※この記事は2017年10月29日にBLOGOSで公開されたものです

大阪市羽曳野市の大阪府立懐風館高校の生徒である高校3年生の女子生徒が、頭髪が生まれつき茶色いことに対して、学校から黒く染めるように強制され、精神的苦痛を受けたとして、約220万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしたという。(*1)

タイトルだけ一見すると、さも甘えた子供のわがままであるかのように思う人もいるかもしれないが、報じられた内容が事実だとすれば、たかだか頭髪の色程度で、ここまでするのかという、学校側の常軌を逸した指導という名前の暴力に、身震いすらしてしまう。

挙句の果てに学校側の弁護士は「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」などといい出す始末。やれるものならやってみろ。国際問題になるぞ。

そもそも生徒に、そこまでして髪染めを強要するのであれば、まず、教師自身が見本を見せたらどうだろうか。

テレビに高校の懐風館高校が出ていたようで、そのキャプチャー画面を見たのだが、教頭の髪型はちりちりの天パ気味で、白髪も混じっていた。生徒に対して黒髪に染めろというなら、お前の髪も黒く染めるべきだ。もちろん天パはストレートになるまで矯正せよ。M字型のハゲも恥ずかしいので植毛しろ。ついでにヒゲも青く、シミも見えるのでコンシーラで隠せ。つかノーネクタイなのに、襟から白い丸首シャツが見えていて恥ずかしい。みっともないからネクタイをしろ。それを毎日やれ。できないなら学校に来なくてよろしい。もちろん身だしなみを整えないのは自己都合なのだから欠勤扱いだ。

他人の容姿をあげつらってここまで言うのは酷い事のように思えるかもしれないが、学校はこの酷い行為を逆らうことのできない女子生徒に対して、組織ぐるみで長期に渡って行い続けて続けていたのである。

僕が思うに、今回の件に関与した教師たちは、法の裁きを受けるべきである。民事ではなく刑事だ。髪染めを強要したのだから強要罪、髪染めを強要したことにより薬で皮膚を痛めたのだから傷害罪。あとは数々の暴言による侮辱罪。適用できそうな刑法はいくらでもある。それらの行為によって実際に女生徒は学校に通えなくなったのだから、刑事罰を問うに十分な被害が出ている。

「荒れる学校」などと、学校に警察を入れることやむなしといった議論が以前にあったが、もし学校に警察を入れるなら、とうぜん警察は荒れる生徒だけではなく、教育という美名の下に、生徒に屈服させて楽しんでいる教師たちに対しても権力を介在させる必要性があるだろう。

今回の件に対しては、ネットで多くの人が学校側を非難している。しかし現実もそうだろうか?僕は現実社会では学校側を支持する声が大きいだろうと感じている。

そもそも、こうした「規律に厳しい学校」というのは、決して地域から離反して存在しているわけではない。むしろ地域から求められて存在しているのである。そして「規律正しい公立高校」の需要はおもったより高い。

地域に依るが公立高校は偏差値が低い生徒が集まる傾向にある。勉強ができない子供に対して親が思うことは「せめて不良にならずに普通に暮らして欲しい」である。そこで、茶髪禁止などを親に代わって言ってくれる権威主義的な学校が望まれているのである。

少し前にも「暴力のアウトソーシング」という観点で、世田谷区のイベントによる日野皓正氏の暴力と、世田谷区区長保坂展人氏の体罰容認を論じた(*2)が、個人的には子供に何も言えなくても、権威や権力を得た途端に、まるで暴力の正当性を得たかのように生き生きと暴力や差別を行う人達がいるし、またそうした権威に期待する人も少なくないのである。

かつては日本でも、学校の管理教育を批判し、子供を自立した1人の人間として尊重しようとする空気もあった。しかしその代表であった1人の保坂展人氏の転向を見ても分かるように、日本ではそうした空気は失われてしまった。

1998年に日本の高校生たちが、スイスのジュネーブで国連会議に出席し、子どもの権利条約に対する主張を行ったということがあった。その中の主張の1つに「制服強制の問題」があったという。これに対して日本の週刊誌は、国連委員が彼らに対して「「貧しくても制服も買えない子供たちに比べて、あなた達は幸せだ」などと高校生たちをたしなめたかのように報じた。これを読んだ人たちは「高校生たちは甘えている」としてバッシングを行ったのである。またこの話は時折政治家の答弁でも「身の程をわきまえずに権利を主張する甘えた子供たち」という文脈で出てくることたある。

しかし、このときの委員のコメントは「国際社会の前で発言できたのだから、君たちは幸せ」「私達が皆さんの発言によって変わったように、皆さんの周囲も変わる」というものであった。

つまりこの委員のいう「幸せ」とは「制服を着れない子供たちに比べて幸せ」なのではなく「国際社会に向けて意見表明ができたことが幸せ」ということであり、意見を主張することこそが子供によるまっとうな権利の行使であるという意味合いであったのである。

さて、国際社会は子供たちの発言を受けて変わっていったが、子供の意見表明の権利をバッシングしてまであざ笑った日本は変わることができたのだろうか?

それは今回のような卑劣な人権侵害が、今なお起こっているという事実を見れば明白だろう。日本は変わることはできなかったし、またかつての高度経済成長時代の夢を追い求めて、権威主義的社会に逆戻りしてしまっている。

ただでさえ団塊ジュニア世代の貧困を放置したことによって子供の数が減り、社会保障への無理解から子供を育てづらい社会になっているのに、育ってくれた当の子供たちに対する扱いまで、まるで自分たちの管理する「モノ」であるかのように扱う始末。これでは近い将来、日本が衰退することは確実である。

せめて今生きている子供たちに対して、当たり前の人権を与えることすら、この国では望むべくもない夢物語に過ぎないのだろうか。

*1:損賠訴訟:「髪染め強要で不登校」高3、大阪府を提訴(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20171027/k00/00e/040/327000c
*2:暴力を肯定する大人ばかりではない(BLOGOS 赤木智弘)http://blogos.com/article/243925/