「子供授かる貴重な時間、無駄にしないで」ダイアモンド☆ユカイさんが語る男性不妊 - 土屋礼央

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※この記事は2017年01月03日にBLOGOSで公開されたものです

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土屋:「土屋礼央のじっくり聞くと」、今日はダイアモンド☆ユカイさんをお迎えして、男性の不妊治療についてうかがいます。

2011年に発行した著書「タネナシ。」で、無精子症であることを発表したわけですが、実は僕、男性の不妊治療についてはユカイさんの話を聞くまで知らなかったんです。

今回は、お話を聞いて「自分も検査を受けてみようかな」と考える人が増えてくれればいいと思ってます。

まず、男性不妊とはどういうものなんですか。

■100人に1人が「無精子症」

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ユカイ:精液の中に精子が含まれていない「無精子症」というものがほとんど。それ以外にも精子があまり動いてない「精子無力症」とかいくつかあるんだけど、大半は無精子症だね。

さらにその中に「閉塞性無精子症」と「非閉塞性無精子症」というのがあって。普通は精巣で作られた精子が精管を通って出るんだけど、その精管が詰まった状態が「閉塞性無精子症」。これって、精液は出るし痛くも痒くもないし、自分ではまったくわからない。ところが精液を検査すると、精子がゼロっていうもの。100人に1人の割合でいる。

「非閉塞性無精子症」というのはちょっとやっかいで、精巣の中で精子が作られていない。精子の成分みたいなものは存在するんだけど精子は存在しない。「非閉塞性無精子症」の人の確率はもっと低いんだけどね。

土屋:これは、生まれつきなんですか?

ユカイ:それがね、わからないんだよね。俺の場合は…これは推測なんだけど、鼠径ヘルニア(脱腸)を子供の頃に2度経験してて。調べると、無精子症の原因のひとつに「鼠径ヘルニアだった人」「手術したことがある人」っていうのがあるの。

当時の鼠径ヘルニアって、必ず手術してたんだよね。腸と精管をつないでねじって、それで詰まった可能性がある。精管は2本あるんだけど、俺は2回手術してるから、それで無精子症になった可能性があるんじゃないかと。こればかりは、本当の原因はわからないんだけど。

■男性の不妊手術はそんなに大変じゃない

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土屋:100人に1人の「閉塞性無精子症」だと診断されて、最初はどう思いました?

ユカイ:俺はロックンローラーだから、そういう「オトコ」をウリにしてきたし、ブリブリのバリバリで生きてきたわけだよね、女性もブイブイ言わせてさ。

で、避妊はしてたけど、「ちょっと失敗したな」って時もあったわけ。それでも子供ができない。「できちゃった」って言われたことも何度かあって、その時は検査も何もしてないから焦ったよ。でも相手の話を聞いていると、どうもつじつまが合わないわけ(笑)。

そんな俺が無精子症だと知った時は、「全て終わった」ってくらいの落ち込みだった。「俺は男じゃなかった」ってね。だって子供を授かる能力がないってことだから。

それでぶち当たったのが、男性不妊治療。その時に俺は「男として」ってことを突きつけられた。

土屋:ユカイさんが治療していた頃、治療費はいくらくらいかかったんですか。

ユカイ:今は助成金が出るようになったんだけど、俺の場合は何十万かかかったと思う。全部合わせると100万円くらいかな。

土屋:具体的にはどういう治療をするんですか。

ユカイ:まず、男性不妊の手術をしなくちゃいけない。手術の方法も2通りあって、精管を元に戻すのと、精巣を切ってその中から精子を取り出す方法。精巣を切ったほうが簡単なんだけど、その手術というのが男子にとってはちょっと恐怖だよね。俺は恐怖感の塊だった。

土屋:(恐る恐る)全身麻酔ですか。
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ユカイ:部分麻酔。そのくらい簡単だってことなんだよ。俺も「全身麻酔してくれ」って言ったんだけど(笑)。

土屋:そこからどんな手術が?

ユカイ:俺の場合、最初はTESEと言う手術をして、その後にMESAって手術をした。MESAっていうのは特製のスポイトみたいなもので精子を吸うんだよね。術後の回復も早いから、そんなに怖がらなくても大丈夫。

この手術で精子を取り出してから、本当の不妊治療が始まる。体外受精ってことだよね。精子を普通に子宮に入れる方法(人工授精)もあるけど、卵子を取り出して外で受精させたものを子宮に戻すほう(体外受精)が確率が高い。体外受精の中でも「顕微授精」っていうのがあって。これは一番元気のいい精子と元気のいい卵子を顕微鏡で見ながら体外受精させて受精卵として子宮に戻す方法。

土屋:その「顕微授精」で、成功率は何割くらいなんですか?

ユカイ:一応、20%って言われてるね。

土屋:女性側の体の負担も大きいですよね。

ユカイ:そう。男性の場合は、人にもよるんだけど1回の手術で何回分かの精子が採れてるから、それを保存しておけばいい。でも女性の不妊治療を見てると、もっと壮絶なんだよね。男の比じゃないくらい辛いんだよ。卵子をとったり、ホルモン注射を打ったり。で、うちは2回うまくいかなかった。

土屋:奥さんのメンタルにも、相当ダメージがあったのでは?

ユカイ:顕微授精で受精卵を作って子宮に戻すじゃない? そうすると不思議なもんでさ、もうお腹にいるんだよ。俺は女性じゃないからわからないけど、「お腹の中で育ってる」って気持ちが大きいみたいで。

だから「結局、着床しませんでした」って医師に言われた時のショックは、男性の比じゃないよね。体も傷ついてるし、お金もかけてるんだからね。だから、流産するのと同じような感覚じゃないかなと、俺はそこまで言えないけど…思う。

土屋:それが2度も続くと…。

ユカイ:不妊治療をやってる人はわかると思うけど、2度目が終わった時は「このままこれが続くのか」って思った。人生が不妊治療みたいになっちゃう。

一緒にいるパートナーとして、ずっとそこに関わっていくさけだからさ。やっぱり、苦労している女性の姿を見てると放っておけないし、ホルモン注射を打つと、人によっては更年期障害みたいになったりするからね。

■夫婦の葛藤を伝えたかった

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土屋:「子供がどうしても欲しい、でもできない」という人も多いですよね。そんな中、僕はラジオなんかで「子供がいて楽しい」ってことを、どうしゃべったらいいか迷うんです。

ユカイ:それは、それぞれの立場があるだろうしね。実は「タネナシ。」を出す時も、ためらっていたのはそこなんだよね。

うちは2回目に失敗した時に諦めたんだよ、「子供を授かるのは無理だな」と。夫婦間もお互いギクシャクしてたし。

俺も妻も2度目の結婚なんだけど、お互い次に結婚する時は「ファミリーを持ちたい」と強く思ってていたんだ。妻の検査に同行した時、突然俺も医師から検査を勧められて、初めて自分が無精子症だって知った。そして妻は健康体だったけど、それでも辛い治療にトライしてくれた。壮絶だったことは確かだよ。

だから2度の失敗で子供を授かるのは諦めて、二人で生きていこうと決めた時期があった。でも最後に妻が「もう一度挑戦したい」って。それで授かる事ができたんだよね。

授かった時は本当に嬉しくて。俺は男性不妊というのを知らなかったんだけど、もしかしたら他にも知らない人がたくさんいるんじゃないかと思った。だから、こういう仕事をしてるし、このことを何かで伝えられるんじゃないかと思ったわけ。

でも、よく考えたら自分は授かることが出来たけど、授かることが難しかった人の気持ちを考えると自分の思いだけで体験談を書いていいものか悩んだ。実際俺の知り合いでもそういう人がいて、ちょっと年上なんだけど、いろいろ挑戦したんだけど授かることができなかった。俺が嬉しそうに子供を連れてったら、「実はこういうことがあって…」って辛そうな顔で言われた時、授かったってことを喜ぶだけじゃいけないな、って。

授かった人も授からなかった人も、俺の体験を通して何かを感じて欲しいし、無精子症を知らなかった人に知ってもらいたい。だから、本当のテーマは「夫婦の葛藤の物語」なんだよね。授かろうが授かるまいが、夫婦が共に生きていくという話。それを伝えたかった。

土屋:もしそこで断念していても、きっと違う幸せを見つけてますよね。

ユカイ:そうね、だから結果的に授かって出した本にはなったけど、授からなかった時にも出していたかもしれない。

土屋:本を出そうと決めたのは?

ユカイ:出すのをためらってた時に、東日本大震災が起きて。ニュースでその日、がれきの中から産声をあげた子供を見て命の尊さを感じて、やっぱり出そうと決めた。賛否両論あるだろうと思って出したものの、蓋を開けてみると「本を読んで初めて男性不妊について知りました」って人もたくさんいて、出してよかったなと思った。

土屋:僕は妊娠・出産に関して、恥ずかしながら妻に委ねているところがありました。もっとパートナーのことを考えてあげられれば良かった。

ユカイ:俺は男性不妊を経験してちょっと痛い思いをしたんで、少しは相手のことをわかってあげようって気持ちになったけど、普通はなかなかわからない。

逆に俺が男性不妊で落ち込んでいる時、俺は「もう別れよう」って言ったんだよ。だって妻は健康体なのに、俺は男として欠落してるんだから。「だったら俺と別れて別の人と…」って言ったら、妻は「ユカイさんは子供みたいな人だから、ユカイさんを子供だと思ってこれからもやっていきましょう」って。

土屋:(笑)。

ユカイ:そう言ってくれたんだけど、実際自分がその立場になるとさ「お前に何がわかるんだ」ってなっちゃうんだよ、人間って。

でも、本当にはわかってあげられないけど、寄り添うことはできる。寄り添う気持ちが大切だよね。それは、これから先も夫婦で生きて行く中で大切なこと。男女の違いもあるし、立場も違うから、本当にわかってあげることはできないけど、寄り添う気持ちがないと離れていっちゃう。

■結婚前の男性は全員検査を受けるべき


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土屋:無精子症の検査というのは、結婚前に男性はみんなやったほうがいいと思いますか。

ユカイ:やったほうがいいと思うよ。それはなぜかというと、今は男女共働きの時代じゃない? 女性が仕事で活躍する場が増えて、それによって共働きや核家族が当たり前になってきた。でも女性が大学を卒業して働き出すのが22、23歳。そこから仕事が一段落して一人前になると30歳。それが当たり前のことになって、女性が安心して子供を授かることのできる期間が狭くなってる。

そうすると、例えば33歳で結婚して、パートナーが無精子症だった場合。35歳になって「おかしいな」って「でも、私たち忙しいし」って気づけば37歳。2年くらいすぐに経っちゃうからね。それで40歳になって不妊治療をはじめて、そこでパートナーが無精子症だとわかったら? 

土屋:最初からわかっていれば、違いますね。

ユカイ:そう、もっと別のスケジュールが組めたはず。だから、知っているほうがいい。

土屋:男として、自分が無精子症だとわかったら結婚できないかも、という怖さはありませんか。

ユカイ:それは相手次第だよね。普通には授かることができないから。でも今は、昔より授かる可能性があるから。結果はともかく、愛があれば取り組んでみることはできると思う。

土屋:奥さん側から「調べてみたら」って言い出しにくいですよね。

ユカイ:そうなんだよ、旦那のほうが「俺はいいよ」って結局病院に行かないことがまだ多いみたい。

土屋:男性側が自分で率先して検査に行くくらいじゃないと。

ユカイ:お金もそんなにかからないし、検査自体は痛くも痒くもないし。精子をとって調べるだけだからね。

検査をするのが恥ずかしいと思ってる人は、それとこれは別に考えたほうがいいと思うね。それで本当に子供が欲しい人が無駄な5年を過ごすか、最初から真剣に立ち向かっていくかは大きな違いだと思う。

子供を授かるのって、昔は「できちゃった」とか「普通に生活してたらできる」と思ってたけど、今は仕事のストレスもあるし、それこそ無精子症なんかもある。夫婦がお互いに「子供を作ろう」という意思がないとあっという間に5年くらい経ってしまう。この5年を無駄にしてほしくない。

土屋:検査って、一人で行くものですか。

ユカイ:一緒に行ったほうがいいね。今の若い人たちは一緒に行ってるよ。不妊治療に関しては、ものすごい数の人が取り組んでて、日本が一番多いって言われてる。でもみんな、内緒でやってるんだよね。パートナーと一緒に向かっていくことが重要なテーマだね。

■子供のケアより妻のケア?

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土屋:ユカイさんって「いいパパ」のイメージがあるんですけど、どうですか。僕、奥さんには「イクメン」というより「イクヨメ」、嫁に対してケアをしてくれるって褒められたんです。

ユカイ:それができる人のほうが、子育てはうまくいくと思う!俺、子供には優しくできるんだけど、奥さんにそれができないんだよね(笑)。子供は可愛くて仕方ない。子供のためだったら何でもできちゃう。でも、家庭は「妻が強いほうがうまくいく」っていうよね。

土屋:僕は、家の中ではカメラマンのアシスタントだって割り切ってるんですよ。カメラマンの行きたいところを予測してケーブルをさばく(笑)。出過ぎちゃ真似をしちゃいけないんです。キッチンの皿の位置を変えたりしちゃいけないんです!

どんなに子育てを頑張っても、奥さんのやってる割合には勝てない。同等にやってるなんて思うと、とんでもない。

ユカイ:それは世代なんだろうね。俺もそうできたらどんなにいいかと思うけど、ロックンローラーだからね。

やっぱり50代って「男は黙ってサッポロビール」、高倉健さんの「男とは」みたいなものに洗脳されてるんだよ。「男はこんなことしちゃいけない」って。

でも今の時代はそんなんじゃない。俺は、カメラアシスタントになりたくてもなれないロックンローラー、かな(笑)。

プロフィール

■ダイアモンド☆ユカイ
画像を見る1962年、東京都出身。1986年に伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてデビュー。解散後、ソロとして音楽活動を中心に、俳優、バラエティ等と幅広く活動。2011年に不妊治療を綴った書籍「タネナシ。」で自らの無精子症を告白。埼玉県こうのとり大使として不妊に関する情報を発信していくアンバサダー役を務めている。
・Twitter - ダイアモンド☆ユカイ @diamondyukai
・ダイアモンド☆ユカイ オフィシャルブログ



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■土屋礼央
画像を見る1976年、東京都国分寺市出身。RAG FAIR として2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。ニッポン放送「土屋礼央 レオなるど」、TOKYO MX2「F.C. TOKYO魂!」、FM NACK5「カメレオンパーティ」などに出演中。ニューアルバム「ブラーリ」が好評発売中。
・TTREニューアルバム「ブラーリ」
・土屋礼央 オフィシャルブログ
・Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya



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