漫画家志望青年の自殺はバイト先のパワハラが原因か? - 渋井哲也
※この記事は2017年01月23日にBLOGOSで公開されたものです
2012年12月24日。松原篤也さん(当時19歳)の遺体が東京湾・日の出桟橋(港区)付近で見つかった。入水自殺したと見られている。アルバイト先「ケイ・アンド・パートナーズ」(本社、東京都新宿区)での過度な叱責、つまりパワーハラスメントがあったためではないか。そう思った両親は14年11月、同社を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こした。17年1月20日、東京地裁(鈴木正紀裁判長)で結審した。判決は3月17日。
●直前まで勉強の計画を作っていた
原告側の最終準備書面によると、篤也さんは漫画家になるための勉強をするために宮崎県から上京した。生活のために、同社でポスティングの仕事を始めたが、4日目の12月14日、チェック部門の従業員Yに、仕事の不正を指摘され、叱責をされた。その直後に篤也さんは自殺した。
篤也さんは絵の勉強についての計画表を作り、進捗を書き込んでいた。また、翌13年3月までは生活のために仕事を優先する決意も書かれていた。自殺の9日前には炊飯ジャーを買い、冷蔵庫も12月半ばに配達してもらうため、手付を支払っていた。自殺の8日前にはタオルホルダー、トイレマット、便座蓋カバー、便座U型カバー、掃除セットなどを揃えていた。前日は、画材専門店「世界堂」で筆記具を買っている。つまり、これらの生活を準備していたことを考慮すると、特に自殺の理由が見つからない。
●直前の出来事は過度な叱責。遺書には「もう疲れた」
警察によると、14日から15日の間に入水し、24日に遺体となって発見された。松原さんはケータイにメモ機能を使って遺書を残している。
「皆さんご迷惑をおかけしました。自分には何事にも根性が足りなかったようです。もう疲れました・・・許してください、許してください」
自殺直前の出来事で明らかになっているのは、12月14日、監督する立場の従業員Yから、不正を理由に叱責を受けたことだ。同社では、過度な叱責にならないようなルールやマニュアルの作成しておらず、担当者の場当たり的な対応に任せきりになっていた。そのため、暴言や脅迫的な発言などが取られ、松原さんは正常な判断力を失い、自殺したとしている。原告側はこれが安全配慮義務違反になると主張する。
●被告はパワハラを一切否定
被告側は、篤也さんに対して、死を決意するようなパワハラをした事実は一切ないと反論する。
最終準備書面よると、チェック部門の従業員Yが12月14日に配布状況をチェックしたところ、配布予定の2750枚のうち、500枚しか配布されていなかった。Yは篤也さんを呼び出した。結果、不正を認めたという。「本当に謝罪する気があれば、明日一緒に行ってあげるから、会社の方に10時にきてください」と言うと、篤也さんは「必ず行きます」と答えたという。
この呼び出しの際、Yの証言によると、篤也さんとの距離は3メートル。そして、会話の大きさは特に大きな声ではなく、普通の大きさであったこと、特に時間を取ってない(20分)というものだった。これに対して、原告側は、その証言が不自然であり、信用性を問題にしている。証言通りの会話内容であれば20分もかからないし、叱責するのに3メートルという距離は、「何かの真実を隠蔽するために、かたくなに創設したストーリーを死守している」とした。
従業員Yの証言の信用性は争点の一つだ。被告側は、被告代理人からの事情聴取と法廷での証言がほぼ一致していること、陳述書とも矛盾しないことを理由に信用できるとした。その上で、従業員Yが、篤也さんに対して、丁寧語を使い、怒鳴りつけることなく普通に話していたこと、暴力を振るわなかったこと、ことさら不正を責め立てることをしてない、と主張している。
●同じ会社でアルバイトをしていたMさんの証言
原告側は、同社で働いていたMさんの陳述書を提出した。Mさんの証言によると、不正を見つけると監督者は暴言を浴びせる。翌日、頭を丸めて本社に謝罪に行くと、そこで暴行を受け、法外な金銭を要求された。そして「お前が逃げようが、首をつって死のうが、親に請求する」と脅されたという。
ちなみに、父親の宏さん(53)によれば、篤也さんの墓前でMさんは「もしかしたら(自殺した篤也さんは)僕だったかもしれない」と言っていたという。
一方、被告側は、同社で働いていたMさんの証言は、匿名で名前を明らかにしていないことを指摘している。人物を特定しておらず、存在を疑問視している。Mさんの証言内容が真実であるかを調査したこともないとして、信用性を否定している。このMさんの証言も争点の一つと言えるだろう。
●母親の陳述 不安と応援の気持ちで送り出した
この日、鈴木裁判長は、原告であり、篤也さんの母親・幸美さん(50)の陳述を認めた。まず篤也さんの性格や人となりを話した。高校時代には、アルバイトがきつくても我慢してきたという。
「高校の頃、自分が選んだ高校が納得いかず、宮崎から福岡に出て、一人暮らしをし、マクドナルドで早朝にアルバイトをしながら、高校を卒業しました。自分のことをコントロールしながら、辛抱強く生活しつづけたことに、我が子ながら偉いなと思っていました」
また、宮崎県から上京する夜行バスの中から、篤也さんと両親のやりとりを振り返った。母親として、息子を東京に送り出すことへの心情を述べた。この証言を聞く限りでは、家族関係の中に自殺の理由は見当たらない。
「東京で漫画家になる勉強をしたいと言ったときも、強い信念を持っているのだろうなということと、また同じように辛くても頑張って暮らしていけるのではないかと、不安と応援の気持ちで送り出しました。上京する夜行バスの中で、篤也は何度もメールを送ってくれました。親へのいたわりか、心細さの表れかと案じながらも、篤也が東京に着くまで、私たちも一緒に緊張しながら大都会に近づくような気持ちで、ケータイを握りしめた夫と一緒に朝を迎えたことを思い出します。住む場所を見つけた、仕事を見つけたと、その都度メールが届き、いよいよ篤也の夢のスタートラインについたんだと、がんばれ、と応援する気持ちでいっぱいでした」
●篤也さんが遺体で発見後、バイト先へ「チラシは見つかりましたか?」
篤也さんと連絡が取れなくなったのが12月14日。それ以後のことについてはこう話した。
「何日も連絡が取れなくなり、まさかと思いながらも不安になりました。警察にも行きましたが、手がかりがありませんでした。いったん夫は宮崎に戻り、私は篤也のアパートに残りました。帰ってきたらすぐにご飯を食べられるようにと、食事の支度もできるように準備していました。ところが、連絡があったのは湾岸警察署から。東京湾で篤也らしい遺体があがったという電話でした。忘れもしないクリスマスイブでした」
篤也さんの帰宅を待ちわびていた幸美さんは、現実を突きつけられた。その後、何があったのか知りたいと思い、事情を聞こうとアルバイト先に向かった。幸美さんの証言通りであれば、同社は人の命よりもチラシを心配していたことになる。
「“あの子に何があったんですか”と聞くと、“チラシはありましたか”との答えです。“息子が死んだんですよ。あの子に何をしたんですか”と必死に食い下がりましたが、“不正をしたから指導をしてその翌日会社に来なかった”ということを教えられただけでした。そして“そんなに大切な子ならなんで東京なんかに出したんですか”と軽くあしらわれました」
●真実を知りたい
何があったのかを、真実を知りたいと考えていると、偶然、Mさんと出会う。
「M君は、仕事をさぼったら、親に法外な金を請求すると脅されて、翌日、社長に謝りに行くと、そこで暴力を振るわれ、親にお金が請求されることのないように、ここで一生奴隷のように働くしかない、もう夢も叶えられないと、絶望的な気落ちでいた、ということでした。私たちはこの話を聞いて、篤也はチェック係に叱責され、痛めつけられたに違いないと思いました。そうでなければ、その直後に自殺する理由がない」
同じバイト先で働いていたMさんの証言で、同社は、サボったことに対し、過度な叱責をするパワハラ体質があるのではないかと感じている。
「裁判を起こしてから一年以上が経ちました。真実を知りたい。その一心で毎回裁判に足を運んでいます。どうか私たちに真実を教えてください」
閉廷後、陳述をした幸美さんは、
「これまで声をあげられずにいた人もいると思います。お悔やみもないし、篤也がいなくなったときには連絡もないし、探しもしていない。今のままではいけない。会社には反省していただきたい」
と取材に答えた。