってないとダメなの。神経をね、興奮して、どっか奇跡に持っていかないと・・・」
今は仙人の域に近い在りし日の勇者が、幻の剣を自在とした若き日の心象をたぐりよせるような言葉だった。
こうして、視聴率30%という伝説のファンタジーを求め、無謀を夢想する萩本が歩み始める。時は2011年上半期。3・11東日本大震災、相方・坂上二郎との永訣。尋常ではない出来事に襲われながらも、東大の倫理学者、気鋭のCGクリエイター、放送作家・高須光聖、次長課長・河本準一など新たな出逢いを遂げながら目的へと向かっていく。
ここで、萩本がいにしえの夢想家ではないと思わされる場面に度々出逢う。中でもNHKのニュースでたまたま見かけた見知らぬ少年を「いい」と気をとめる神経の張り方に唸ってしまった。そこまでして人材を探すのか、そんな眼でテレビを見続けているのか、と。そして、伝説への伴走を続ける土屋が東北に住むその少年を探し出し、東京に連れてきて萩本に引きあわせる展開もなんだか容赦なくて素敵だった。
視聴率30%という奇跡を起こすために、何をするべきか、何をしないべきか。その問答のような言葉があちこちに飛び交う。台本を面白く直すとダメ、稽古場でのアイデアを本番で出したらダメ・・・。万全の準備の果てに、装備した武器を捨て、退路を断ち、未知なる自身の力を信じて戦わないと、その向こう側にある奇跡をつかむことはできないのだと。
奇跡、神様、運・・・、それらの言葉が勇者復活の呪文のように萩本の口をついて出る。芸やセンスなど自力でコントロールできる力とは別の、人智及ばぬコントロール不能の世界に度々言及する萩本。それが「視聴率100%」という伝説のような現実を体験した者の感覚らしい。
そうして制作・放送されたゴールデン帯の2時間特番「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう(仮)」(日本テレビ系 2011年7月22日OA)は、奇跡を起こすことなく10%にもみたない凡庸な視聴率に終わる。夢想は現実に引き戻される。そこで萩本は土屋に語る。あきらめない、と。ここであきらめたら「欽ちゃんの歴史に失礼」だと。
萩本が放ち続ける「狂熱」が次世代に問いかける
その後、萩本の挑みはテレビ地上波という表舞台を降り、ニコニコ生放送、AbemaTVなどに場を変えながら続いていく。そして今年2017年に先述したBS特番「欽ちゃんのアドリブで笑」につながる。76歳の萩本が心身の限界を超えてしまう姿も記録にとどめられ、胸をえぐる。
映画全編で映し出される萩本は尋常とは言えない熱を帯び、常人とはかけ離れたバイタリティーに充ちている。萩本を頂とする浅井企画に所属し、直系のスジにあたるキャイ~ン天野ひろゆきがこの映画に触れて語っていた。
<「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送) 2017年11月6日放送>
天野「もう、熱がすごい。ずーっと2時間ダメ出しされてるみたいな気持ちで観てましたよ。おまえら本気でお笑いやってんのかと。そんな熱あんのかと」
芸人に限らず、この熱は観る者が抱える冷めた何かを熱し、焦がす。萩本が放ち続けるこの熱を土屋は「狂熱」と表し、その継承を次世代に問いかける。それが映画「We Love Television?」だった。
レイトショーだった映画を見終え、浴びまくった熱に体を火照らせながら、もうひとつのことを思わずにいられなかった。それは、かつて視聴率30%という伝説を体現した萩本と土屋の、その非才だけではいかんともしがたいものがあるという冷温の現実についてだ。
時運、時運、時運・・・この、いかんともしがたいもの。
かつて時代を制した才人が尋常ではない人事を尽くし、なおこの「時運」に巡り会わなければ伝説は起きない。この映画は「狂熱」を映し出しながら、同時にこの「時運」というあやふやなものについても描く結果となっていた。
「狂熱」が神に見初められ伝説の視聴率を生む時代があった。萩本に、土屋に、彼らの「狂熱」に神が祝福を与えていた時代が。その神は今、何を見ているのだろうか。スマホか?
だとしても、いかんともしがたい「時運」に真正面から向き合う萩本欽一は、すさまじくて勇ましかった。