【書き起こし】「無所属でよかった」山尾氏が不倫疑惑後の心境と出馬を語る - BLOGOS編集部
※この記事は2017年10月04日にBLOGOSで公開されたものです
10月3日、元民進党の山尾志桜里氏が「疑惑報道から離党、今日までの想いと真のリベラルとしての闘い」と題し、Youtubeの自身のチャンネルに動画をアップした。動画の中で山尾氏は、不倫疑惑報道や民進党離党後の心境を吐露すると共に、無所属として出馬を表明した衆議院選への意気込みを語っている。
動画の内容は以下の通り。
みなさんこんにちは、山尾志桜里です。
今日は改めてあの雑誌の一件から、様々な決断をし、そして地元に戻って少し落ち着いた心境で改めて皆さんに、自分の心の内を、率直にお話しをしたいと思います。皆さんと一緒に自分自身でももう一度、心の中を振り返りたいと思っています。
一歩も外に出ることができませんでした
あの報道があってから約2週間、私は一歩も外に出ることができませんでした。早く地元に戻って、皆さんに直接自分の声で説明をしたい。そういう思いは募りました。ただ、やはりあそこまで報道が広がると、火が燃え盛っている中で何か自分が反論をすれば、その火は収まるよりも拡大していくんじゃないか、そうすると実際に家族に起きているいろいろな生活上の問題、嫌がらせもありました。そういうものが収まるのではなくて、やはり広がってしまうのではないか。そういったこともあって少し落ち着くまで2週間、なかなか外に出て自分の言葉で発信をすることが難しい状況が続きました。
その期間の中で、私は二つの大きな決断をしなければなりませんでした。最初の決断が離党です。やましいことがないのに離党はしたくない。最初、私の頭の中に党を離れるという選択はありませんでした。私はいつも、この胸に国会議員のバッジ、そして民進党のバッジ、地元の活動も国会での活動も付け続けてきました。民進党が批判にさらされる時も、私は国会議員である以上、自民党に代わるもう一つの政権を取れる政党を仲間と作っていくんだと言う思いで、政党と一体だというしるしで民進党のバッジを付け続けてきました。
その私にとって党を離れると言う決断は大きな葛藤でした。議員のバッジを外す、外さない、これは個人の判断でできること。でも党のバッジを外す、外さないは相手もあることです。そして、もちろん会見でお話をした通り、私は国会での発言を野党の国会議員の本分だと思ってこだわり抜いてきました。その私が臨時国会を前に、党に残り続けて党の国会での足を引っ張りたくない、そんな存在になりたくない。その思いも真実です。そこで最終的には自分の決断で党を離れる判断をし、その数時間後には会見に臨んでいました。
無所属で挑戦するという決断
その後、私は地元に戻ってもう一回初心に帰り、こつこつと信頼を取り戻していこう。そんな風に思っていました。しかし、そこで突然の解散です。解散となればこの愛知7区ももちろん選挙です。出るのか出ないのか、離党の時の葛藤とは違って、私は出るということにためらいがありませんでした。
一つだけ心残りだったのが、雑誌の件の説明も離党の判断の理由も、そして無所属で挑戦するという決断も、一番大事な地元の皆さんと顔を合わせることなく、声を聞く機会なく、決断をしなければならないというその一点でした。それでもいつの間にか、7区で山尾は出ないのではないか。山尾は出ないよと、そういう風に言われているよ。そんな声が聞こえてきました。政治はおかしなもので、一つの流れが大きくなるとそれを誰も止めることができないことがあります。
だからこそ私は、地域の皆さんに顔を合わせる前にはなってしまいましたけれども、7区での挑戦をはっきりと表明させていただきました。7区で選挙があるのなら、7区で自民党の方が立つのなら、それに立ち向かうのは私の仕事だと一点のためらいもありませんでした。無所属での挑戦で、それは資金面でも、ポスターについても、政党カーでも、事務所の持ち方も、あらゆる面で政党を持っている人とは違う不利な戦いになるということは後から付いてきました。
それでも、この気持ちを揺るがせることはありませんでした。まもなく私は22日の金曜日、ようやく地元に戻ることができました。そこから3日間、瀬戸から大府まで、愛知7区7つの自治体の後援会の集会を一巡りすることができました。一つ一つの集会で、たくさんの方の涙と、そして疑問に触れ、そして一つ一つの集会の全てで、最後は後援会の皆さんに無所属での活動を応援すると言っていただけました。
そしてその後一週間たって、解散翌日の金曜日、久方ぶりに駅に立ちました。この事務所のある尾張旭の三郷駅です。300枚用意したビラが、30分で売り切れました。追加で300枚、ほとんど配り終わることができました。普段はチラシを受け取っていただくことが難しい学生さん、そして多くの女性たちがチラシを受け取り、時には小声で、「信じている」「頑張って」「負けないで」「お帰り」と言ってくれました。しかし一方でそういった100ある応援の言葉の中に、2つ、厳しい言葉もありました。「お前が言うな」と言われました。「図々しい」と言われました。
その言葉も、市民の声だと私は心に刻みました。地元に戻ってそれまでの不安や緊張は一日一日解けていきます。一方で反省の念は深まるばかりです。10年間、7区地域の皆さんが必死に積み上げてくれたこの、大きな大きな土台を、私の不注意で一瞬で大きく傷つけてしまいました。喫茶店でようやく胸を張って皆さんが、「今度も山尾を頼むね」と言ってくださるようになったのに、あの一件でその方々は逆に「山尾はどうした」「何がおきているんだ」と質問される立場になりました。
やましいことは一切ありません
皆さんがどんな思いでこの一件を見つめ、私が戻ってこられるまでの2週間、苦しい思いをされていたかと思うと自分自身の至らなさに反省は改めて深くなるばかりです。やましいことは一切ありません。地域の皆さんに、恥ずかしいようなことは一切ありません。それでも、このご時勢であのタイミングで、あれだけ不注意な結果を招いたことは、自分自身が政治家として未熟だったと心から反省をしています。
しかし、そんな私を支えてくれるのは、もう一度原点に戻ってがんばろうと言ってくれる地域の皆さんです。その中で、私は無所属での挑戦となるでしょう。しかし、私は無所属でよかったと思っています。憲法を踏み絵にする、そんな流れに巻き込まれてはならないと思います。リベラルな価値を語り続ける政治家が日本には絶対に必要だと思います。二大政党制が必要だ。でもそれは二大保守政党ではないはずです。リベラルな価値は保守と対立するものではないはずです。
リベラルとは憲法に書いてある当たり前のこと
リベラルって何ですか。ここ数日たくさんの方に聞かれました。リベラルとは憲法に書いてある当たり前のことです。人は生まれや育ちや性別で差別されることがないこと。どんな子どもたちも学校で学び、豊かな教育を受けることができる。家族責任ではなくて、社会皆で子どもを育てていく環境を作っていくこと。そして、一人一人が大切にされ、友達との会話、家族とのメール、大事な人との大事なひと時を、警察や国家に監視されることがない自由を持つことです。リベラルとは保守とか革新の対立を招くものではありません。全ての政治家が本来持っているべき土台だと私は思います。
そして、今、野党の混乱の中で、その当たり前を、物言えば唇寒しと政治家までが苦しい状況に置かれていることに私は大きな危惧を感じます。私が目指してきたのは共に生きる社会です。困った時に自己責任を行っていたら、その人が困った時に手を差し伸べる人はいなくなります。自分と違う意見の人を排除していたら、いつの間にかその人は一人ぼっちになるでしょう。
私は皆さんと一緒に誰一人排除しない、違う意見の人もいて当たり前だと皆と手をつないで包み込む。共に生きる社会を、これまで通り、ぶれずに、発信する声になっていきたいと思います。今回の来るべき選挙、7区の皆さんのおかげで、私は自分の信念をぶれずに、自由に、訴えて、そして議席をつなぎ、皆さんの声の代弁者となっていきたい。私にこの仕事を続けさせてください。全力で頑張ります。聞いていただいてありがとうございました。