「生きること=働くことではありません」~常見陽平氏インタビュー - BLOGOS編集部

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※この記事は2017年02月17日にBLOGOSで公開されたものです

昨年から「働き方」をめぐる議論に大きな注目が集まっている。インターネット上でも日々激論が繰り返される労働問題というテーマを、どのように考えていくべきだろうか。昨年の「BLOGOS AWARD」銀賞の常見陽平氏に、ブログへの思いとあわせて、話を聞いた。

「働き方」の議論を複雑にする“労使”のすれ違い

―電通で起きた過労死事件の影響などもあり、「働き方」に非常に注目が集まっています。一口に「働き方」といっても非常に漠然としていて、様々な議論が錯綜しているようにも感じられます。

政府が「働き方」を論じ始めたことは非常に画期的だとは思います。建前であったとしても、安倍内閣は、働き方改革を「最大のチャレンジ」だと言っている。それ自体は評価すべきだと思うのですが、論じられる「働き方」の範囲をどう着地させるのかということを懸念しています。

つまり、様々なレベルの議論が一緒くたにされているように見えるのです。長時間労働の是正というテーマは、出産や育児、介護などを含めた「ワークライフバランスの充実」といった文脈の中で語られてきました。しかし、電通の事件が起こってしまった影響もあって、「長時間労働是正」というテーマの中でも、問題点がシフトしたり、課題と解決策にズレのある議論になってしまっています。ともに重要なはずなのですが。

「働き方」に関する議論が複雑になる背景には、経営者と労働者の立場の違いがあります。つまり、経営者には経営者、労働者には労働者の論理があるのです。企業としていかに価値と利益を生み続けていくのか、という論理が重要な一方で、労働者なしのゲームもありえない。また、労働者は生活者、消費者でもある。こうした前提を無視した議論の荒れ方を非常に懸念しています。

もちろんすべてを網羅するのは難しいのですが、僕自身は少しでも冷静に議論できるような視点を提供することを意識しています。

―様々な要素が入り組んでいるので、一つの施策ですべて解決と言うわけには行かないということですね。

実際、電通がいきなり「午後10時に消灯」したところで問題が解決されるわけではありません。いきなり企業風土を変えるのは困難ですし、仕事の絶対量は減っていないからです。

もちろん「増員する」「一部の業務はアウトソーシングする」といったことを改善案として明確にアピールすることは重要ですが、一部のメディアの取材では、「持ち帰って近くのカフェで仕事してます」などという従業員の声も出て来ています。そうなると、「厳しい守秘義務のある広告業界でそんなことが行われているのも逆に問題だな」ということになる。

電通は遺族と、多項目にわたって、変化に向けた取り組みを約束しました。この変化においても、急な変化で副作用が起こったり、まずい事実の隠蔽につながらないように、冷静に見守る必要があると思っています。

また、僕は「ブラック企業」という言葉によって労働問題に光が当たったことは良いことだと思うのですが、「少しでも残業しているとブラック企業」といった風潮があるようにも感じます。そうなるとホワイトであることを装う企業が増えてくるので、そこは明確に区別する必要があるでしょう。そうしないと、多くの企業が”偽善的”な取り組みに走ることになってしまいます。

僕自身にも、そういった部分はあるかもしれませんが、労働問題を論じる際には、非常にロジカルな政策議論と、感情論が入り混じりやすい傾向があるので、そこは注意する必要があると思います。

―「働き方」というのは多くの人にとって非常に身近なテーマなので、それぞれに言いたいこと、語りたい経験があることが、議論を複雑にしているようにも見えます。

ネットに多様な意見が出てくることは良いことですし、少数意見にも光をあてるべきだとは思います。明らかにおかしな発言している人がいたとしても、「なぜそういう発言をする人がでてくるのか」ということに注目する必要がある。

自分で言うのもおかしいかもしれませんが、僕自身は様々な立場を経験してきました。大学で労働社会学、競争戦略、組織論などを学んだ後に、サラリーマンとして営業まわりの仕事をやりました。その後、求人情報誌や人材育成サービスに携わり、人事や人材コンサル、大学の教員も経験しています。

このように様々な立場・角度から労働問題を見てきた中で感じるのは、「そんなに物事簡単じゃないよ」ということなんです。「○○社のこんな制度が優れている」「こんな面白いことをしいてるベンチャーがある」といった話がもてはやされますが、その多くは本質的な問題を解決していなかったりします。

仕事が原因で労働者が死んだり、嫌な思いをする社会は最低だと僕も思います。しかし、一方で「会社って儲からないとダメでしょ」というのも真実です。その微妙なバランスを丁寧に見ていきたいと考えています。

長時間労働が生まれるのは“合理的”だから

―働き方をめぐる議論の中でも、長時間労働の是正は特に重要なテーマとされています。注目を集めています。

生きること=働くことではありません。なので、健康を維持できないような長時間労働には反対ですし、是正すべきだと思います。

こうした前提を踏まえて、「それでもなぜ長時間労働が生まれるのか」ということに注目すべきだと思います。僕の考える答は、「合理的だから」です。好き嫌いはともかく「合理的だから」こそ日本では、長時間労働が多くなっているのではないでしょうか。仕事の絶対量が多い中、人員を増やさずに、繁閑に対応しつつやりくりするためにも残業は合理的なのです。

仕事に人をつける社会と、人に仕事をつける社会、好況期に人を増やし、不況期に人を切る社会と、好況期には残業と賞与額の増額で、不況期には残業を抑制し賞与を減らす社会の違いとも言えます。

そもそも論なのですが、「日本人は勤勉だから」「真面目だから」といった性質的な部分を切り離して、日本企業の仕事の任せ方、取引の仕方に立ち戻る必要があります。

政府が出した過労死に関する白書を見てみると、企業側も労働者側も長時間労働の原因を、ネット上で揶揄されるような生産性の低さだと考えていないんです。仕事の絶対量や突発的事態への対応を原因として挙げている人の方が多い。つまり、日本企業の構造的な問題から生まれているのが長時間労働なんです。

そうした点を意識せずに、「日本企業はダラダラ会議して~」といったレッテル張りをしても無意味だと思います。実際、今回の調査結果で、長時間労働の原因として「ダラダラした会議」を挙げた人は10%以下でした。このように一つ一つの事象を丁寧に見ていくべきだと思います。

2004年から続くブログは“自分のため”だけに書いている

―常見さんがブログを始めたきっかけを教えてください

ブログを書き始めて今年が13年目、ネット上で日記を書き始めて17年目になります。始めて自分のサイトを作ったのが1995年で、まさにインターネット元年ともいえる年でした。それから22年です。Web編集者として著名な中川淳一郎と知り合ってから23年になります。

当時の中川はネットオタクというよりも、普通のネットユーザーでした。NBAの結果をチェックしたり、使いこなしていましたけどね。ネットに関しては、個人的にはゼミの先輩に田口元(※編集部注「百式」「IDEA*IDEA」「ドットインストール」などサイトの運営者として知られる)がいたことの影響が大きかったと思います。彼は”ブロガーの走り”のような存在なので、ゼミの集まりで1年に1回会う程度でしたが、非常に刺激になりました。

一応、リクルート出身なので、社内でネット関連の仕事をしている人がいたり、その分野に転職していった人がいたり。私自身も、「とらばーゆ」のネット版や「じゃらんnet」を担当していましたしね。

僕のブログはBLOGOSやアゴラ、最近では産経デジタルから依頼されて、iRONNAに転載されることもあります。いつもの調子で、ゆるいことを書いていたら、iRONNAに掲載されて、そこから「産経本誌に転載だ」といった話もいただくようになって、自分でも「面白いことが起こるもんだな」と思いながらやっています。

ただ、BLOGOSに配信されているのは、あくまで僕の「個人ブログ」です。ですので、時に「ゆるすぎる」といった批判を受けるのですが、最初にスタンスとして明らかにしておきたいのは、「あのブログは自分のために書いている」ということです。

自分は、メディアにも出演していますし、著書もあるので、「公人」という立場になるのかもしれません。なので、不謹慎なのかもしれませんが、本当に自分のために書いている。いくら叩かれようが、「ミスリードだ」「自分の影響力を考えろ」と言われようが、「あれは個人ブログであり最高の趣味なんだ」ということを強調しておきたいですね。思ったことをエッセイとして書き留めて置いている。お金とか、利害関係もなく、自由に書く喜びを大事にしています。

―書くことに対して非常に思い入れがあるんですね。

それこそ小学校の時に新聞係として「3組ベストニュース」みたいなものを書いたことが原体験になっていますね。あるいは、中学時代につけていた日記や、高校時代の学級日誌みたいなものにも思い入れがあります。実際、facebookでつながっている当時の担任から「常見、まだあれ保管してあるからな」と言ってもらったりもしていますしね。すっかり忘れていましたけど、私、日直の日に学級日誌に熱いオピニオンを書きなぐっていたんですって。

20代に入ってからは、大学2年の時にプロレス研究会で「プロ研スポーツ」という媒体を立ち上げたことが大きかったと思います。この媒体は、田中康夫がやっていた「一橋マーキュリー」を抜いて”一橋大学で一番読まれているメディア”になりました。

お下品ではありましたが、「プロレスという枠を超えて大学を盛り上げるネタを書こうぜ」というテンションで、アルバイトのお金をつぎ込んで、最初のうちは教室で配っていました。そうしたら、自然とファンが付いて、400部ぐらい印刷して設置するとあっという間になくなってしまう媒体になったんです。

プロレスネタ、シモネタだけではなく、大学の移転問題や、一部の学生をなめた先生を糾弾するなどの特集も掲載していました。ゼミの満足度調査の特別号は「ストーリーとしての競争戦略」で大ブレイクした楠木健先生や元学長で政府政調会長になった石弘光先生、経営学者として知られる一條和生先生など人気教授のインタビューを掲載したんです。250円で売ったのですが、1200部が完売しました。その時には、今東洋経済オンラインなどの媒体で活躍している治部れんげさんにも手伝ってもらいましたね。

―更新頻度が落ちて行くブロガーも多いですが、執筆を継続されているモチベーションは何なのでしょうか?

やはり書くことが楽しいんですよね。自分の成長の記録のような部分もあります。ですから、僕のブログの文章は雑だし論理的でもない。大学教員が何やっているんだとか、無責任だとかよく言われます。ただ、そこは誰にも干渉されたくない世界なんです。
書いているうちに自分の思いが整理されますし、その時に起こったことを、自分と時代の描写みたいなイメージで書いているんです。

ただ、僕のブログがある意味で貴重だと言えるのは、自分が普通のサラリーマンで平社員だった2004年からずっとログが残っていることです。著者デビューすると今までのブログを非公開にしたりする方もいると思うのですが、ブログを始めて3年後の2007年に著者デビューしてから「著者デビュー10周年」になる今年になってもまだ続いている。それこそ友人が亡くなった日のことまで、ログが残っています。

だから、そういうエントリを読むと「成長はしてるな」「活動の範囲も広がっているな」と感じもするのですが、一方で「ブログを書いてる新鮮さ」は忘れちゃいけないなと思っています。

―現在では、「プロブロガー」という言葉があるぐらいですし、常見さんのようにフラットな気持ちでブログを書かれている方は珍しいかもしれません。

僕は、その立場を大事にしたいと思っています。自分の著書の宣伝ぐらいは書きますが、必要以上に利益誘導型のブログにはしたくないんです。本音で、自由に書ける空間を確保しておきたいので、ブログはやめないでしょうね。

実際、東洋経済オンラインのような別媒体で書く場合は、ギャラ以上の価値を提供すること、プロの文章、”読まれること”を前提で書きます。ただ、そういう時にも、深夜ラジオの「オールナイトニッポン」で夜な夜な語られるようなゆるい内容、雑誌の隅っこに載るようなニッチなことにスポットをあてたいといったこだわりを持ってやっています。

―最後に、今後のブログの執筆の方針について教えてください。

このまま、変わらず続けます。まあ、今年は新企画として小説の連載をしたいな、と。21世紀のプロレタリア文学を書いていきたいですね。先程も言いましたが、労働問題は「そんな簡単じゃねぇぞ」ということを訴えるために、職場や若者たちの間で起こっていることや、社会の分断を描いていきたいと考えています。
今年は、小説でしか書けないことにチャレンジしていきたいですね。

また、いまさらかもしれませんが、書評をたくさん執筆していきたいと思います。あと、これは個人的な野望ですが、今年はラジオパーソナリティーに挑戦したいので、どこからかオファーが来るといいなと思っています。

夢みたいなことを言うならば、一橋大学の先輩、石原慎太郎との対談ですね。老害魂を注入してもらおうと思います(笑)。