※この記事は2017年01月31日にBLOGOSで公開されたものです

痴漢の嫌疑は晴れるも警察は告知せず

2009年12月、大学職員の原田信助さん(当時25)が東西線早稲田駅で電車にはねられ、亡くなった。自殺したとみられている。要因になったとみられているのは、この前夜に行われていた新宿署での捜査だった。遺族である母親の尚美さんは捜査に違法性があったとして東京都を相手に損害賠償を求めている。現在は控訴審の審理中だ。一審の東京地裁では原告側は敗訴した。東京高裁での控訴審(大段亨裁判長)では改めて、尚美さんは捜査の違法性を主張している。

一審判決によると、09年12月10日午後11時前後、JR新宿駅構内の階段付近を歩行中、信助さんは、対抗してきた女性に「お腹を触った」と告げられ、同行していた友人らともみあいになった。信助さんは110番通報したが、その最中に新宿駅の駅員が臨場した、ことになっている。

その後、信助さんと、痴漢を訴えた女性らは新宿署に連行された。信助さんは喧嘩、つまり相互暴行事件の当事者として、新宿署に連行されていると思い込んでいた。しかし、取り調べ中、痴漢(東京都迷惑防止条例違反)の容疑がかかっていると知らされる。

信助さんらは一旦、新宿駅西口交番に行くことになるが、この段階から、信助さんは所持していたICレコーダーで録音することになる。その内容は、この訴訟を支援する会のホームページ内の「ICレコーダーの録音内容」に記載されている。

任意同行の際、痴漢容疑について警察官は信助さんに告知してない。東京地裁では「暴行と痴漢事件が関連しているため、信助さんに対して痴漢事件被疑者として取り調べる旨を明示せず、暴行事件の被害者として任意同行に応じるように説得したとしても社会通念上相当」とし、違法性を認めなかった。

110番通報の際に警視庁の通信司令センターが記録する「110番通報メモ」では【処理てん末状況】として、痴漢の犯人と信助さんの「服装が別であることが判明」として、以下のように書かれている。

結論:痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実が無く相互暴行として後日地域課呼び出しとした。

状況:当事者甲が痴漢をしたとして、当事者乙が丙、丁に依頼し甲を取り押さえたが、本署生安課で事情聴取した結果、乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であることが判明。聴取の結果甲、丙、丁がもみ合いになった際、お互いに暴行の事実があることから、相互暴行として後日地域課呼び出しとした。
 この時、後日呼び出しの確約として、以下の内容で署名している。
 <本日、私は暴行を受けたことで新宿警察署で話をしましたが、この事で警察署から呼び出しがあれば、随時お伺いします。>
しかし、信助さんを釈放するとき、被害者が目撃した人物と服装が違っていたことなどを告知していない。そのため、信助さんは痴漢の疑いをかけられていると認識しながら、新宿署を後にする。そして、母校の最寄駅・東西線早稲田駅で降り、ホームから落ちて亡くなったのだ。

原告側は、嫌疑が晴れた旨を告知すべきだとしていたが、東京地裁は判決で、公訴権は検察官があり、警察官が嫌疑が晴れたことの告知義務はないとして、この点も違法性がないとした。

証言と整合性がとれないメモの内容

 原告側は控訴審で改めて捜査の違法性を主張している。その一つが、すでに明らかになっている「メモ」だ。この「メモ」の、いくつかの点について、被告の東京都側に釈明を求めている。 この110番通報の「通知電話番号」は「090******」(「メモ」では番号が記載されている)とあり、信助さんの携帯電話から発信されたことになっている。そして、写真のように記録されている。

※110番情報メモの写真(メモの左上には「平成22年12月10日まで保存」とあるが、その下にも同じ日付が記載されている。これは「作成日」ではないかと思われるが、そうだとすれば、後から作成した疑いも残る)

このメモを素直に読めば、通信指令センターからの情報によって、新宿西口交番の警察官が駆け付けたことになる。そして、「けんか・口論」の件を処理したことになる。警察から提出された音声によると、「お腹を触った」と言った女性と一緒にいた男性との相互暴行があったが、通信指令室ではその内容が聞き取れない。

信助さん:駅員に囲まれている状況なんですが。
通信指令室:いまどこにいるんですか?JRですか?

という通報で始まり、6分近くやりとりをしている。〈駅員に囲まれている〉のは、相互暴行が起き、駅員が信助さんを取り押さえようとしている様子を指していると思われる。しかし、通信指令室は、信助さんが通報している場所を特定してない。電話が切れた後に次のような会話がなされている。

上司と思われる男性:どのあたりかな?
通信指令室:何も言わないんですよ。JR新宿駅か京王線か聞いているんですけど。
 一審での証人尋問を振り返っても、「メモ」と合わないことがわかる。昨年3月9日の、新宿西口交番(当時)の警察官の証人尋問でのやりとりはこうだった。まず、警察官Hの証言だ。
被告代理人:当日の駅構内での喧嘩があるとどうやって知ったか?

H:駅員からの訴えです。直接、西口交番へやって来て、「喧嘩です。すぐに来てください」と言った。そのため、Sと一緒に現場へ向かった。

代理人:現場に到着すると?

H:原田さんは駅員二人に向かい合っていた。携帯電話を持って「駅員に囲まれている」と言っていた。囲まれているのではない。向かい合っていた。女性たちは近くに立っていた。

Hの証言によると、信助さんの110番通報ではなく、駅員が直接、西口交番にやってきている。このとき、一緒に現場に向かったS警察官もこう証言している。

被告代理人:喧嘩をどう知ったのか?

S:駅員が交番にきた。

代理人:駅員はなんと?

S:「すぐそこで喧嘩をしている。一緒にきてほしい」。

代理人:それで?

S:私とHと2人で駅員についていった。

つまり、HとSの2人の警察官は西口交番にやってきた駅員の訴えによって、「けんか・口論」を知ったのだ。信助さんの通報によって警察官が現着しているかのような「メモ」の記録とは整合性がない。「メモ」通りであれば、「けんか・口論」の現場に警察官が向かったのは信助さんの通報によるもの。信助さんの通報を受けたものではないとすれば、メモは虚偽の事実を記載している疑いが出てくる。

弁護団は「メモを読んでいると矛盾だらけ。メモの中が工作されているのではないか。しかも、110番通報は5分以上していることになっている。メモではよく整理されているが、信助さんの110通報では現場を特定していない。そのため、指令が出ているはずがない。信助さんが訴えた内容は、警察官に伝わっていないのではないか」としている。

この点について、新たに、当時のJR新宿駅助役の一人を証人申請をした。当時の駅の対応について証言をしてもらうのが狙いだったが、申請は認められなかった。

ちなみに、新宿署は、信助さんの死後、痴漢を訴えた女性らと裏付け捜査として、現場検証を行い、都迷惑防止条例違反で書類送検している。一旦は、被害を訴えた女性が、服装が違うために信助さんではないとして、以下のような上申書を提出していた。

 <私は御茶ノ水駅で飲食した後、中央線各駅停車新宿駅のホームの階段を降りるとちゅうに、スーツを着た男性に腹部をまさぐられ、その男性をつかまえました。その後友人男性と駅員とつかみ合いになりました。私はこの件において、男性にあやまっていただきたいです。被害届を出すつもりはありません> 
しかし、一転して、10年1月、被害届を提出した。供述調書にはこう書かれている。
 <階段を降りて行く途中、逆方向から階段を上って来た男女数名がいました。私の記憶では、この中に、濃いグレー色のスーツ姿の男性が目に入ったのです。この濃いグレー色のスーツ姿の男性が私と擦れ違い様に、右手を伸ばし、私のお腹あたりをワサ・ワサという感じで軽く撫でて来たのです>

実際、何があったのかを証言してもらうために、痴漢を訴えた女性と、一緒にいた男性二人の証人を申請したが、裁判所は却下した。

1月31日口頭弁論では、110番通報メモが書き換えられた可能性について、裁判長が「修正が可能なのか?」と尋ねたが、東京都の代理人は「できない」と答えた。この裁判では、信助さんが記録していたICレコーダーや携帯電話から判断できる時刻と、東京都側が提出している証拠の時刻が合わないことが多い。ただ、誰が何をしたのかという点は裁判で明らかになってきている。

信助さんが亡くなってから6年が過ぎた。月命日にはお墓詣りを欠かさない尚美さんは「こうした裁判では勝訴することが少ないが、息子の事件がどういうものかを多くの方に知っていただき、裁判をしたおかげでわかったこともあった。裁判の意味はあったと思う」と話していた。