※この記事は2017年10月04日にBLOGOSで公開されたものです

JR新宿駅前で待ち合わせていると、ニッカポッカを履いた加藤慎吾(32、仮名)が現れた。鳶職のようにも見えるが、肉体労働者ではない。仕事は屋内作業であり、職業からすると、異質な格好をしている。その後、取材以外で、別の場所で偶然会ったが、同じようにニッカポッカ姿だった。

「(ニッカポッカは)保護色なんですよ。この手の人は得意じゃないんで、“僕はそっち側ですよ"と表明してしまえば、無用なトラブルを避けられると思って....」

慎吾はかつていじめられる側だった。それによって死にたいとは思ったことがないのは、うまく立ち回ることができたためだ。カメレオンのように身を隠してしまえば、いじめの対象にならないことをどこかで学んだということだろう。それでも慎吾はいじめとは違う理由で日常的に「死にたい」と思っている。

僕の周りでは「死にたい」と思う人は常にいた

東京都は17年7月、自殺対策に関する意識調査を実施した。その中で「あなたは、これまでの人生の中で、自殺したい、またはそれに近いことを考えたことがありますか?」との質問がある。「ある」と回答したのは45.3%だった。その中で「最近一年以内」は、26.1%だった。類似の調査の中では高い印象だ。

一方、内閣府の調査(16年度)で「自殺したいと思ったことがある」と回答したのは23.6%。東京都調査はこれを大きく上回る。内閣府の調査は「最近1年以内」では18.9%だった。ただ、東京都調査は、もともと福祉保健政策に関心があるモニターを対象にしているために、層化2段抽出法の内閣府調査とは手法が異なっており、内閣府調査の方が信頼性は高いと言える。

内閣府調査をもとにすると、死にたいと考えたことがあるのは4人に1人。こうした数字を見た慎吾は「ショックを受けた」と言うのだ。これらの調査結果で自殺を考えた人が「多い」と感じたわけではない。むしろ、「少ない」と感じたようだ。

慎吾は同じような人たちとつながっているが、それはSNS、特にツイッターでのつながりだ。そこで「常に『死にたい』と思っているわけではないが、そういう感覚がある人」とつながっている、という。

「嫌なことがあると死にたいと思うんです。仕事でミスしたりとか、軽い気持ちでも思うことがあります。ただ、ずっと以前から、反響音のように『死にたい』『死にたい』と響いています。僕の周囲にはそういう人が当たり前にいたんです。自殺を考えることは、僕の中では普通のことだったんです。多かれ、少なかれ、考えることはあるだろうと思っていたんですが、思っていた割合と逆だったんです」 

飛び込み自殺を断念した理由とは?

20歳のころ、慎吾は電車への飛び込み自殺をしようと思ったことがある。日にちと時間、そして飛び込む電車を決めていた。本気だったというが、実際にはしなかった。

「決行しようとした当日、普段しないような寝坊をしてしまったんです。そのため、予定時刻の電車には飛び込めませんでした。そうしたら、『どうでもいいや』と思えたんです」

自殺をしようとしたのに寝坊というのは、単純な“ミス"なのか、それとも、防衛本能だったのかはわからないが、寝坊したことで、少なくとも、その時の自殺は止める。とはいえ、「死にたい」気持ちがなくなったわけではない。

「ある日、ドアを開けたら、ソイツがいつ顔を出すかわからない感じです」

慎吾が希死念慮を抱いたのは18歳の頃だが、特に家族関係や友人関係が悪いわけでないという。いじめられたことはあるが、それが原因ではない。

「虐待とかはなかったです。ただ、小学校から高校までは、いじめられる側でした。ただ、なんとかうまく立ち回ったのか、ヘビーにいじめられることはなかったです。もともと気が弱い性格で、人に対して甘いし、つけ込まれやすい。人の言うことを信じてしまうんです」

なにかあっても怒ることも基本的にしない。いや、できない性格のようだ。

「怒れないですね。怒った後に何が起きるか?と考えると嫌になるんです。『いい加減にしろ』と言ったとしても、僕に言われた方も、それを見ていた人がいても、気分が悪いですよね。だったら、今言わなくてもいいと思い、我慢します。となると、『アイツは怒らない』とか、『ここまでならアイツはOKだ』となります。だから、なめられやすい。僕一人でできるならば、我慢します」

難病による厭世観とアトピーの苦しみ

一方、慎吾は神経性腺腫(レックリングハウゼン病)という難病を持っている。茶色の斑点と皮膚にブツブツができる日本では10万人あたり、30、40人くらいの患者発生率の病だ。子どもへの遺伝率(浸透率)は高く、100%と言っていいという。相手方がその病気ではない場合、50%の確率だ。

「18歳まではあまり考えていませんでしたね。ただ、若い時にありがちな、『20歳になったら死ぬ』という考えもありました。思春期なら誰もが読むような太宰治の作品を読んで、カジュアルな自殺を考えたこともあります。それに、この病気では、自分の子どもへの遺伝率は50%。自分一人で完結するものではないので、結婚したとしたら、相手に負担をかけます。なら、しなくていいんじゃないか」

こうした将来への厭世感が慎吾にはある。また、現実の苦しさは、別の病気からもきている。アトピー性皮膚炎だ。

「疎外感とか孤独であるというのは、僕の中では普通のことだった。その意味で、疎外感から自殺を考えたことはない。だから、僕が自殺を考える出発点は神経系の病気だったと思うんです。それにアトピーもある」

「今は大丈夫ですが、アトピーの症状は17歳から急に出てきた。10代のころはひどかった。朝起きるのが嫌だった。起きている間は痒いのは我慢できます。しかし寝ているとコントロールができず、痒いと思った瞬間にかいています。どんな対策をしたとしてもダメ。最終的には体を縛り付けるしかない」

「22、23歳の頃が一番大変だった。今は汗をかいたときは痒いが、薬を塗っているのでまだマシ。ただ、今でも夢を見ます。夢の中で、かきむしって、ボロボロになっている僕がいます」

こうした苦しみの中で飛び込み自殺を考えた。結局はしなかったが、なぜ、飛び込みという手段が頭に浮かんだのだろうか。

「首を吊るにしても、住んでいた家にはハリがなく、現実的ではない。服毒も簡単にできない。入水は苦しみそうだ。飛び降りか、飛び込みか。親しい人じゃないが、以前に関わっていた劇団で一緒だった女性が飛び降り自殺をした。ならば、それは避けたい。だったら、飛び込みかと思ったんです」

自分をコントロールできないことは恐怖

しかし、その“未遂”後は、積極的な自殺への行動を取ってない。

「積極的な行動をしてないというのは逆に怖い。だから、ある日、突然、自殺の行動をとることがあるかもしれない。遺書がない人がいるが、わからないでもない。明確にやり残したことがあるわけではないんですが、今はまだ死にたくないということがどこかにある」

当面は自殺をしないという慎吾だが、死が怖くなったのだろうか。

「自分がコントロールできなくなるのが嫌なんです。だからお酒を飲まない。お酒を飲んで記憶をなくすのは恐怖でしかない。責任を持てないのが嫌。『酔っていて覚えていない』とは言いたくない。なんで、みんな、自分の言動に責任を持てないのでしょうか。イラっとくる。ただ、最近、『意外とみんな責任を持ってないんだ』と思った。コントロールできないという意味では、衝動的に死ぬのも怖い」

コントロールをできない状況は恐怖という慎吾。失敗しないためには欲を出さないという発想を思いついた、という。

「こうした発想は早い段階からかな。幼い段階で思っていたと思う。小学生の頃かな?自分から目立つことをもしてないし、『あれが欲しい』『これが欲しい』とかは言わないようにしていた。全部、自分の中で問題を解決していたんです」

ナルシストのパラメーター配分は自分に向いている

一方で、プライドは高いと指摘されることがある。

「自覚はないんですが、『僕の中に恥という概念が強い』と言われたことがある。しかし、恥ずかしいというよりは、自分に対するプライドが強いのでしょう。誇りを傷つけられると嫌だというものではなく、自分が決めたルールに対するプライドです。単純にルールを曲げるのは嫌なんです」

そうした傾向を慎吾は「プライド」と表現するが、「頑固」と言った方がわかりやすいし、性格傾向をより性格に表現しているのではないかと思える。では、その“プライド”の高さはどこからきているのか。

「親からの教育と、自分の性格じゃないかと思うんですよ。あー、小学生のころ、空手をしていたというのも影響しているのかも。武道は自分を律するものですから」

「親父は、良かれ悪しかれ、こうと決めたことはやる人だった。一方で母親は緩いんです。中高生までは母よりの性格でしたが、高校卒業以降は父親の性格に近くなった。僕も、日常生活で決めたことはきちんとやるほうかな」

自己完結と支配。それができないようなことは恐怖でしかない。たとえば、希死念慮を抱く人の中には、自ら死ねないものの、事故や事件に巻き込まれて死にたい、と考える人もいるが、慎吾はそれらには否定的だ。

「自殺で『死にたい』は理解できるけど、殺人事件で『殺されたい』は理解できない。そこにもコントロールが関係します。相手に殺されたいと願っても、僕がして欲しい殺され方をするとは限らない。コントロールというのは、自我を保つ最後の砦。せめてそこだけは残したい。僕の人生に他人を取り入れたところで意味がない。自分がどう生きるのかしか考えていない。その意味では、自己中心的な性格です。ナルシストではあるけど、どう見られるかという外部に対するものは諦めている。その分。ナルシストのパラメーターは内側に向かっています」

慎吾は壮絶なトラウマ体験があるわけではない。しかし、この取材を受けた一つの理由は、そうした体験がなくても、「死にたい」と思っている人がいるということをわかってほしいからだ。