テレビの考える数字は「ケタが二つ違う」 柴那典氏に聞く″超大型″音楽特番のねらい - BLOGOS編集部
※この記事は2016年12月30日にBLOGOSで公開されたものです
数時間から十数時間もの放送を行う、「超大型」の音楽特番。様々なアーティストを起用して民放各局が制作することで、ネット上でも話題になる人気コンテンツだ。番組制作サイドの狙いとネットの関係について、音楽ジャーナリスト・柴那典氏に話を聞いた。【野呂悠輔・村上隆則(BLOGOS編集部)】
「フェス化」する音楽番組
-- フジテレビ「FNS歌謡祭」など、民放各局が制作する超大型の音楽特番が人気を博しています。この背景には何があるのでしょうか。
柴那典(以下、柴):『ヒットの崩壊』の中でも書いているのですが、音楽番組が「フェス化」していることで説明できると思います。では、そもそも何が「フェス化」なのか。それは「受動から介入」へ変化した、ということなんです。
近年、テレビは「リアルタイムを共有するため」のメディアになっていると思います。これはもともとテレビがもっていた役割でした。たとえば、力動山のプロレス中継をたくさんの人が街頭のテレビで見るような状況は、とても「フェス的」だったと言えるでしょう。いま起こっていることに対し、たくさんの人が見て、感想をリアルタイムで共有する、というような。
その後、テレビは映像技術や編集技術を発達させるとともに、ある種の「最大公約数的」なメディアになっていきます。テレビの作り手たちはだんだん「誰でもわかるもの」「ただ見ればいい」というような、「わかりやすさ」を重要視するようになった。その過程で、テレビには視聴者が「介入」する余地がなくなっていきました。そんな中、約10年前にニコニコ動画が登場してきました。ニコ動は、映像自体は低クオリティでしたが、「弾幕」という遊び方を発達させ、ボカロ、MADといった、新しいコンテンツを生み出してきました。ニコ動は、コメント機能によって映像メディアを「受動」的に視聴するものから「介入」できるものへと変えたんです。
2010年代に入って、テレビでも、特に若い作り手の間でかつて失ったものを取り戻そうとする動きがはじまっていると思います。つまり、ニコ動が、映像に対して観客にコメントさせることを可能にしたように、テレビも生放送中にTwitterでハッシュタグを使った投稿を拾ったり、ドラマでもハッシュタグで見ながら感想を共有しあう「ソーシャル視聴」というものを明確に取り入れ、視聴者が「介入」することを可能にしていったんです。
-- 視聴者の「介入」がテレビ番組におけるトレンドになりつつあるんですね。
映画界にも同様の変化があります。いま「応援上映」や「発声可能上映」というものが出てきていますよね。音楽ライブでも、観客が手拍子を打ったり、踊ったりできるものが動員を伸ばしている。これはステージ上で行われていることへの観客の「介入」と見ることができますよね。
国民的コンテンツの不在が招いた、音楽特番の長時間化
-- 音楽特番の放送時間が長時間化する理由はあるのでしょうか。
柴:テレビの音楽番組が長時間化した背景は、もうひとつの観点から説明できます。それは「お茶の間」が消滅したことです。現代では「世代を超えた」「みんなが知っている」「国民的」といわれるコンテンツが明らかに減っています。
これは言い方をかえると、かつてそういうコンテンツがあった理由は、今より圧倒的にメディアの数が少なかったからなんですね。メディアの数が少ない中で、みんなが一つのものに夢中になる環境が生まれた。それが90年代までの時代だったわけです。
しかしいまはメディアの数が増え、みんながメディアを持てる時代になりました。つまり、「パーソントゥパーソン」の時代になり、たくさんの「小規模なヒット」「小さな熱狂」がそこかしこに生まれる時代になっている。これは音楽の分野で特に顕著で、「アイドル」、「ロック」、「アニソン」「ダンス&ボーカル」、「昭和歌謡」、「演歌」など山ほどサブジャンルがある中で、それら全部を拾って一つの番組の中に入れようとすると、3時間では足りなくなってきたんですね。つまり、音楽番組が長時間化したことに対しては、器を大きくして入れるモノを探した結果というより、入れ物がたくさんありすぎて結果的に器が大きくなった、という説明ができると思います。
-- 近年の音楽特番では、ベテランアーティストと若いアーティストがかつての名曲をコラボすることも多いですよね。
柴:フジテレビの方に話を聞くと、FNS歌謡祭で誰と誰をコラボさせるかを考えるとき、それが「Twitter」のトレンドに乗るか、ということを一番意識しているといいます。そのコラボにみんなが「サプライズ」として驚き、ツイッターに書くかどうか。その組み合わせに「意外性」や「事件性」がなければ面白くない、というのが番組の作り手がいま考えていることです。
そして、アーティスト側の観点から見ると、いまはファンとアーティストがダイレクトに結びつくようになっている反面、そのトライブの「外側」につながることが難しくなっている状況があります。例えば、演歌を聴いている60代に、アイドルの子たちがどうアプローチするのか。逆にいうと、ベテランにとっても、若いファンをどう掴むかというのは、常に課題になっています。そういう意味では、コラボやフィーチャリングは、アーティストにとってもメリットのあることだと思います。
テレビに従属しはじめたウェブメディアたち
-- 柴さんは『ヒットの崩壊』の中で、テレビの制作現場の方にも取材をされています。その中で何か感じることはあったのでしょうか。
柴:私は、ウェブメディアを主として仕事をしている人間ですが、取材している中で、ウェブの発想で考えている数字と、テレビの人たちが考えている数字は、「ケタが二つ違う」ということをすごく感じましたね。
特にウェブを主戦場にしている人の中には「ウェブがテレビに勝つ」ということをイメージしている人がたくさんいますが、それは大きな間違いです。いま起こっている現象は、逆に「ウェブメディアがテレビに再び従属をはじめている」というものです。いま、岐路に立たされているのはテレビではなく、ウェブの方だと思います。
いろんなウェブメディアを見ていると、テレビの書き起こしや、有名人の発言をニュース化した記事がとても多いですよね。私自身、テレビに出演した際に話した内容がそのままlivedoorニュースの記事になっていて驚いたことがあるくらいです。その時の感想を踏まえてあえて強い言葉で言いますが、テレビのタレントや製作者側は、ウェブメディアのこの状況を軽蔑しています。コンテンツを生み出しているのはあくまで彼らであって、それでウェブ側がPVをとったとしても、何ら価値は生み出していないわけですから。
テレビは持っている強い力をちゃんと使うことで、紅白歌合戦が象徴するように、タコツボ型になった趣味や興味の「トライブ」を、ごちゃ混ぜにして届ける面白さに特化して進化しています。その状況の中で、ウェブがただテレビの追随をしているだけなのは恥ずかしいことです。逆にウェブは、もっと深くて新しい、掘り下げた意味での「面白いこと」をやっていかなければいけないと思います。結局、テレビもウェブも、精魂込めて面白いことをやっている人が最終的に勝っていくということなんですよね。
SNSが変えた「ヒットの方程式」
-- 現在、「恋ダンス」に「PPAP」、少し前では「恋チュン」といった、みんなが踊ることによって、音楽が拡散・共有されていくという現象が多く見られます。現代では、「ヒットの仕方」にも何か変化は起こっているのでしょうか。
柴:そういった現象は、ここ5年における一つの「ヒットの方程式」になっていると思います。しかし、その中にもみんながあまり気づいていないことがあります。それは、それらのヒットの背景にYouTubeの「コンテンツID」やニコニコ動画の「コンテンツツリー」のような仕組みがあるということです。
YouTubeの「コンテンツID」は著作権者が簡単に YouTube上の自分のコンテンツを特定し、管理するシステムです。つまり、著作権者側はオリジナルの楽曲を使った別の動画を見つけたときに、それを閲覧できないようブロックすることもできるし、一方で広告を表示してその収益を著作権者側に還元させることも可能になったわけです。例えば、ピコ太郎本人による「PPAP」のYouTubeでの動画再生回数は1億回を超えましたが、関連動画はその数倍の再生回数を持っている。これもすべてピコ太郎側の広告収益になりうるわけです。現在のYouTubeは「真似」されることでヒットが生まれ、さらに著作権者も潤うプラットフォームとなってきています。
音楽は一番最初に「著作権」という大きな問題に直面したカルチャーでもあるので、その問題に関しては、出版や映画より先を行っています。YouTubeは2005年にサービスを開始しているのですが、すでにその時点から違法動画に対してどう対処するのかという問題に、丹念に取り組んできたわけです。その点で、これもまたウェブメディアの問題につながってくるわけですが、現状ではYouTubeの方がキュレーションメディアやNAVERまとめのようなサービスより百倍健全だと言えると思います。
-- そのような新しい「ヒットの方程式」が生まれている中で、これからアーティストがとるべき方向について、どう考えていますか?
柴:これから、アーティストも二極化が進んでいきます。つまり、ある一握りの「トップスター」とたくさんの「半プロフェッショナル」に二分されていく。
クリス・アンダーソンが2006年に「ロングテール」を提唱しましたが、それが幻想であるということが明らかになったのが、この数年です。「ロングテール」自体は存在するかもしれませんが、莫大な収益を生み出せるのは、ジャスティン・ビーバーやアデルといった、一握りのトップスターだけ。つまり「ロングテールの時代」は「モンスターヘッドの時代」なんです。とても巨大な「モンスターヘッド」からとても細いロングテールが出ている状態なんですね。
私はこれが、SNSが発達し、人々の興味が多様化していることによって生まれた現象だと思っていて、つまり「話題」というものがとても大きな力を持ってきているということなんです。人々は「話題」を常に欲していて、その「話題」を消費するサイクルとスピードと量が、幾何級数的に増えている。そうなると「タコツボ」の中で話題を提供できる人、「タコツボ」を超えて話題を提供できる人、という風に分かれます。つまり、前者はロングテールで、後者がモンスターヘッドのことです。
これから本当に一握りの人がより力をもっていく、という時代になっていきます。でも、そこで100万人、1000万人ものファンを背負うのは、アーティストにとって必ずしも喜ばしいことではないと考えています。なぜなら、その状況はアーティストにとって、とてもストレスのかかることだからです。1000万人のファンがいれば10万人のアンチがいる。その10万人のアンチを一人で背負うのは健全ではないですよね。
だから、これからのアーティストは、どれだけ「ロングテール」ではなく、多様な「ミドルボディ」として、つまり「100万人ファンがいる」か「100人しかファンがいない」かという二極化に向かっていってしまうのを食い止め、「5万人のファン」「10万人のファン」を喜ばせる音楽を作っていけるか、だと思います。これは私の「願い」でもあるんですが、これからの音楽シーンにはそのような風通しのよい、健全なものになってほしいと考えています。
プロフィール
柴 那典(しば・とものり)1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。新刊『ヒットの崩壊』が好評発売中。
・ブログ:日々の音色とことば・Twitter:@shiba710